第二話
宰相閣下の執務室に行けばいいのかと思いきや、呼びだされた先は王宮の地下だった。
コツコツ、と薄暗い石造りの階段を下りていく。
「なんだかオバケが出そうな場所ですね……」
フェントは寒いのかしてブルブルと耳や尻尾を震わせていた。
「もし出て来たら王宮の警備体制を問い直さないといけないな」
「そういう問題ですか?」
「亡霊が自然発生することはまずありえない。死霊術師の仕業を疑うところだろう」
「ルナティア様ってムダに現実的ですよね」
「私は信心深い方だよ。これまで決闘の神に何枚の手袋を捧げてきたと思ってる」
「百枚くらいですか?」
「千から先は数えていない」
「……そりゃ縁談も来ませんよね。別にいいんですけど」
やがて少し開けた場所に出た。
鉄の扉の前には背の高い男性が一人。
「おー、やっと来たねえ」
ユーグ・ナイトレイ。
飄々とした外見と喋り方に騙されがちだけれど、これでなかなかの食わせ物だったりする。
まだ四十代そこそこでありながら辣腕を振るう、この国じまんの宰相閣下だ。
「ホント最近は寒くてイヤになっちゃうねえ。おかげで手もかじかんで、凍傷になるかと思ったよ」
「ポーションを使ってください」
「あいかわらず冷たいねえ、ルナティアくーん。絶対零度の永久凍土だよ。
ああフェントくん、ちょっとこっちにおいで。おじさんの手を暖めてもらえないかなあ」
「つ、謹んでお断り申し上げます!」
フェントの声は上擦っていた。
それどころか怯えきって私の後ろに隠れる始末。
じつはユーグ宰相だけれど、重度の動物好きでもある。家は猫屋敷なんだとか。
でもって妙にフェントのことを気に入っていて、初対面の時は数時間にわたって耳と尻尾を撫でまくったらしい。
「……フェント、恐いなら先に帰っていても構わないぞ」
「だ、大丈夫です! この人をルナティア様と一緒にするわけにはいきませんから!」
「いつも思うんだが、君の宰相閣下への警戒心は何なんだ」
なぜかこのフェント、私とユーグ閣下を二人きりにさせまいとしている。
互いに幼い頃からの知り合いだが、別に特別な感情も何もないというのに。
むしろユーグ閣下は縁談を断りまくっていて、同性でアレやコレの噂も立っているのだ。
ちなみに"お相手"の予想も賭けの対象になっていて、フェントがいちばん有力な候補とされている。
「と、と、とにかく黒耳騎士団の一員として恐怖には立ち向かいます! 見ていてください!」
……私の腰に抱きつきながら震えてる時点で勇気も何もあったものではない気もするが、まあ、いいだろう。
「宰相閣下、それで、ご用事というのは?」
「ああ、うん、ちょっと待ってくれないかい」
「他にどなたか待っておられるのですか?」
「いやー、フェントくんにここまで怖がられるのはショックだなー、って」
ずうん、と。
いつも穏やかで微笑み (もとい薄ら笑い)を崩さないと噂のユーグ宰相だけれど、なんだか思いっきり凹んでいた。
「まー、ただの照れ隠しと思い込んで僕は強く生きるよ。それじゃあ中に入ろうか」
宰相閣下は赤い宝石の様なものを掲げる。
するとズウウウウンと音を立て、鉄の扉のようなものが開き始めた。
中からは白い煙とともに凍てつくような空気が流れ出してくる。
「うう、外よりも寒いじゃないですかあ……」
ガチガチガチと奥歯を噛み鳴らすフェント。
「まるで冷凍庫の中ですよう」
「フェントくーん、正解だよー」
なぜかパチパチと拍手する宰相閣下。
「ここはヒンヤリ長持ちさせるための場所なんだよねえ。よーし、ご褒美にナデナデしてあげよう」
「けけけけけ結構です!」
ドヒャアと擬音がつきそうなほどの勢いで逃げ出すフェント。
ものすごい勢いで階段を駆け上っていってしまう。
……黒耳騎士団の一員として立ち向かうんじゃなかったんだろうか。
まあ、戦場では高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応することが重要だ。そのうち戻ってくるだろうし置いておこう。
「まーた逃げられちゃったよ……」
「宰相閣下、ウジウジしてないでさっさと入りましょう。
見たところここは死体安置所でしょう、しかも王族専用の」
「おー、ルナティアくん、よく見てるじゃないの」
「扉に刻まれていた紋章は王家のものでしたし、そもそもここは王宮の地下です。
しかも魔法めいた鍵まで掛けられているとなれば答えはひとつでしょう」
「うんうん、君を呼んだおじさんの目は鋭かったってことだね。後でナデナデしてあげよう、フェントくんを」
「互いに同意の上でしたら、どうぞ」
ちなみにユーグ宰相は私にとって従兄にあたる存在だ。
二十歳ほど年は離れているが、王国ではそれなりによくあることだったりする。
小さい頃はフィリア姉様ともどもよく遊んでもらったものだ。
当時はやたらと私をナデナデしたがったが、年を経て獣人のモサモサに目覚めてしまったらしい。これも我が国ではよくあることだ。
「……血の匂いがしますね」
「いつも思うんだけどさあ、ルナティアくん人間やめちゃってるよねえ。だんだん獣じみてきてない?」
「学生時代は"ミェーダイの狂犬"と仇名されていましたが」
「どっちかっていうとドラゴンだよねえ。噛みつくとかじゃなく叩き伏せるって感じだったし。
ま、雑談はこれくらいにしようか。ちょっと王族がひとり殺されちゃってねえ、すこし手を貸してほしいんだよ」
「犯人を探し出して斬ればよろしいのですか?」
ミェーダイ家は古くから最前線で王国を守り続けてきた。
それはただ単に国境地帯で戦い続けるというだけではなく、佞臣や奸臣に天誅を下すということでもある。
「いやいや、さすがにそんな時代遅れなことはやらないよ!
仮にも我が国は王と議会によって運営される立派な法治国家だからねえ。
犯人には生きてしかるべき場所に出てもらい、裁きを受けさせるつもりだよ」
「ならば私の仕事などないのでは?」
「でもさあ、ミェーダイ家の人間って詳しいよねえ。死体とかさ」
「ええ、まあ」
人は死ぬと目玉が白く濁り、背中に紫色の痣ができる。全身が徐々に硬くなっていき、最後は柔らかくなって腐り落ちる。
ミェーダイ家の者なら当然の常識だ。
例えば味方の兵が人知れず殺されていた時、死体の状況から襲われた時刻を推定できる。
これは下手人を追いかけたり、あるいは内通者を突き止めるのに大きな手掛かりとなるのだ。
「だからさ、ちょーっと見てほしいんだよね。ほら、イトコのよしみと思ってさあ」
「……従兄、ですか」
私はミェーダイ侯爵家の娘で、騎士団をひとつ預かっているだけの立場に過ぎない。
一方でこの人は宰相閣下だ。好きに命令すればいい。なのにわざわざ血縁関係を強調してくる。
つまり。
「ユーグ兄様は宰相としてグレーゾーンなことをなさっている、あるいはこれからなさろうとしているわけですね」
「うんうん、大当たりだねえ。
王族が殺されたとなれば騒動だしね、内々で早期解決に持っていきたいんだよ」
ニッと底意地の悪そうな笑みを浮かべるユーグ兄様。
「だからまずは君に調べてもらおうと思ってさあ、死体の周囲に結界を張ってるんだよねえ。
冷気の影響はカットしてるし、ほとんどナマの死体だよ」
「王室典範には引っかかりませんか?」
「あくまで『王ならびに他の王族が揃うまで、地下の霊安室を利用し遺体を保護するべし』って書いてあるだけだからねえ。
"利用"はしてるよ? 王子のカラダはちゃーんとここにある。
しかも結界で冷気から"遺体を保護"してるんだ。
言い分としてギリギリ通らないでもないし、僕なら通せるよ」
宰相としてのユーグ・ナイトレイなら可能だろう。
これまでも黒を白と言い張る様な荒業を何度かやってきたし、それが可能だから宰相の地位を得ているわけで。
「さてさて、それじゃあご対面といきますかね」
私たちは霊安室の奥まで進む。そこには上品な白木の棺が置いてある。
ユーグ兄様はその蓋を開いた。
「……っ!」
「ルナティアくん、意外だったかい?」
私は頷く。
「正直なところ、ヘイズ様が入っているものと思っていました」
これまでも街や王宮で泥酔の末に (正統性もなにもない)決闘騒動を起こし、大怪我を負うようなこともあった。
いつか道端で冷たくなっていてもおかしくない系王子として有名だったのだ。
けれど棺の中に入っていたのは。
「ハルト様――」
昨夜私に婚約破棄を言い渡した、温厚な第三王子の方だったのだ。
用語解説
黒耳騎士団
ミェーダイ侯爵家次女、ルナティアの率いる騎士団。
正式名称は「王立第十三独立騎士団」
獣人領出身の若者五百余名によって構成される“外人部隊”で、常に激戦区を転々としている。
団員はいずれも武者修行時代のルナティアと刃を交えた者であり、およそ八割は訓練で彼女に叩きのめされるのを楽しみにしている紳士。残り二割は手遅れ過ぎてここに書くこともできない。
彼らの暴走を防ぐのも副官たるフェントの役割であり、少年の胃壁は今も削られ続けている。