第一話
「ルナティア、お前との婚約を破棄させてもらう」
一年ぶりに舞踏会へ顔を出してみれば、第三王子のハルト様が意味不明の宣告を突きつけてきた。
「お前にはもう愛想が尽きた。こんな女と夫婦になるなど考えられない。
少しはルーザ嬢を見習ったらどうだ?」
どうしてここでルーザ嬢、つまりはウィンスレイ侯爵家の次女が話題に出てくるのやら。
彼女はメグレス様にこっぴどく嫌われた後、ヘイズ様に色目を使っていたはずだ。いつのまにやらハルト様へ乗り換えたのだろうか。
私は社交界に疎いのでよく分からないし、余所様の恋愛事情なんてどうでもいい。
それより先にハッキリさせておくべきことがある。
「ハルト様、ひとつよろしいでしょうか」
「何を言われようが俺の意志は変わらんぞ」
「別に婚約破棄も結構なのですが、そもそも私たちは婚約していたのですか?」
こちらにはまったく心当たりがない。
我が家の人間はみな縁談に頼らず、自分の力で意中の相手を掻っ攫ってくるのがしきたりとされていた。
「なっ……? ――は、話が違うぞ! どういうことだ!?」
なぜか周囲に怒鳴りつけるハルト様。
もしかして妙な噂でも吹き込まれていたのかもしれない。
いやいや、そんなまさか。
思慮深いことで知られるハルト様に限ってそんなことはないだろう。
放蕩三昧で髪も髭も伸ばしっぱなし、頭の中までボサボサなヘイズ様じゃあるまいし。
「と、とにかく! お前がルーザ嬢を三ヶ月に渡って苛め抜いていたのは明白だ! そんな女と夫婦になるなど考えられん!」
「……私がつい先日まで遠征に出ていたのをお忘れになりましたか」
今更ながら自己紹介させてもらいたい。
私ことルナティア・ミェーダイは侯爵家の長女であり、父上から受け継いだ軍才を発揮してこの国を外敵から守り抜いている。
この一年は北の蛮族を攻め滅ぼすため、配下の黒耳騎士団とともに辺境へ遠征していたのだ。
「だ、だが、ルーザ嬢がそう訴え出ているのだ!」
「ならば本人に尋ねてみましょうか」
私は会場をぐるりと見回す。
ルーザ・ウィンスレイの顔立ちはよく覚えていないけれど、髪型はやたら印象に残っている。
ウェーブをかけまくった金髪に、縦ロール。
きっと手入れも大変だろう。
戦うのに邪魔だからとバッサリ短くまとめている私とは大違いだ。
「……いらっしゃらないようですね」
「ル、ルーザ嬢は気分がすぐれないそうでな、今日は屋敷で休んでいるのだ」
「よくご存じですね。もしや懇意にしてらっしゃるのですか?」
「偶々だ! 偶々耳に挟んだだけだ!」
「……まあ、それならそれで構いませんが」
もし嘘の見本市に出したなら、ハルト様の言葉はかなりの安値がつくだろう。
野次馬たちも信じていないらしく、口々に二人の関係を噂し始めていた。
「静かにしろ! ギャアギャア喚くな!」
本当に今日のハルト様はどうかしている。
普段の落ち着きはどこへやら、ヘイズ様 じみたヒステリックさだ。
「とにかく婚約は破棄だ! いいな!」
言い捨てるだけ言い捨てて、ハルト様は会場を去ろうとする。
その背中に。
「お待ちください」
ぴしゃり、と。
私は左手の手袋を投げつけた。
「……何のつもりだ、ルナティア」
「見ての通り、決闘の申し込みです。
私はいわれのない罪に問われ、いわれのない婚約を破棄されました。しかも大勢の前で。
これだけの屈辱を受けて引き下がっては、ミェーダイ侯爵家の名が廃るというものでしょう」
「俺は王子だぞ! 歯向かうつもりか!?」
「家の誇りを汚すよりは余程ましです」
そしてこの国の法は貴族に"決闘を挑む権利"を保証していた。
相手が王だろうと何だろうと、正統な理由があればむしろ決闘によって汚名を濯ぐべきとされている。
「こ、こんな茶番に付き合っていられるか! 俺は帰るぞ!
どうしても文句があるなら、後で俺の部屋まで来い!」
けれどハルト様はそれに応じず、妙に怯えた表情で会場から逃げ出していく。
周りの人たちはどうしたことかと首を傾げていた。
決闘を放棄することは最大の恥であり、誇り高いハルト様の性格からしてもありえない。
……まあ、これがヘイズ様なら話は別なのだけれど。
今まで何度も平民の女性に横暴を働いている現場に出くわし、そのたびに代理決闘を挑んでタコ殴りにしてきた。
王族の誤りを正すのは臣下として当然の義務だ。
最近のヘイズ様はかなり落ち着いているらしいものの、私の姿を見るだけで逃げ出すようになっていた。
「ルナティア、話し合いには行きますの?」
メーダイ侯爵家の令嬢、フィリア姉様が話しかけてくる。
別に血は繋がっていないけれど、幼い頃からの付き合いでついついそう呼び続けている。
この人は私と違って可憐そのもので、とくに艶やかな長い黒髪は本当に羨ましいと思う。
「夜に男性の部屋を訪ねるなど淑女にあるまじき行いでしょう」
「あら、でしたら王都に戻って来られるのは数日後になりますわね。明日、わたくしと観劇に行く約束はお忘れでして?」
「問題ありません、北の蛮族からいい馬を奪い……友好の証として献上されましたから。朝には戻って来れるでしょう」
私の言葉に会場は沸き立つ。
この国の人間は貴族も平民もギャンブル好きで、何でもかんでも賭けの対象にしたがる。
すでに私が明日の日の出までに帰るかどうか、ハルト様の言う“婚約”が真実かどうかでオッズが組まれ始めていた。
「では、これにて失礼いたします」
「ミェーダイ侯爵様にもよろしくね、ルナティア」
私はフィリア姉様に一礼するとパーティ会場を飛び出した。
そのまま愛馬のシャギアに飛び乗る。
はじめはなかなかの暴れん馬だったけれど、最近はよく懐いてくれている。
「シャギア、お土産だ」
私はパーティ会場からくすねてきたリンゴを食べさせる。
「ヒィン♪ ……ヒヒヒン!」
(訳:やったあ! ……べ、別にリンゴが大好きなわけじゃないんだからね!)
「眠たいかもしれないが、今からひとっ走りしてくれ。いいか?」
「ヒッヒヒン!」
(訳:任せときなお嬢ちゃん、山の一つや二つ余裕で駆け抜けてやるぜ)
* *
王都からミェーダイ侯爵領までは山を三つ越える必要があるけれど、私とシャギアにとっては小石のようなものだ。大したことはない。森を飛び越え崖を滑り降り、実家の屋敷に辿り着いたのはさほど遅くない時刻だった。
「……ルナティアか、どうした」
ちょうど父上は庭先で素振りをしているところで、額には珠の汗が浮かんでいる。
現役を退いたとはいえ、傷だらけの肉体にはいまだ歴戦の風格が漂っていた。
「ひとつ、父上にお伺いしたいことがあります」
私はシャギアから降りると剣を抜く。
「儂が素直に答えると思うか?」
父上もまた剣を構える。
ただし、鍛錬に使っていた木剣だ。
「お前もミェーダイ家の者なら分かっているだろう」
「勿論です」
真剣と木剣。
本来なら勝負にならないかもしれないけれど、父上なら話は別だ。
実力的にはこれでやっと五分五分……ではなく、私に一あるかどうかといったところだ。
ヒウ、と冷たい風が吹き抜ける。
聞こえるのはシャギアのかすかな息遣いだけ。
父上は正面に構えていた。隙は多い。打ってこいということなのだろう。
「――参ります」
加速魔法をかけての突進、大上段から振り下ろす。
北の遠征では多くの蛮族を一刀のもとに斬り捨ててきた。
けれど。
「甘い!」
父上はやはり強い。
私の斬撃は見事に打ち払われてしまっていた。
真剣はクルクルと宙を舞い、やがて地面に突き刺さる。
「ヒィッ!」 (訳:なんじゃこりゃア!)
そこはちょうどシャギアの足元で、怯えたような鳴き声があたりに響いた。
「前よりはやるようになったな、ルナティア。
しかし道は遠い。精進せよ」
「ありがとうございます。それでは失礼いたしました」
「うむ、フィリア嬢にもよろしくと伝えておいてくれ」
「はい」
再び私はシャギアの背に乗る。
「ヒィン? ヒッヒヒ」 (訳:これでいいの? まだ何も喋ってなくない?)
「大丈夫だ」
私は頷いだ。
ミェーダイ家の者は剣と剣で会話する。
あの一瞬の攻防で互いにすべてを伝え合っていた。
内容を会話風に書き直すとこうなる。
「ルナティアよ。現在、国王陛下は各地の視察に回っていらっしゃる。それは知っておるな?」
「はい、第一王子のメグレス様を伴ってのことですね」
「その通りだ。して、数日前に我が家を訪ねていらっしゃったのだ」
ちなみに陛下と父上は若い時からの親友らしい。
「次の王はメグレス様だ。これはもう決まっておる。そうなると代々の掟に従いヘイズ様とハルト様は臣籍降下、つまり公爵家か侯爵家へ養子に出さねばならん」
「もしやその候補に我がミェーダイ家が上がったのですか?」
「いや、陛下はハルト様をメーダイ家へ婿入りさせるつもりらしい、それを儂と相談したかったらしい」
「つまりフェリア姉様と結婚させる、と」
「いかにも。元々あの二人は気が合う様子だった。
陛下が王都に戻り次第、一席を設けるつもりだそうだ。……ただ」
「どうされましたか、父上」
「国王陛下はやや滑舌が不自由なお方であろう。辺境育ちゆえな」
ああ、なるほど。
「ハルト様は"メーダイ"を"ミェーダイ"と聞き違えた。父上はそうおっしゃりたいのですね」
「うむ。しかし温厚なはずのハルト様が一方的に婚約破棄、か。
誤解とはいえそれほどまでにお前との婚姻が嫌だったのだろうな」
さすが父上というべきか、無言のうちに私の心をバッサリ切り捨てていた。
正直泣きそうだ。
八つ当たり気味に馬を飛ばして王都に駆け戻る。
「ヒィンン!」 (訳:元気出せよ、今度ニンジン分けてやるからな)
「すまない、おまえが何を言ってるかよく分からない」
まだ朝日は昇っていない。
このまま黒耳騎士団の詰め所で仮眠を取り、日が昇ったら財務省近くの庭で早朝訓練だ。
全員そろって丸太を振り回していると何故かうちの騎士団に予算が潤沢に回ってくる。
不思議なこともあるものだ。
……ん?
王都の南門に近づいていくと、旅の女性が門番となにやら言い合いをしている。
「どうして通してくれないんですか。ちゃんと書状も用意してあります」
「でもさあ、こんな夜遅くに来るって事自体が怪しいんだよねえ。
別に明日の朝になってからでもいいんじゃないの?」
男の方はいかにも怠惰で欲深そうな太っちょだ。
大柄な割に筋肉は少なく、訓練を受けた兵士とは思えない。
おそらくは貴族家の御曹司だろう。
南門の警備は栄えある職とされているし、経歴の箔付けによく使われるのだ。
「困ります! 早朝にはもうお仕事に出てないといけないんです!」
「でもこっちもさ、不審者を通すわけにはいかないんだよねえ。
うーん、もしもまぶしいものでも渡してくれたら、しばらくは目が眩むかもしれないなあ」
「……分かりました。50ディルお渡しします」
「うーん、貰えるものは貰うけどさぁ――」
男はニタニタと下卑た笑みを浮かべていた。
「やっぱりもうちょっとキチンと調べないとねえ。
ちょっと宿直室まで来てよ、この意味、分かるよね?」
うん。
しばらく物陰から様子を見ていたがそろそろいいだろう。
私は男の顔に向けて、全力で左の手袋を投げつける。
「うわっ!」
たったそれだけのことで男は腰を抜かしていた。
「そこまでにしておけ、下衆」
私は旅の女性を庇う様に立ち塞がる。
「通行許可の書状がありながら通さず、それどころか賄賂を要求する。
貴様のような者に南門を守る資格はない」
「な、なんだよオマエ!
べ、別にオレは何もしちゃいない! この女が勝手に金を渡してきたんだ!」
「下らん言い逃れだ。私はお前に手袋を投げたぞ。この意味は分かるな?」
文句があるなら剣を抜け。
ただそれだけの話だ。
「こんなことをしていいと思ってるのか!?」
けれど男は真っ青な顔で怒鳴るばかり。
「オレはウィンスレイ侯爵家の長男、ジョットだぞ!
父上は法務省の大臣なんだ、平民の女二人がいくら喚こうが――」
「奇遇だな、私の家も侯爵家だよ」
照明魔法で左手の指先に明かりを灯す。剣の鞘に刻まれた紋章を見せつけた。
「ミェーダイ侯爵家長女のルナティアだ。
貴様の弟とは魔法学院でクラスメイトだったが、兄弟そろって父親だのみのようだな」
ビッド・ウィンスレイだったか。
学院で働いているメイドを手籠めにしようとしていたので、三回ほど決闘で叩きのめしてやった。
「きょ、狂犬……!」
「懐かしい仇名だな」
学生時代、貴族家の男連中からはそんな風に恐れられていた。
今となっては何もかも懐かしい。ついついニヤリと笑みを浮かべてしまう。
すると。
「ヒッ!」
なぜかジョットは竦み上がり、白目を剥いて気絶してしまった。
* *
自分で言うのも何だが、私は脳筋だ。細かいことはよく分からない。
だから困ったら副官を呼ぶことにしている。
「ルナティアさま、夜遅くに飛び出していったと思ったら何をやらかしてるんですか!?」
「そう怒らなくてもいいだろう、フェント」
「怒ってるんじゃなくって呆れてるんです!
イヤな予感がしたんで詰め所に泊まってたんですけど、やっぱり予想通りの展開じゃないですか!」
フェントは黒い尻尾をせわしなくバタつかせていた。
見ての通り獣人だ。黒狐族の少年で、いつも私を助けてくれていた。
頭の回転が速い上に機転が利き、彼に丸投げするとだいだいすべてがうまくいく。
ちなみに我が黒耳騎士団は私を除いて全員が獣人だったりする。
むかし獣人領で武者修行していたのだけれど、そこで出会った強敵たちを召し抱えていた。
「家にも帰らず私のことを待っていてくれたのか? 健気な副官だな」
「万が一に備えてたんです!
ルナティアさまがトラブルを起こした時、ボク以外の誰が丸く収められるっていうんですか!?」
ため息をつきながらフェントは書類をしたためていく。
ここは黒耳騎士団の詰め所、一階の執務室だ。今は南門での件について報告書を作成している……いや、作成してもらっている。
「『ジョット・ウィンスレイは女性に対して賄賂を要求し、さらには辱めを行おうとした。
ゆえに代理で決闘を挑んだ』と。
ここだけ取り出すとルナティア様のやっていることは真っ当ですよね」
「実際に真っ当だろう」
「普通、貴族の女性はそんなにポンポン決闘を挑んだりしませんよ」
ボクたちが王都に戻った時、手袋職人がどんなジョークを飛ばしたか知ってます?
『また過労死の日々が始まるのか』ですよ」
「ひどい侮辱だな。決闘を挑む必要がある」
「やめてあげてください。職員さまがいなくなったらルナティアさまも困るじゃないですか」
「分かっている、冗談だ」
「ルナティアさまの冗談は分かりにくいんですよ」
ふぁぁ、とフェントは欠伸する。
黒毛の耳と尻尾も眠たげに垂れ下がっていた。
「せっかく騎士団に入ったのに、深夜の呼び出しは事務仕事ばっかり。
こんなんじゃなかったはずなんですけどね……」
「人生は不本意の連続だろう。むしろ事務仕事が学べてラッキーじゃないか。
膝に矢を受けても稼ぎようがあるぞ」
「事務仕事が学べるんじゃなくって、学ばざるを得なかった、です!
それよりルナティアさま、婚約話は実際どうだったんですか?」
「なんだ、気になるのか?」
「あ、当たり前ですよ! 自分の上官のことなんですから!」
「なら安心しろ。たぶんハルト様の聞き違えだ。
ミェーダイ家じゃなく、メーダイ家に婿入りらしい」
「……なんですかそのオチ」
安心したようにため息をつくフェント。
「ま、それならそれでいいです。ひと段落つきましたし、ボクもそろそろ寝させてもらいますね」
「ああ、おやすみ」
「ルナティアさまはどうされるんですか?」
「適当に床で寝る。さっき気配を読んだが、詰所の寝室は一杯だろう」
「サラリと人外じみたことをしないでください。というか若い女性としてどうなんですか、それ」
「部下を叩き起こしてベッドを譲らせるわけにはいかんだろう」
「ウチの団員なら喜んで差し出しそうですけどね……。
行き先が激戦区ばっかりだから妙な趣味に目覚めちゃってますし」
「まあ、ともかく私のことは気にしなくていい」
「そういうわけにはいきませんよ。
ボクはもう目が覚めちゃいましたし、よかったら202号室を使ってください」
「ふむ、つまりフェントも変な趣味とやらに目覚めているということか」
「どうしてそんな解釈になるんですか!?」
そんな風に取りとめのない話をしていると、いつのまにやら空が白み始めていた。
徹夜なんてよくあることだ、別に構わない。
そんな風に考えていたのだけれど、ここで思わぬ事件が起こる。
王宮から伝令が走ってきたのだ。
「ルナティア殿、フェント殿!
すぐにご参内ください! 宰相閣下がお呼びです!」
思わぬ時間の、思わぬ呼び出し。
それが事件の始まりだった。
作者は大阪出身の三重住まいですが、三重弁だと三重大と名大の聞き分けがとても困難です。