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悪魔の餌食  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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20/23

七日目(1)

 一昨日、そして昨日……二人の人間が死んだ。

 僕が殺したのだ。

 にもかかわらず、世の中は何事もなかったかのように動いている。テレビのニュースは、相も変わらず芸能人のゴシップを追いかけ回している。どうやら最近の話題の中心は、覚醒剤の使用と所持で逮捕されたミュージシャン兼俳優の押尾健太郎のようだった。これまで、数々のアイドルや女優と浮き名を流していたらしい。また、歯に衣きせぬ発言で注目されていた。

 しかし、覚醒剤で逮捕されてしまったのだ。

 ニュースからの情報によると、挙動不審な態度で路上を歩いているところを巡回中の警察官に職務質問され、身体検査をされたところ……覚醒剤入りの小さなビニール袋が服のポケットから出てきたのだという。

 ワイドショーを観てみると、コメンテーターがここぞとばかりに叩きまくっていた。彼の名誉は、完全に地に落ちている。

 しかし……二人の人間が殺され、その犯人は今、平然とした顔でテレビのワイドショーを観ているという事件を知ったとしたなら、このコメンテーターたちはどのような言葉を発するのだろう。

 さらに……その事件を引き起こす原因を作り出したペドロという名の悪魔は、平然とした表情でこの日本を闊歩しているという事実に関しては?


「背筋が寒くなりますね……」

「我々はこの現実を、もっとよく考えてみなくてはならないですね」


 たぶん、コメンテーターがこんなことを言って終わりだろう。


 僕は、久しぶりに双眼鏡で外を眺めてみた。

 外にいる人たちは、何も変わっていない。みんな、いつもと変わらず生活しているように見える。

 松橋修一郎、そして児玉智也……二人の人間が死んだのだ。にもかかわらず、何事もなかったかのように世の中は動いている。いつも通りだ。人ひとりの命など、何と軽いものなのだろう。

 仮に僕が死んだとしても、テレビのニュースでほんの三分間ほど話題になるだけだ。いや、同じ時期に飛行機でも墜落したりすれば、ニュースにすらならないだろう。少なくとも、押尾健太郎の覚醒剤事件の方が確実に扱いは大きい。

 僕の命は、芸能人のゴシップ以下だというのか?

 しかも、僕が死んだ時のニュース番組や新聞の見出しはどんなものだろうか……想像するのは、とても簡単だった。「ニートの少年、謎の死を遂げる」などと愚かな見出しを付けられ、僕のことを知りもしない連中がしたり顔でコメントをして終わりだ。そして、話題は芸能人のゴシップへと移っていく。誰と誰が、くっついたり離れたりした……そんなことを、ゲスな表情を浮かべた司会者やコメンテーターが語り合うのだろう。

 現に今、松橋と児玉のことなど誰も気にしていないのだから。彼らは、何処かで死体となっているはずなのだ。なのに、世の中は普段と全く変わらない。


 あの二人の人生は、いったい何だったのだろう?


 僕の中に、そんな思いが芽生えていた。確かに、奴らが僕にしたことは許せない。それなりの報いを受けるべきだ、とは思う。

 しかし、奴らは死んでしまった。奴らの罪は、死という罰に見合うほどのものだったのだろうか。

 そして……僕の手に未だに残る、あの感触はいつになったら消えるのだろう。


 そして……昨日までと同じく、今日もペドロはやって来た。まるで、僕の考えていることを見透かしたかのようなタイミングだ……音も無く静かに、僕の部屋に現れた。

 ペドロは何も言わなかった。黙ったまま、僕をじっと見つめている。これまでとは明らかに違う態度だ。

それまでのように、一方的に話しかけてくることはなかった。

 僕も、ペドロをじっと見つめる。彼に対し、恐れの感情は湧いてこなかった。むしろ僕の中には、ペドロに対して奇妙な感情が芽生えていたのだ。

 それは友情とも愛情とも違う、僕がこれまでに経験したことのない種類の感情だった。

 当時は、それが何なのか分からなかった。しかし今なら、その正体が何となく分かる。それにもっとも近い言葉を探すなら、共犯者意識だろうか。


 ややあって、ペドロが口を開く。

「俺の記憶に、間違いがなければ……男子、三日会わざれば刮目して見よとかいう諺が、日本にはあったはずだね。まあ、三日程度では変わらないのが普通だが……しかし哲也くん、君は確実に変わったよ。一週間前と今とでは、全くの別人だ」

「そうですか……」

 正直、僕にはピンとこなかった。変わった……と言われても、まるきり実感がない。

 それ以前に、今はそんなことを気にしている場合ではないのだが。


「ペドロさん、死体はどうなったんです?」

「死体? ああ、松橋くんと児玉くんか。彼らの死体は、しかるべき場所に移動させた。明日になったら、きちんと始末するよ」

「始末?」

 僕が聞き返すと、ペドロは笑みを浮かべた。

「そう、始末だ。まず死体の両手両足を切り離し、出来るだけ細かく刻む。そして薬品で溶かすか……もしくは火葬場なみの高温で灰にするか。いずれにしても、一日がかりの仕事だよ」

「……」

 僕は何も言えなかった。ペドロにとって、死体はただの肉の塊であり、処分すべき廃棄物でしかないのだ……人間は死ねば、ただの廃棄物になってしまう。

 僕は僅かな間とはいえ、二人の人生に関わった。二人はろくでもないクズだったが、紛れもなく人間だった。彼らは生きていたのだ……それを、ただの廃棄物に変えてしまったのは僕なのだ。


 だが、ペドロは僕の気持ちなどお構い無しだった。

「哲也くん、そろそろ行くとしようか。赤羽くんが待っているよ」

「……」

 そうなのだ。

 まだ一人残っている。

 三人の中でもっとも凶悪な男の、赤羽健司がいるのだ……。

 赤羽は三人の中でもっとも体が大きく腕力もあり、喧嘩も強かった。確か、小学生の頃に柔道をやっていたと言っていたような気がする。もっとも、ペドロの敵ではないだろうが。

 そんな赤羽は今、何をしているのだろうか……。

 いや、何をしていたのだろうか、と言った方が正しいだろう。赤羽はもうじき死ぬのだから。松橋や児玉と同じように、殺されるのだ。

 そして赤羽もまた、生きている人間から廃棄物へと変わる。

 僕の手で……。




 昨日と同じく、僕はペドロの運転する車に乗っていた。

 その時、僕は奇妙なことに気づいた。窓から見える外の風景が、どこかおかしいのだ。先ほど、部屋の中から双眼鏡越しに見ていた外の風景。そして、今見ている風景。どこか、作り物のように見えてしまう。


「人生において、非日常を経験するというのは大切だよ」

 不意に、ペドロが語り始めた。もっとも、これもいつものことだ。僕はぼんやりと、外を見ながら聞いていた。

「日常生活は、実に退屈なものだ。毎日、同じことの繰り返し……だからこそ、人は非日常を求める。日常の世界から非日常の世界を覗くと、とても魅力的に見えるからね。哲也くん、君もそう思うだろう?」

「そうかもしれませんねえ……」

 僕は、投げ遣りな態度で答えた。正直、そんなことはどうでもよかったのだ。一刻も早く、全てを終わらせたい。

 しかし、続いてのペドロの言葉は、聞き流せないものだった。

「だが、一度でも非日常の刺激を味わってしまうと……なかなか戻れないよ。これは麻薬にも似ている。日常は退屈だ。人生において、退屈とは苦痛だからね。かつて、あるボクサーがこんなことを言っていた。リングの上と比べると、世の中はあまりにも退屈だ……と。君も今、似たような思いを感じているんじゃないのかい?」

「え……どういうことですか……」

「君は今、不思議な感覚に襲われているだろう。目に映る景色の全てに霞がかかり、非現実的に見えてしまう。覚めない夢を見ているような気分じゃないのかい?」

「……」

 僕は何も言えなかった。その通りなのだ。ペドロは、僕の状態を正確に見抜いているらしい。

「人の命を奪う……これはなかなかの刺激だ。日常生活において、これに匹敵するだけの刺激を得るのは難しいだろう。君は果たして、その退屈に耐えられるかな?」

「な、何を言ってるんですか!」

 僕は思わず、語気を荒げていた。

 だが、ペドロはすました表情でじっと前を見ながら言葉を続ける。

「退屈というのは、緩慢な自殺ではないか……俺はそう思うよ。仮に死後、天国なる世界があったとして、それは果たして本当に天国なのだろうか。俺はそう思っているよ。苦しみも悲しみもなく、善人たちと共に永遠に暮らせる世界……見方を変えれば、それは地獄と同じなのではないだろうか、とね」

「地獄、ですか……」

「そうさ。死も苦しみも悲しみもなく、善人たちの中でただ、退屈な時間が過ぎていくだけ……これは、初めのうちは幸せかも知れない。だが、それはいつか苦痛へ変わる。いにしえの時代の支配者層は奴隷に、休息という名目で……退屈という名の苦痛を与えた。その結果、労働が喜びに変わる。奴隷たちは、退屈という名の苦痛を味わうことにより、自ら進んで辛い労働をするようになっていたんだ。退屈というのは、ある意味では拷問だよ」

「……」

 僕は何も言えなかった。確かに、退屈な時間というのは苦痛だ。考えてみれば、世の中には「遊ぶ金が欲しくて」犯行に及んだ、という動機の犯罪は少なくない。遊ぶ金が欲しい、つまりは退屈だったからだ。その退屈な時間を潰すために、人は時として罪を犯す。趣味というのは、案外馬鹿に出来ないものだ。ギャンブルにハマる人は、ギャンブルをする時の刺激が忘れられないのだという話を聞いたことがある。退屈な日常生活の中で、自らに刺激を与え、退屈から逃れる手段……その一つが、趣味なのかもしれない。


 そして、ペドロの話は続く。

「哲也くん……君は今、殺人という刺激を知ってしまった。君がこの先、何年生きるかは知らないが……順調にいけば、あと六十年以上は生きられるだろう。その六十年もの間、君はどうやって過ごすのかな? つまらない娯楽で自分の内に潜むものを誤魔化しながら、退屈な時間を生きていけるのかい?」

 僕はドキリとした。内に芽生えつつある何かを、ペドロに見透かされたような気がしたのだ……。

「何を言ってるんです……あなたは……僕をどうしたいんですか……」

 僕の口から、思わずそんな言葉が洩れていた。

「うーん……はっきり言ってしまえば、君がどうなろうが、俺の知ったことじゃないよ。前にも言ったが、自分の中の悪魔に気づくこと……それが、人生を楽に生きるコツだよ」






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