表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

1.プロローグ



『ノゾムくん。人が一番恐れてるものって、なんだか分かる? 自分自身の新しい言葉、自分自身の新しい一歩を、いつも恐れてるんだよ。だから――』



 私が精神科医となったのには、二つの理由が存在する。


 一つは家庭環境だ。意識も芽生えていないような幼い頃に、私は父を事故で亡くしていた。そんな私は母によって、女手一人で四歳まで育てられた。


 だが母は、世渡りの上手くない、繊細で、弱い人だったようだ。父方に頼れる親類もおらず、実の両親とは確執も抱えていた為、頑なに実家には戻らなかった。


 そんな母は、パートの労働や育児の負荷、一人身による孤独でやがて精神を病んだ。そして私が四歳の頃、関東の何処かのアパートに私を置き、姿を消した。


『ちょっと買い物に行ってくるから、留守番しててね』


 子供は大人のように、世界を認識出来ない。私は母の言い付けを守り、一人、母を待ち続けた。悲しみの欠片のような、雪が降る季節だった。


 私が人の心に興味を抱いたのは、そんな体験が遠因となっている。


 そんな話を聞くと、何か特殊な、悲惨な話に聞こえるかもしれないが、こういうことは現代の日本に間々(まま)あることだ。


 むしろ私は、運がいい方に分類される。何らかの異変を感じ取った近隣住民が警察に連絡した結果、アパートで衰弱していた私は、警察の手によって保護された。


 当時のことは、はっきりと覚えていない。寒くてひもじかった気もするが、後から当時の状況を聞いて、植え付けてしまった感覚かもしれない。


 ただ、床に伏して朦朧としていた私に、何処か物々しい雰囲気の中、警察官が床に片膝を着いて、何かを話しかけていた光景だけは、はっきりと覚えている。


 以降は母と折り合いが着かず、そのことで自責の念に駆られ続けていた祖父母が、私の保護者となった。愛知県の彼らの家に引き取られ、三人で暮らし始めた。


 同じ職についている人間にも、そのように少し特殊な家庭環境で育った人間が多いように思える。


 勿論、深く詮索し合った訳ではないが、そういった傷や過去があることで、私たちは悲しく分かり合えている。そんな気がする。


 そして私が精神科医になったもう一つの理由が、山岸美園の存在だ。

 ここで有名なピアニストの名前が出ることに、驚く人もいるだろう。


 これは中学の同級生と、一部の高校の同級生なら知っていることだが、私と彼女はある時期、付き合っていたことがあった。



 誰に向けて話す訳でもないが、そのことについて、今から話しておこうと思う。

 私が私に対し、まとまりをつける為にも……。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ