1.プロローグ
『ノゾムくん。人が一番恐れてるものって、なんだか分かる? 自分自身の新しい言葉、自分自身の新しい一歩を、いつも恐れてるんだよ。だから――』
私が精神科医となったのには、二つの理由が存在する。
一つは家庭環境だ。意識も芽生えていないような幼い頃に、私は父を事故で亡くしていた。そんな私は母によって、女手一人で四歳まで育てられた。
だが母は、世渡りの上手くない、繊細で、弱い人だったようだ。父方に頼れる親類もおらず、実の両親とは確執も抱えていた為、頑なに実家には戻らなかった。
そんな母は、パートの労働や育児の負荷、一人身による孤独でやがて精神を病んだ。そして私が四歳の頃、関東の何処かのアパートに私を置き、姿を消した。
『ちょっと買い物に行ってくるから、留守番しててね』
子供は大人のように、世界を認識出来ない。私は母の言い付けを守り、一人、母を待ち続けた。悲しみの欠片のような、雪が降る季節だった。
私が人の心に興味を抱いたのは、そんな体験が遠因となっている。
そんな話を聞くと、何か特殊な、悲惨な話に聞こえるかもしれないが、こういうことは現代の日本に間々あることだ。
むしろ私は、運がいい方に分類される。何らかの異変を感じ取った近隣住民が警察に連絡した結果、アパートで衰弱していた私は、警察の手によって保護された。
当時のことは、はっきりと覚えていない。寒くてひもじかった気もするが、後から当時の状況を聞いて、植え付けてしまった感覚かもしれない。
ただ、床に伏して朦朧としていた私に、何処か物々しい雰囲気の中、警察官が床に片膝を着いて、何かを話しかけていた光景だけは、はっきりと覚えている。
以降は母と折り合いが着かず、そのことで自責の念に駆られ続けていた祖父母が、私の保護者となった。愛知県の彼らの家に引き取られ、三人で暮らし始めた。
同じ職についている人間にも、そのように少し特殊な家庭環境で育った人間が多いように思える。
勿論、深く詮索し合った訳ではないが、そういった傷や過去があることで、私たちは悲しく分かり合えている。そんな気がする。
そして私が精神科医になったもう一つの理由が、山岸美園の存在だ。
ここで有名なピアニストの名前が出ることに、驚く人もいるだろう。
これは中学の同級生と、一部の高校の同級生なら知っていることだが、私と彼女はある時期、付き合っていたことがあった。
誰に向けて話す訳でもないが、そのことについて、今から話しておこうと思う。
私が私に対し、まとまりをつける為にも……。




