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刃こぼれの騎士

 戦いが終わった。殺し合いではない。神の名のもとに、教えに従わない不逞な徒を地獄に叩き送り、罪を浄化させてやるのだ。そうすることで、彼ら神の使徒は神のもとに召され、いつか来る生の終わりを安らかに迎えることができる。


 神の名はエレールといい、エセスという。古くは双子神であったが、ひとつの体系として成立する過程で統合され、正式な名は繋げてエル・エセスという。ただ、神の名を呼ぶことは禁忌とされているから、人々はもっぱらエル、またはエレズス、あるいは単純に「神」だとか「天主」だとか呼ぶのだ。


 神を讃える文言を叫びながら、人の波が押し寄せる。その波濤は熱狂というより狂乱と表現したほうが正しい。皆、自らが正しいと信じきっているに違いないが、神を信じることでこれからすることを正当化しているのだ。


 この戦いは「正義」の勝ちであった。一方的な殺戮を勝利と記してよいなら、これは大勝利であろう。「異教徒」どもは剣で両腕を切断され、斧で頭をたたき割られ、槍で串刺され、投石機から放たれた岩の下敷きになって、肉塊と岩塊で山を築かんばかりであった。


 正義の使者たちは旗を高々と掲げ、勝鬨をあげている。ある者は剣から滴った血を受けながら、ある者は敵将の首を掲げながら、また、槍で貫いた数人の敵の死体をやはり数人がかりで掲げている者たちもいる。狂乱は未だ、続いているのだ。


 敗北者の村は、勝利者にとって略奪の対象である。まして敗北者が異教徒ならば、どのようなことも許されるに違いない。老人、子供関係なく家屋とともに焼き払われ、女たちは凌辱される。金品や宝石は彼らの給料のうちだ。


 ある娘は数十人に輪姦された挙句、股間から頭までを串刺しにされた。ある老人は娘を守るために侵略者たちに立ちはだかり、手足を縛られて両目をくりぬかれた。ある女は子供を抱いて村から脱出を図ったが、騎馬でたちどころに踏み潰されてしまった。


戦場だけでは、流血を止められそうにない。彼らは勝利者であり、唯一絶対の神を信奉する正義の戦士なのだ。なにをしようがすべては神のため、神の御心に沿う。なにしろ、神に近いとされる司教やら大司教が口々に言っているではないか。「殺せ!」


「神に逆らう異教の輩を皆殺しにするのだ。回心する者は申し出よ。我らが教えに従う者は救ってやる」


 そういって、聖職者たちは彼らの教えに改める者を募り、救った。縛り上げて、一息に首を刎ねてやったのである。地上での生など、取るに足らぬ。その罪は我々人間では洗い流し尽くすことはできない。だから神のもとへ送り届け、浄化していただくのだ。火あぶりや磔刑にされないだけ、慈悲深いというものであろう。


 戦場において、聖職者たちは指揮官と同義である。戦闘指揮官は別にいるが、司教や大司教やらいう存在が彼らにとって雲の上の存在であるからには「殺せ!」「突撃!」「逃がすな!」といった単純明快で具体性を欠くありがたい仰せにも、彼らは従ったのである。戦術的に、あるいは戦略的に意味のない指令であっても忠実に実行せねばならない。それが神の御意志であると言われれば、そうせざるをえないのだ。


 一人の騎士が、肩で息をしながら周りを見回している。手には刃こぼれの激しい長剣、乗馬は戦場を縦横に駆け巡り、敵の槍にかかってしまった。以降は徒歩かちで参戦していたが、歩兵にしてはあまりにも剛勇を誇っていたために敵のよい的になってしまった。それでも五体満足に生き残っているあたりが、非凡なところであろう。


 彼は正義の使徒というわけではない。神への信仰心は充分にあるが、戦いに参加したのは狂信的に正義を信じていたわけではない。単に、戦うしか能がなかったのだ。つまり傭兵である。ここにはそういう連中が多くいて、見返りをきちんと支払えば命がけで戦うし、純粋な信徒よりは戦闘に通じている。


 そういった連中は神をも畏れぬ、ならず者が多いが、なかには感化されて忠実な殺戮機械となる者も出てくる。学もほとんどないから、それらしいことを言えば信じ切ってしまうのである。教会としては、それらをうまく使いこなすことで、実に都合のよい駒にすることができるのだ。


 神への信仰心は流血を求めるが、見返りも多い。金銀財宝。酒に女。著しい功績を挙げれば土地もいただけるかもしれぬ。


 彼もその光栄に浴したことがある。金銭はあって困るものではないし、女は好きだ。ことさら奪ったことはないが、順番が巡ってくれば手を伸ばすことはする。そのあと、女やその家族がどうなったかなど、知る由もない。


 いや、知っている。知っていて目を逸らしていたのだ。その瞬間を見ていなければ、知らないことと同じではないか。


 彼はこの日、初陣であるかのようだった。「浄化運動」などと称して、異教徒を殺戮する行為は彼にとって不思議なものではない。だが、今日ばかりは周囲にまき散らされている惨劇を目撃して、立っている大地が崩れ去るかのような思いだった。


 老人の指を切り裂いて金の指輪を奪う。


 赤子を放り投げて、母親を犯す。


 健気に木の棒を持って立ち向かう子供を騎馬で取り囲み、痛めつける。


 ふと、ある女と目が合った。それは連行されていく一団で、大司教に献上される品々だ。彼女の瞳はなにも訴えなかった。あるいは救いを求めていたかもしれないが、彼の心は鈍重で、指先ひとつ動かせなかった。戦場では長剣を蛇のごとく自在に操れる彼が、である。


 一団の最後方に、お目付け役として従っている司教を見咎めて、彼は司教の肩を掴んだ。


「なにをする気だ」


 わかっているくせに、問わずにはいられない。司教は簡潔に答えた。


「大司教さまに献上するのだ。たっぷり可愛がってもらえるだろうよ」


 金銀財宝、成人した女だけではない。そこには年端もいかぬ少女や少年までもいたのだ。「戦利品」を献上するのは彼であり、大司教の心証をよくしようとの企みがあるに違いなかった。

 戦利品のうち、人間のほうは数日の命であろう。


「異教徒どもはいい。だが女子供まで誅戮する必要があるのか」

「正義の闘士たるダレン・ボレルの言葉とも思えぬな。女は子を産む。そして産まれた子は異教徒として戦場に立つ。なにも不思議なことはあるまい」


 こいつらは気が狂っている。ダレンはそう思った。少なくともついさっきまでは彼自身も狂っている側にいたのだが、今ではこの司教や僚友たちがおぞましい怪物に見えてならない。ダレンは剣を握る手に力を込めたが、それが振るわれることはなかった。ここで司教の首を刎ね飛ばして一団を解放しても、逃げ続けることは困難であろう。なにしろ、司教を殺せばそれはすなわち異教徒となることであって「正義の使者」を敵に回すことになるのだから、いくら音に聞こえたダレン・ボレルであってもひとたまりもない。


 ダレンは踵を返した。ここに留まることは不可能であると思われた。


「どこへ行くのだダレン卿」

「悪いがこれまでだ。俺は抜ける」

「裏切るのか」


 司教の言葉に、ダレンは瞳に雷光を閃かせた。裏切り?裏切りとはなにか。奴らこそ神の名を騙って略奪や凌辱を繰り返す獣ではないか。


「神はいずこにおわす」


 ダレンは天を見上げて呟いた。もし神がいるのなら、なぜこのような輩を生かしておくのか。頭上に雷が降り注ぎ、焼け焦げた枯れ木と化さしめようものを。


 頭を振って、彼は歩き出した。いかにも不敬な考えであった。彼は討伐軍で勇名を馳せ、神の名のもとに信仰心を振りかざして異教徒を打ち倒してきた。それに刃こぼれが生じたのは、まさにこのときである。


背後で制止する声が聞こえるが、かまうものか。彼もまた傭兵であり、仕事さえこなせば離れるのは自由なはずだった。もし力ずくで来るのならば是非もない、たちまちのうちに屍山血河を築いてくれる。


 司教は近くにいた騎士に、ダレンを止めるように命じた。司教としても、ダレンの武勇をみすみす逃す手はない。ただ、命じられた二人の騎士は顔を見合わせて譲り合った。ダレン・ボレルは味方にすればこのうえなく心強いが、敵にすれば手が付けられない。彼のために身長が三〇センチメートルほど小さくなった異教徒の死体を山ほど見てきたのだ。ときには三人に囲まれながら一息に首を刎ね飛ばしたこともあって「刈人」などと異名を奉られている。


 ダレンは振り返って紅鳶色の眼光を射込んだ。それだけで二人の騎士を圧倒し、釘付けにしてしまうと、再び歩き出して繋がれていた馬に跨った。


 司教と二人の騎士は駆け去っていく騎影を見送るしかなかった。


 ダレンは馬を駆って、無人の野を行く。針路は北をとっており、その先にあるアングレンという領地に旧い友がいて、領主をやっている。ひとまずは彼を頼って休息し、今後のことを考えるとしよう。


「待て、ダレン・ボレル」


 ダレンがとりあえずの目標を定めたとき、背後から疾走してくる騎影が呼び止めた。


 ダレンよりもいささか年上の騎士があっという間に追いついて馬を並べた。細身の中年の騎士の顔には見覚えがある。幾度も馬を並べ、背を合わせて戦ったベン・クィルターという男だ。特別友誼を図ったこともないが、生死を共にした戦友である。血の通った肉親よりも近い兄弟というべきだろう。


「司教の命令で追ってきた。戻れ」

「断る」


 取りつく島もないほど短い返答にベンは遠慮なく笑った。ダレン・ボレルがここで戻るなどという子供の家出のような真似をする男ではないと知っている。義理を果たしただけのことで、本気では到底ない。


 剣を抜きながら、ベンは再び声をかけた。


「ならば力ずくだが、如何に」

「是非もない」


 ダレンは速度を上げた。逃げるためではない。一撃を見舞わせるために方向を変えるのだ。


 ベンは抜き放った剣を高々と掲げた。ダレンの剣がゆっくりと抜かれ、下方に構えられる。四対の蹄の音が響いて重なり合い、長剣が激突した。


 周囲に音を発するものといえば風があるのみである。金属の甲高い咆哮が上がり、平野を下って行く。一際長い咆哮は、彼らがすれ違い、また距離を取ったためであった。


「なんたる剛剣だ」


 ベンは表情にこそ出さないが、手甲がはじけ飛ぶかのような太刀の残響に唸った。どちらも同じ型の長剣を使っており、こちらのほうがいささか剣の平が幅広である。膂力は、ダレンのほうが若いから向こうが有利であろう。


 唸っている間にも、ダレンは馬首を返して殺到してくる。彼の乗馬は今まで乗っていたものではない。調練は十全であろうが、それはこの馬の元々の持ち主にすれば、だ。比較して、小回りが利かないようである。それでも突進力は充分だ。ダレンは構わずにその剛剣に任せるにした。


 今度は二合、三合と打ち合う。刃を重ね合わせ、突き崩し、払って一閃する。剣技はダレンが上だが、馬術はベンに一日の長があろう。差し引いて、互角であった。


「……!!」


 十合ほど打ち合って鍔迫り合いになったとき、ベンは気づいた。奴の剣はぼろぼろではないか。


 払いのけて、ベンは距離を取った。


「やめだ、やめだ。こんなところでダレン・ボレルに勝っても、誰も褒めてくれぬ」

「どうした、怖気づいたのか」


 ダレンは薄く笑ったが、ベンは気分を害した様子はない。


「ふん、司教への義理は果たした。これだけ打ち合えば神も文句なかろうよ。元々、お前さんを止める気などないのだからな」


 剣を納めながら、ゆっくりと馬を寄せる。


「俺も行くぞ。あんな連中にこき使われるのはうんざりだ」

「背信者として追われることになるぞ」


 今度はベンが笑う番だった。それは闊達というにはいささか投げやりであったかもしれない。


「誰に背いたのだ?俺は神に背いたことは一度もない……いや、一度新妻を寝取ったことがあったが、それからは公明正大に生きてきたつもりだぞ。もし俺を罰するならばそれは神ではない。神の威光を借りて自分を強大に見せている狐どもだ」


 ダレンはうなずいた。ベン・クィルターのダークブラウンの瞳にたたえられた光は、自分と光彩を同じくしていたように思われたのだ。

ダレンは剣を鞘に納め、馬首を再び北へ向けた。こうして、旅の仲間が一人増えたのだった。


             ◇◇◇


 ダレンとベンが異教徒討伐軍として戦闘を行った「ジードレンム平野」から北へ四五〇キロメートルほどにアングレン地方はある。この辺りはリユフェニア王国領のなかでも他国に近く、異教徒たちがしばしば侵略行為を働く、軍事的な要衝でもある。アングレンの街の北西にグラント城塞があって、そこには常に三万騎が駐留している。アングレンの街はグラント城塞の補給線でもあるのだ。


アングレンの手前二〇〇キロメートルに位置するクローメントという村で、二人は一時の休息を得るために立ち寄った。身一つで飛び出してきたために食料や水、その他旅に必要なものを持ち合わせていなかったのだ。


 太陽は地平に没しようとしている。鮮やかな緋色が村の景色を彩り、炊煙があがって一日の最後の活気が立ち込めていた。男は仕事を終え、家族の元に帰る。家族は男の帰りを待って夕食を用意しているのだ。


 そんななかに、二人の騎士は入り込んでいったのである。善良な人々にはまったく見慣れないが確かに見覚えのある鉄の甲冑を着込んで剣を携えた二人組を、村人は好奇と非好意的な視線を送っていた。


 かつてクローメントの村は異教徒討伐の軍が立ち寄った際に世話をしたことがあるのだが、討伐軍を指揮していた司教が大変な俗物であり、酒と女を差し出させた。村の若い娘を毎晩代わる代わる弄び、これが五日間続いたが、異教徒の軍が目前に迫っているときに熟睡していたという大失態を犯して討伐軍司令官の任を解かれた。


 ある村娘が異教徒の動向を探り、こちらへ逆に進軍してきているとの情報を掴むと、一計を案じて差し出した酒に眠り薬を仕込んだのであった。


 司教は薬を盛られたのだと主張したが、この司教は仁徳あらたかな人間ではなかったらしく、兵士や戦闘指揮官たちの賛同を得られなかったのだった。


 とにかく、そんな事件があったから、この村の人間たちは高位の聖職者や異教徒弾圧の兵士たちに非好意的なのである。末端の兵士たちも、酒盛りをして騒いだり、適当なところで立小便をしたりしたので評判が悪い。だからダレンやベンなどの、いかにもな人間には非好意的というよりは明確な敵意さえ持っているのだ。


「ずいぶんと歓迎されているな」


 半白の頭髪を撫でながらベンは笑ったが、ダレンはというと馬上で村の景色を眺めやり、顎を撫でながら沈黙している。以前ならばなにか感想を言ったに違いないが、異教徒弾圧に疑問を抱いた今は憮然として閉口するしかない。まったく、異教徒討伐などというのはやくざな商売であり、低俗極まる。


 神はなにもおっしゃらぬ。人間が自分で勝手に敵を作り、戦い、屠っているだけなのだ。まともな神経とは思えない。


 ダレンは頭を振って苦笑した。つい先日まで異教徒を殺し、神の威名を知らしめる人間であったのに。過去の自分をまともではないと思うのは、まともになった証拠なのであろうか。


「一つ尋ねるが、ここに宿はあるか。空き家でもいい、夜露をしのげればそれでいいんだが」


 店じまいを始めようとしていた肉屋の主人にベンは問うたが、ぶっきらぼうに視線を二人の騎士に注ぐと、すぐに支度を再開した。


「さぁな。ここにあんたらの居場所はないと思うが」

「長居するつもりはない。今夜だけの話だ」

「今夜とはいつの今夜だ?何度太陽が沈めばいい?」

「哲学だな」


 眉をしかめたベンにダレンが代わった。元来、ダレンもベンも気の長いほうではない。それでもダレンが軽口を言えたのは、最初に応対したベンが貧乏くじを引いたというところだ。


「そうだな、フォストー並みの格言だ」


 ダレンの軽口にベンも乗った。フォストーとは古代の宰相、軍人であり、名軍師として名高い。一介の肉屋の主人が歴史に通じているはずもないので、ベンの皮肉は主人には通じなかったが、皮肉を言われたことはわかったらしい。無愛想な顔についている眉を不機嫌そうに吊り上げると、店じまいの手を止めて二人に向き直った。


「よそ者は出て行け。ここは盛り場ではないぞ」

「だが酒場はあるようだ」


 ベンが顎で指し示した先には、確かに開店しようとしている酒場がある。肉屋の主人は舌打ちしながらも語勢を弱めることはない。


「また戦になるのか。今度は何人殺す?何万人か」

「そうだな、差しあたってあの酒場にある酒を何十本か、飲み殺すのもいいな」

「出て行け、野蛮人め。神は貴様らをお赦しにならぬ」


 主人は、本来言ってはならないことを言っている。彼らが真実、討伐軍であるなら、彼らを異端呼ばわりすることは死を意味するのだ。異教徒として首を刎ねられても文句は言えない。


あまり頓着しないベンだが、彼は彼なりに神への信仰が篤い。剣の柄に手をかけようとしたとき、それを止めた者がいた。


「店主、もう店じまいか?」


 背後からした声に向いてみると、亜麻色の髪の女が麻袋を携えて立っていた。年の頃は一六、七だろうか、凛とした声と美貌が麗しい。佇まいの印象は、儚いというよりは生気にあふれて存在感がある。


「あ、ああ、いや」


 女はベンの横を通り過ぎて主人の前に立った。ベンも、ダレンさえも黙って彼女の行動を見守っている。


「じゃあ鶏を三羽。鹿も入っているようだね。今日はお客さんが来るから、多めに頼むよ」

「わ、わかった」


 明らかに主人が気圧されている。肉屋の主人はそそくさと言われるがままに用意を始めた。

 亜麻色の髪の女は二人に向いて、頭を下げた。


「私はソフィーリアといいます。さぞかし高名な騎士とお見受けしました。どうぞ、私の家で旅の疲れを癒してください」


 ダレンとベンは顔を見合わせた。肉屋の主人と違って丁寧な物腰が、逆に罠ではないかと疑わせたのだ。最初にきつく拒絶しておいて、別の人間が手招きする。そうすれば信用して隙もでき、そこを叩く、というところだろう。


 そう考えておいて結局二人が申し出を受けたのは、注文の品を受け取ったソフィーリアがさっさと歩きだしてしまったからである。追いかけていくダレンの背後で「厄介なことにならなきゃいいが」という肉屋の主人の呟きが聞こえた。


             ◇◇◇


 謎の女、ソフィーリアの家は、村から少しはずれた小高い丘の上にある小屋だ。庭には羊が放し飼いになっており、ささやかな菜園もある。下ったところには小川が流れているので、一人で暮らすには充分であろう。


「一人なのか」

「はい。去年、私を世話してくれた老婆が亡くなりました。他に身よりもおりません」


 木桶に水を用意して二人に汚れを落とさせたあと、ソフィーリアは自分と客人のために食事を作り始めた。とはいっても、野菜のスープとパンと、肉屋で買ってきた鶏肉を一羽まるごと焼いた大胆なものだが。


 調理者の美しさと大胆にすぎる料理とを見比べながら、ダレンは質問を続けた。


「世話してくれた老婆、と言ったな。血のつながりはなかったということか」


「育ててくれた祖母」ではなく「世話してくれた老婆」という言いかたは、そういうことであろう。まさか礼儀を欠いているだけということもあるまい。


「実は私はアングレンの出身なのです」


 ソフィーリアは自分の出自を細かに説明した。


 アングレンには兵力として騎兵二千と歩兵が一万ある。そのうち、騎兵を百騎ほど率いていた騎士がソフィーリアの父親であり、これが八年前に異教徒討伐軍に参加して領主ツィードをかばって命を落としてしまった。ツィードは彼を讃え、下級騎士から士爵に任じ、その家族を保障した。つまりソフィーリアである。妻はすでに亡く、一人娘のソフィーリアを引き取って、娘のように可愛がった。


 ところが、四年前に王都からの徴税官がアングレンを訪れた際、ソフィーリアを見初めてしまい、ソフィーリアが断固として拒否した。その徴税官は収賄、暴行などを常習し、私腹を肥やす小役人であったからだ。


 ツィードとしても、責任ある立場であるし、徴税官を敵に回すのは領地全体に得策ではない。ソフィーリアは「嫁に行くくらいなら王都に行って直談判してやる」などと言っている。娘のように思っているソフィーリアをもちろん、あの徴税官ごとき輩にはやれぬ。


 ツィードは仕方なく、ソフィーリアを隠すことにした。密かにアングレンを脱出させ、クローメントにいる領主邸の元世話係に託したのだった。

 後日、徴税官がソフィーリアを貰い受けに領主邸に訪れた際、ソフィーリアがいた形跡をことごとく消して、夢でも見たのだろう、などと言って笑って否定した。そんなはずはない、と徴税官は屋敷のなかを隈なく探したが、いないものはいないのだ。限りなく確信に近い疑いの目をツィードに向けながら、退散するしかなかった。


もっとも、ソフィーリア自身は反発して出て行こうとしなかったが、引き取って面倒を見てくれた父のごときツィードに頭を下げられては、ついに折れるしかなかった。


 こうしてクローメントの村にやってきたソフィーリアだが、二年後、異教徒討伐軍の宿営地になったとき、またしても問題を起こしてしまう。件の、司教に眠り薬を盛った娘、これが彼女だったのだ。自分も対象になってしまうのだから、身を守るためには致し方ないというのが彼女の主張である。


 これは村でも問題になったが、積極的に彼女を排除しようという者は誰もいない。手籠めにされた娘の両親が、手籠めにされずに済んだ娘の両親がソフィーリアを糾弾できるわけがなかった。


 特にお咎めはなかったものの、それからは皆、彼女に対する態度が腫物を扱うようになったのは事実である。美貌のため、村の男たちが言い寄ったものの、全員が手ひどい返り討ちに遭ったということも手伝っているだろうか。


「道理でな」


 鶏肉を頬張りながら、ベンは言った。彼女の真面目で正義感の塊のような雰囲気が、無謀とも思える行動を起こさせる理由であるかのようだった。


「肉屋の主人の反応はそれが原因か。しかし無茶な奴だ」


 徴税官はともかくとして、司教に至っては一歩間違えば村全体の責任となって、異教徒として処断されてしまうかもしれなかったところだ。なにしろ異教徒、異端とは高位の聖職者にとって都合の悪い人間であり、もっと言えば彼らの気に入らない類の人間のことをしばしば指すのだ。無実の人間が異端として処刑されるなどということは日常茶飯事で、司祭やら司教やらが「異端だ!」と叫べば、即座に絞首台の主となってしまう。


 そんなことだから、聖職者の権限が増すばかりである。人間の道徳観を統一し、行動原理を作り上げる宗教は、民衆を一つにまとめあげるのに実に都合がよい。国家にとって宗教は利用するべき材料なのだが、利用する側とされる側が逆転することはよくあることなのであった。それどころか、宗教によって国家の正当性を保障することすらある。


「お願いです。私も戦列の末端にお加えください。従者としてでも構いません。あのような連中のためではなく、真に信仰心ある者として神の教えを広めたいのです」


 ダレンはスープを口に運ぶ手を止めた。ベンも、興味深げにソフィーリアに視線を注いでいる。つまるところ、よそ者二人を家に招待したのはそれが目的だったのだ。


「戦いたいのか」


 ダレンの問いは、単刀直入にソフィーリアの本心を確かめたかったからであった。


 翡翠色の瞳に宿る光は、持ち主が背筋を伸ばしたのに呼応したかのようだった。


「殺したいわけではありません。戦わなければそれに越したことはない。ですが、そうではない場合が多すぎることを知っています」


 この娘は利口だ。ダレンもベンも感心したように頷いた。ただ、それとこれとは別の話だ。


「心意気は買うが、女を連れて歩くほど余裕を持たぬ」

「女とは思わないでいただきたい。同じ信徒として働きたいのです」

「女とは思うな、か」


 ベンはソフィーリアを観察した。見てくれはよいし、出ているところは出ている。王都でもなかなかお目にかかれないほどの美貌を、女と見るなとは難しい話である。


 そもそも、教会は女を騎士としてどころか戦士としてすら認めないであろう。あらゆる政治的、社会的な権利を保有しない女性というものを、戦力として数えるわけにはいかない。女のくせに黙っておれ、と一喝されるのがおちだろう。


 ベンの視線を感じ取って、ソフィーリアは軽く咳払いした。ダレンに向き直って、彼女はベンよりはダレンを熱心に説くことに決めたようである。


「なんなら、髪を切って覚悟を示してもよろしいが」


 果物を切るのに使っていた短剣を取って、後ろ髪に当てつけたソフィーリアを、ダレンは制した。そこまでする必要を認めないし、それに髪は長いほうが好みである。


 ダレンは顎を撫でた。思案するときの、これは癖である。


「……俺たちはアングレンへ向かっている」

「アングレンへは、軍事行動なのですか?確か、ジードレンムにて戦端が開かれていると聞いていますが」

「なかなか詳しいな。だが軍事行動というわけではない。ジードレンムでの戦いはすでに終結し、休暇を取ったところだ」


 事実とは異なるが、嘘は言っていない。ダレンにしてみれば永遠の暇をもらったことになるし、もし軍を脱して流浪の旅に出る、などと正直に言ったら、この正義感の強い娘のことだ、いっそういきり立って教会に表だって反発するかもしれない。そうなれば、この娘の騎士としてというよりは未来そのものが危うくなる。あるいはダレンの行動を非難し、教会に通報するかもしれぬ。そうなってしまったら、口を封じるしかなくなるではないか。


 ダレンは率先して略奪をしたことはない。女子供を斬ったこともない。せっかく嫌な奴の命令を聞かなくて済むようになったのだから、嫌なことは極力避けたいところだった。


 ソフィーリアはそうですか、といささか落胆した様子だったが気を取り直し、


「気になることがあります。月に何度か、ツィード様とは手紙のやりとりをしているのですが、最近は滞りがちで。もしなにかお困りだとしたらお力になりたいのです」


 顎を撫でながらダレンは唸った。連絡が途絶えがちというのは確かに気になる。これから頼ろうという人間が我々に構っている暇はない、という事態は無視できない。


「……アングレンに着くまでは面倒を見てやる。それからは領主閣下と相談するんだな」


 さりげなく、ダレンはこの娘の処遇を幼なじみに押し付けた。元々、彼が保護者なのだから、非難されるいわれはあるまい。

翡翠色の瞳が爛々と輝いて、ソフィーリアは勢いよく頭を下げた。良すぎて、長い髪が投網のように鶏を捕えたものだった。


「ところで、失礼ですがお二方のお名前は?」


 乱れた髪を整えながら、さぞかし名のあるお方なのでしょう、と期待を込めた瞳を向けてくる。


「どうしてそう思うんだ?」


 ダレンが問うと、ソフィーリアは床に置かれた甲冑を指し示した。無骨な鉄の甲冑には装飾らしい装飾はないが、一点だけ、胸のところにメダルがはめ込まれている。それは金でできていて、鳩と百合の組み合わせが象られている。


 通常、ここには銀のメダルがはめ込まれるようになっていて、騎士階級にいれば授与されるものだ。しかし金のものは特に異教徒討伐においてめざましい功績をあげた者に与えられる勇者の証で「メダル付き」とか「栄光の騎士グローリーナイツ」などと呼ばれる。


「なるほど、金銭にするわけにもいかんから取っておいたが、意外なところで役に立ったな」


 とはベンは口にはしない。だが、ソフィーリアが彼らを見込んだのは、ひとえにこのメダルあってのことであろう。そのおかげで一晩の宿と食事にありつけたのだから、まるきり役立たずの単なる装飾というわけではない。一般には羨望に値する代物ではあるのだが。


 ダレンは一瞬だけためらったが、


「アレスター」


 と名乗った。もちろん偽名で、ベンは意味ありげな視線をダレンに注ぎ、ソフィーリアに促されて、


「ベン」


 と短く名乗った。ベンという名前はありふれたものであるし、むしろクィルターというほうが珍しいから、素直に名を言ったほうがよいであろう。


 ソフィーリアは生真面目に無知を謝した。架空の騎士アレスターと架空未満の騎士ベンはなんとなく視線を交わし合って苦笑した。


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