縮められた距離
「は?」
「だから……全部、沙耶が仕組んだことなの」
さて、今現在、目の前で話しているのは誰なのだろう。
思案しながら言葉を紡ぐところは彼女らしいのだが。
イメージがどんどんと剥がれ落ちていくような気がする。
「泉さんが仕組んだ事、ね。まぁ思い当たる節も無くは……無い、か」
「……ほんとごめんなさい」
肩を落とす滝川さんを見ながら、コーヒーカップに口を付ける。
「いや、滝川さんが謝る事じゃないよ。それに迷惑だとは思ってないからさ」
カップをソーサーに戻しつつ答え、軽く微笑んでみせる。
この状況で、少なくとも彼女を凹ませる事は本意ではない。
なんせ今は泉さんの姿はここに無く、滝川さんと二人でファミレスにいるのだから。
「でも泉さんがねぇ。勘ぐり過ぎな気もするけど」
「沙耶は……嫌がらせで嵌めるような事はしないけど、上手く誘導するくらいの事、やってのける……」
泉さんて、そんなに策士だったのか。そんな印象はないのだが。
たしかに、以前も高瀬さんにも言いように連れまわされた記憶がある。もちろん悪気があるわけじゃなく、ただ自分のペースで動いてただけなんだろうが。
僕が押しが弱い方というのもあるけど、それ以上に彼女達は役者なのかもしれない。
ちょっと前に、駆け引きでは勝てないと思ったっけな。
まぁなってしまったことは仕方ない。今は目の前に集中しよう。
目の前には、驚くほど多弁な――あくまで普段の学校と比較してだが――滝川さんがいる。
なんともレアな状況。さって、何を話すべきか。
以前も思ったが、話題が浮かばないのだ。
思案しながら、運ばれてきたアイスクリームを口に運べば、滝川さんはショートパフェをどこから食べようかとくるりと一回転させていた。
「夏休みの宿題はどう? 進んでる?」
「……順調かな。でも数学の進みがちょっと悪いかな」
答える彼女の姿をよく見れば、当然のごとく私服姿だ。
夏祭りで会った時も私服だったはずだが、人だかりと花火のためか記憶に無い。
公園での立ち姿を思い出せば、今日は白いブラウスにデニムのスカートだった。
日頃見ている制服姿のイメージとはちょっと違うな。
ヘアピンで前髪を留めているせいもあるのだろうか。
「……イチ君」
僕がアイスを食べ終わるタイミングを見ていたのか、スプーンを置く瞬間に声がかけられた。
「なに?」
滝川さんのパフェは半分、といったところか。
「その……今日、どう思ったかな……って」
伏目がちに消え入りそうな声で呟かれた。
「今日、というと……図書館のこと?」
滝川さんはスプーンを咥えたまま頷いた。
おそらく今日、一番聞きたかった事なんだろう。
想定外に知られてしまった秘密。それを知ってどう思ったか、気になるのは当然だと思う。
「そうだね」
ガラス越しのブースの中で、柔らかい微笑をたたえ本を読む彼女の姿。聴き入る子ども達。おそらく彼女になついているのだろう。
「意外、かな」
結局なんの捻りもない、ストレートな言葉が口をついた。
「でも凄いね。とても僕にはあんな風に朗読なんて出来ないよ」
「……そうかな?」
「うん。僕もよく本を読むけれど、朗読は別モノだよ。『読める』と『書ける』みたいにさ」
読書は能動的なインプット。朗読はアウトプット。必要な技術も異なるはずだ。
そういう面で考えれば、朗読と会話もまた異なる事になり、練習としてはどうなんだろう、と疑問に思ったが口には出さない。
まぁ、対人、という意味では効果がないわけではないだろう。
もちろん、純粋に会話を重ねる方がいいとは思うのだが。
……あ、なるほど。
そこまで考えて、泉さんの狙いが分かった気がした。
僕は彼女の事をよく知らない。彼女にしても似たようなものだろう。
でも、微かに面識だけがある。
ならば自己紹介でもないが、特別な話題などいらないんだ。
知りたい事、気になる事を訊けばいい。
「そういえば、さ」
僕の言葉に滝川さんはスプーンを置き小首を傾げた。パフェを完食したようだ。
「滝川さん、兄弟いる?」
「ん? ……いないけど」
そこで止まった言葉。僕は先を促がす。
滝川さんははじめきょとんとしていたが、コーヒーを一口飲めるほどの間を空けて口を開いた。
「イチ君は?」
「僕は兄が一人いるよ。音楽の趣味も元を辿れば兄貴さ」
「そう、なんだ。へぇ……」
なんともぎこちないキャッチボール。
それでも一歩には変わりない。
彼女の存在を知ってから一年半ほどになって、今更ながらに春先の教室のような会話をしている。
見ているテレビ。趣味といえるもの。例えば、読書の傾向。
「うーん。僕は歴史物とか、青春ミステリが多いかな。日常の謎、みたいなの」
「そっかぁ……。学園物で何かあったら教えてくれる?」
「うん。ちょっと見繕ってみるね」
いくつかそんな会話をしたところでタイムアップを迎えた。
さすがにこれから夕飯時となるのに、長時間居座り続けるわけにも行かず、店を出ることにした。
「それじゃ、またね」
「うん。……今日は、ありがとう」
滝川さんの言葉に僕は微笑んで手を振ると、彼女はひらりと自転車にまたがって走り去っていった。
そんな後ろ姿を見送り、僕は駅へと足を向け、歩きながら今日の出来事を反芻する。
泉さんに呼ばれ図書館に行った事。職員の寺田さんに見つかった事。見つかる事は想定していたのだろう。
見つかれば図書館に来ていた事が滝川さんに伝わる。そうなれば、滝川さんは僕達を、いや、泉さんを追ってくる。
ここまでは泉さんの予想通り進んでいた。
でも一つだけ、読みきれないと言っていた。
それは滝川さんがどういう態度をとるかということ。
僕の前でも普段と違う姿を出せたならば、今後のやり取りが楽になるだろう、と。
事実、僕に対しての壁は薄くなったのだろう。今までよりも口が滑らかだったのがその証左だと思う。
滝川さんは言った。『全部、沙耶が仕組んだことなの』と。
相手を良く知っているからこそ、その行動を読むことが出来るのか。
思考を止めずに改札を通過し、電車に揺られる。
でも何故、僕なのだろうか。
気まぐれの一件は確かにある。だけど、それが決め手になるほど大きな事象かといえば、違うと思われる。
それに何より、このタイミングで弱音を晒してまで、僕と滝川さんの間を詰めなければならなかったのか。
そうしなければならない理由が見つからなかった。
泉さんのこと、ただそうした方がいいと思っただけなのかもしれない。
地元駅に着いたことに気付き、思考をやめる。
意図を読み取ったところで、これからが変わるわけじゃないだろうし。
要は、滝川さんが慣れればいいのだ。
だけど、男女であることが問題にならないのだろうか。
まぁ意識されてないのかもしれないけれど。それはそれで悲しいような気がしなくもないのだが。
シゲに後で聞いてみよう。今日の報告も兼ねて、ね。
部屋に戻った僕は、今日の分の課題を片付けるべく机に向かった。
夕食後、再び部屋に戻るとケータイにメールが届いていた。
開けてみると泉さんからであり、中身は「今日はごめんね。ありがとう」とシンプルなものだった。
何となく違和感のようなものを感じたが、それが何なのか分からない。
気のせい、かな。
そう思い直してメールを返信する。
気付けば、夏休みも折り返し地点に差し掛かっていた。