既知と未知
僕は、彼女の事を何も知らない。
知っているのは、名前と音楽の好み。それくらいだ。
彼女の性格すら、よく掴めていない。
それが事実。
会話だって、満足に出来てるわけじゃないし。
ほとんどの情報は、泉さんや高瀬さんから聞いた話によるものだ。
周りがどう言おうと、距離は縮まっていない。
夏祭りから帰っても、その考えは変わらなかった。
そんな夏祭りから一週間後、泉さんから呼び出しがかかった。
そのために相変わらずの暑さの中、言われたとおりに駅に着くと、泉さんの姿が既にそこにあった。
「ごめん。待った?」
「大丈夫。今来たところよ」
そう言いながらも、泉さんの顔に汗は見られない。
「それで、連れて行きたい所って?」
「そう焦らない。ま、とりあえずちょっと涼もうか」
泉さんは僕の言葉をさらりと受け流して歩き出す。
微かな不安を感じながら、僕は彼女の隣に並んだ。
「なかなか面白い人ね。シゲ君て」
「そうかな?」
駅前のファストフード店に入り、シェイク片手に言葉を交わす。百円で済む上に涼める。合理的だ。
「オゴリにしたのは、彼の発案でしょ?」
「正解。まぁいつもの事なんだけどね」
アイツの主義みたいなものだ。バイトで稼いでるのもあるのだろう。
むしろ、そうすることで相手の何かを測っているような節もある。
僕にはさっぱり分からないのだが。
「僕も中学の時に周りに馴染めなくてね。その時に引っ張ってくれたのもシゲだったんだ」
「へぇ。意外。イチ君は誰とでもそつなく交われる人、と思ってたけどな」
「そんなことないよ。結構いっぱいいっぱいだよ。シゲみたいにはとても」
僕はかぶりを振ってストローを咥える。
一時期、シゲの行動を真似たこともある。でも、すぐにボロが出た。
シゲに「潤也には潤也の距離感がある。俺を真似てもダメだ」と言われたのを記憶している。だが未だにその距離感がどのくらいなのか掴めていないのが現実だ。
「確かに、シゲ君は誰とでも付き合えそうだね。千里が気になったのも分かる気がするわ」
やっぱりか。あそこに二人がいたのは、高瀬さんが呼んだのだろう。
一番のイレギュラーはそこだった。
「高瀬さんが、シゲのことを?」
「うん。はっきりとは言わなかったけどね」
泉さんは微笑んでいる。
何を気にしたのだろう。そして、泉さん達を呼んだ理由。
シゲは二人をクセモノと評していた。僕には荷が重いとも。
つまり、僕では彼女達と切り結ぶには力不足だというのだろう。
言葉尻に引っ掛けたり、カマをかけたりするのは無謀だということか。
僕は僕なりに、相手をするべきか。
思考しながらシェイクを飲みきって口を開く。
「高瀬さん思うところを、今ここで考えても仕方ないでしょ。それよりも、今日の本題は何?」
「そうだね。そろそろ行こうか。市の図書館まで行くんだけど、バスとチャリの二人乗り、どっちがいい?」
「へ?」
市の図書館までは歩くと二十分程かかる。この暑さの中歩くという選択肢を取りたくないのは当然だ。
たまには見栄をはってみようか。
「自転車にしようか。お金は大切、ってね」
「もちろん、イチ君が運転よね?」
「そうだね。たまには男らしいところも見せようか?」
「期待してる」
期せずしてお互い笑顔を浮かべていた。
自転車で十分ちょっとで図書館に到着した。
一人での運転ならばもっと時間はかからないだろう。
泉さんは思ったよりも軽く、また坂道も無いので思っていたほどの負担にはならなかった。それでも汗をかくことに変わりはない。
「中は涼しいから。行こうか」
僕の呼吸が落ち着くのを待ってから館内へと入れば、館内は汗をかいた体にはちょっと寒いくらい、空調が効いていた。
しかし、わざわざ図書館に行くなんて、何の用だろう。
泉さんと図書館、やはり結びつかない。
「こっちよ」
泉さんの案内で進んでいくと、先にはガラスで区切られたブースがあった。
中には小さな子供達の姿が。幼児用のスペースなのだろう。積み木なんかも見える。
その中で、一人の少女が絵本を読んでいる。子供達はそれに聴き入っているようだ。
そんな本を読む少女の顔を見て、僕は思わず声が出そうになった。が、かろうじで飲み込んだ。
「泉さん?」
「うん。美優よ」
僕の発した言葉に、泉さんはさらりと答えた。
絵本を読む彼女の姿。それは僕の知る彼女とは別人のようだ。
柔らかな、優しい微笑みを浮かべ、ゆっくりと言葉を発している。
彼女の声って、こんな感じだったのか。
ブースから漏れ聞こえてくる声に、新たな印象を受ける。
これまでは小さく呟く声しか聞いたことがなかったからだ。
「これは、いったい?」
「あの子なりの練習、かな」
泉さんの言葉を聞きながら、ブースの中を見つめる。
練習。人前で話すことの、だろうか。
抑揚をつけ、気持ちを込めて読むのは様になってるように見える。
「中学の頃からよ。ここで朗読をやってるの。普段は月1なんだけど、今は夏休みだから週一かな。まぁ毎回参加してるわけじゃないけどね」
「そうなんだ」
どうりで慣れてるはずだ。
もっとも、僕からすれば本を読んでいる彼女そのものが違和感の塊みたいに感じるのだが。
これが、僕の知らない彼女の一面、なのか。
「あら。沙耶ちゃんじゃない」
「あ、寺田さん。お久しぶりです」
泉さんは職員と思われる女性に丁寧に頭を下げた。
「こちらは?」
「クラスメイトの市岡君です」
「市岡です」
泉さんの紹介に僕も小さく頭を下げる。
「職員の寺田よ。ゆっくりしていってね」
そう言い残して、寺田さんは蔵書と思われる本を両手に去っていった。
「見つかっちゃったか。美優にバレるな、これじゃ」
「へ?」
思わず泉さんの顔を見る。
「美優には言って無いのよ。イチ君を連れてくるってこと」
え、それって。
上げそうになった声を思わず飲み込んだ。
滝川さんを見る泉さんの目、それがひどく悲しそうに見えたからだ。
僕は再び視線をブースの中に向ける。
ヘアピンで前髪を留め、微笑みを絶やすことなく物語を紡ぐ彼女の姿。
その笑顔の奥で、何を思っているのだろうか。
朗読の時間が終わるのを待たずに、僕達は図書館を出た。
蝉が騒ぐ並木道を二人並んで歩いていく。
泉さんは何故、僕にあれを見せたのか。
期待、なのだろうか。何がしかの手助けが、僕に出来ると?
人当たりの良さ、社交性、どう考えても泉さんの方が上だ。
コミュ論において、僕が上回る要素など無いように思える。
「イチ君」
「何?」
不意に呼ばれた言葉。それも普段より硬質な声ならば、答えた僕の声も素っ気無いものだろう。
「あたしは四年、美優を見てきてる。あの子が自分なりに努力してることも知ってる。あたしなりに手伝ってきたつもりだけど、あの子は変わらない……いや、変われなかった」
言葉を切ると同時に、泉さんは足を止めた。
「それなのに、キミはわずかな時間であの子の行動を引き起こした。たとえそれが気まぐれだとしても、その事実は変わらないわ」
泉さんはまっすぐ僕の目を見ている。
「泉さんは、僕に何を……」
「そうね。あの子の傍に、いてあげて欲しい。あたしでは出来ない事が、キミには出来るかもしれない。きっと、あたしにはあの子の気持ちを理解出来ないから」
泉さんらしい、ストレートな物言いだと思う。普段ならば、そんな自信の無い発言はしないだろう。
だけど。
「たしかに、滝川さんを手伝いたいという気持ちはあるし、僕に何かできるなら、と思わなくも無い。でも……それが同情だとしたら? 相手がそれに気付いたら? 僕自身、同情だなんて思ってるつもりは無いけど」
いったん言葉を切って、息を吐く。
「もし、そういう風に思われたら、もう受け入れられなくなるんじゃないかな。それに……正直、期待は重いよ」
正直な思いだ。
その人に何かが出来る、そう思うことはある意味で傲慢なんじゃないだろうか。
個人の持つ影響力。それを把握している人ならともかく、僕程度では……。
「場所、変えようか」
泉さんはそう呟いて、再び歩き出す。
僕は軽く溜息を吐いて、その後を追いかけた。