tell me the way
今年は猛暑だと言われてる。
私は自転車を駐輪場に置いてから額の汗を拭った。
市内にある図書館に私は定期的に通っている。最初に行き始めたのは、中学一年の夏休みだった。
その頃からずっと職員の寺田さんにはお世話になっている。
「美優ちゃん、久しぶりね」
「……ご無沙汰してます。寺田さん」
「うん。今日もお願いね。この中から選んで頂戴」
そう言って寺田さんは私に何冊かの絵本を渡してくれた。
絵本。そう、子供が読む絵本だ。
定期的に来る理由。それは子供達に絵本の朗読をするためだ。
中学二年の時、私は既に常連だった。
いつも一人で来る私の事を、寺田さんは心配して声をかけてくれた。
寺田さんは、今は中学生になる子供を持つ母親で、気さくで明るい人だ。
わずかな会話。それを繰り返し、いつしか家族と沙耶を除いて最も話をする人になっていた。
そして、ふとこぼした私の悩みに寺田さんが出した提案。それが子供達の前での朗読だった。
「人前で話す事につながるし。きちんと読めば、子供達は待っていてくれるわよ。それに、例え嫌われたって頻繁に会うわけじゃ無いんだし。嫌だったら、すぐ辞めてもいいわよ」
私はこの言葉になるほどと思い、大体月に一度、朗読をするようになった。
でも先月は来れなかった。テストのタイミングと重なったからだ。
それでももう始めて二年になるか。自分が変わった気はしないけど。
ただ、集まってくる子供達が可愛くて。
見てるだけでも、優しい気持ちになるというか。
そして、自分の朗読に喜んでくれるのがとても嬉しかったんだ。
「――。こうして、二人は仲良く幸せに暮らしました。おしまい」
読み終わった本をそっと閉じる。
「おねーちゃん。つぎ、こっちのごほんよんでー」
「いいよ。読んであげるね?」
「うん!」
ほんと、可愛い。
見てるだけでも笑顔になってしまう。
「んじゃ、始まるよー。……昔々――」
ゆっくりと、聞かせるように読むのは、ただ読むのとは違う。
一言一言に、読み手の感情が乗るからだ。じゃないと、物語が平坦に聞こえてしまう。
寺田さんにそう言われ、注意しているうちに、そういう読み方がだんだんと出来るようになってきた。
感情を表す事。これも必要な事なんだよね。
自分の言葉じゃ、まだ上手く出来ないけれど。
「今日もお疲れ様」
「……ありがとうございます」
事務室で淹れてもらったコーヒーを飲む。これもいつもの事だ。
「美優ちゃんの声は落ち着くのよねぇ。子供達もじっと聞き入ってるし」
「……そうなんですか?」
読む方に集中してるから、どんな風に聞いてるかはあまり見てない。たぶん気にすると逆に意識してしまいそう。
「うん。でも今日はちょっと違ったわね。学校で何かあった? ……て、夏休みか」
寺田さんは忘れてた、と言いながらコーヒーを啜った。
ここ二ヶ月の学校、か。
何かあったって聞かれてもなぁ。
……あ。
「……ちょっとだけ、クラスの男の子と話しました」
「本当に?」
私はコクリと頷きかけてから、はい、と答えた。
同時に思い出す、千里と歩いていた姿。
何故そこを思い出したんだろう。
「そうかぁ。ちょっとは進んだのかな? どんな男の子?」
「……普通、ですね。音楽の趣味……好みが似てるかな」
「普通、ね。もうちょっと表現ないの?」
そう言われてもなぁ。
特に目立つ人じゃないし、特別秀でてる部分を知ってるわけでもないし……。
首を捻っている私を見て、寺田さんは大きく息を吐いた。
「美優ちゃん、もういいよ。ごく普通の男の子なんでしょう。それで……話しかけてるの?」
「……いいえ」
つい首を振りかけたが、否定の言葉を口に出す。
きちんと言葉で返す事。それも寺田流のルールだ。
「じゃあ、次はそこかな。といっても、皆いる教室じゃ厳しいか」
考え込む寺田さんを尻目に、私はコーヒーを飲み干した。
「今度さ、その子をここに誘ってみたら? 夏休みだし、宿題やろうでもいいからさ。ちょっとぐらいのおしゃべりには、目をつむるわよ?」
「……えぇ?」
驚くタイミングまで一拍遅れた。
「連絡先くらい、知ってるんでしょう?」
「……はい」
「まぁ無理強いはしないけど、ちょっと考えてみたら? 沙耶ちゃんだって賛成すると思うわよ」
そうだろうな。この前だって似たような提案してたし。
「んじゃ、またよろしくね?」
「……はい。失礼します」
一礼し、事務室を後にする。
図書館のメインホールに足を踏み入れた瞬間、ポケットでケータイが振動した。
珍しく、沙耶からの電話だ。足早に図書館のエントランスを出て、ボタンを押す。
外に出た瞬間、熱気に当てられクラっとしたけど。
『もしもし、美優、今どこ?』
「……図書館。朗読の日だから」
『あぁ。そっか。終わったの?』
「うん」
『じゃ、いつもの所で。いい?』
「分かった」
『うん。じゃ、後でね?』
ま、これもいつも通りかな。
私はケータイをしまい、自転車置き場に向かった。
いつもの場所に自転車が止まっていた。
沙耶はいつも通り、川側の斜面に寝転んでいた。
焼けちゃいそう、と思いつつその隣に腰を下ろす。
「お疲れ。どうだった?」
「うん。楽しかった」
「美優は子供に好かれるからね」
一度だけ、沙耶も参加したことがあった。
その時沙耶は、元気のいい子に振り回されて、朗読どころじゃなくなってしまった。
元気な人には、元気な子が寄ってくるのかも。なんて寺田さんは言っていたけどね。
そんな事を思い出して、私はクスっと笑う。
「その笑顔が、子供達を惹きつけるのかもね」
「へ?」
「寺田さんが言ってたよ。本を読んでいる時の美優は、優しい笑顔をしてるってさ」
そうなんだろうか。自分の姿を見ることは出来ないから、言われてもピンとこない。
「あたしはダメ。逆にしかめっ面になっちゃうからさ」
沙耶はそう言って笑う。
「その辺り、アンタに敵わないと思うよ。あたしには無理だもん」
純粋に褒めてくれる言葉は、正直恥ずかしいもんだなぁ。
「千里に話聞いたわ」
沙耶が唐突に話題を変えた。
「……話?」
「この前の事よ」
この前……イチ君と一緒にいた時の事かな。
「面白い事言ってたわ。彼は彼で面白いけど、彼の親友に興味がある、ってね」
彼の親友。真っ先に思いつくのは瀬名君だけど、違うんだろう。
だとすれば、去年一緒だった人とか、かなぁ。
「何でも、地元の子だってよ。ウチの高校じゃないみたいね」
それじゃ分かる訳ないね。
「……何でそんな人の事を?」
「うん? 去年、千里の街の夏祭りに、一緒に来てたみたいよ。そこでバッタリ会ったんだって」
なるほど。そういう縁か。
でも、千里が興味あると言った親友、ちょっと見てみたいかも。
「気にならない? あの千里が興味持つだなんて」
「……うん。気になる」
そう、あの千里が、だ。
彼女に告白して散っていった男子は、片手では収まらない。
本人いわく「義理で、というのも失礼でしょう?」との事。
いや、同意を求められても私には分からなかったんだけど。
沙耶は「確かに」と頷いていた。まぁ沙耶も昔から人気あった。中学の頃は何回告白されたのか。私の知る限りで三回は確認している。
「夏祭り、行ってみようか?」
「……考えとく」
去年は即決で否定したけど。
ちょっとだけ、興味の方が上回ったみたいだ。