狙い所
相変わらず夏らしい快晴の日々が続いていた。
蝉の大合唱も、毎日続くとさすがにうんざりしてくる。
そんな中、僕は粛々と図書室に通い宿題に励んでいた。
初日こそ泉さんに捕まったが、その後はすこぶる順調に進んでいる。
とりあえず一息入れようと、僕は学食前の自販機で缶コーヒーを買い、日陰に移動して缶を開けた。
しっかし、今年もほんと暑い。缶コーヒーもあっという間にぬるくなってしまいそうだ。
そんな事を考えながらゆっくりと飲み干そうとする頃、僕はこちらに歩いてくる人影を視界の端に捉えた。
「あれ?」
その人物は僕の姿に気が付くと、意外そうな声を出した。
「イチ君じゃない。どうしたの?」
「高瀬さんこそ」
やって来たのは漆黒の髪を靡かせた高瀬千里だ。どうも今年は縁があるらしい。
「仁美と一緒に来たのよ。表向きは宿題をしに、だけど」
大方、休みに飽きたと見た。
「僕も同じだ。図書室でだけど」
図書室に二人の姿は無かったから、教室にいるのだろう。
僕が飲みきって缶を捨てる間に、高瀬さんは飲み物を二本買っていた。聞くまでも無く片方は望月さんの分だろう。
「毎日来てるの?」
「ここ数日は毎日だね」
教室に戻るため渡り廊下を並んで歩いていく。
「へぇ、ちょっと意外かも」
「そう?」
「家でやるタイプだと思ってた」
持たれていた印象に僕は思わず苦笑い。
「逆に、家だと集中出来ない方だよ。テスト前はやるけれど」
「わたしもそうだわ」
僕にとってはそっちの方が意外だが。
「あ、そうだ」
校舎内、階段の手前で高瀬さんが足を止めた。
教室へは階段を上がらなければならないが、図書室は真っ直ぐ正面方向だ。
「明日、遊びに行かない?」
「へ?」
僕は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「前に言ったでしょ? 夏休みになったら、って」
確かに、電車の中でそう言われた記憶はある。
でもあれって、皆でという話だと思ったのだが。
「時間は後でメールするわ。あ、仁美もいるんだから、荷物持って教室に来なよ」
否応無しですか。こんな強引な人だったかなぁ。
「分かったよ。片付けたら下りるよ」
「ん」
僕の言葉に頷いた高瀬さんは軽やかな足取りで上がっていった。
どうなることやら……。
僕は軽く溜息を吐きながら図書室へ向かった。
翌日。
待ち合わせの時間の十分程前に、僕は指定された駅の改札前にいた。
昨日教室に戻ってからは、今日の話は全く出なかった。まぁ望月さんがいたからかもしれないが。
そして教室での話題を引き摺っていたためか、帰りの電車でも今日の事には触れられなかった。
忘れたんだろう。そう思っていた夜の十時過ぎにメールが届いたものだから、僕は心底驚いた。
そして悩む。
これって……所謂デート、なのか。
悲しいかな、これまでにそういう経験が無かった。
誰かに相談してみよう、と思っても時間が時間。いや、さすがに寝てないとは思うが気が引けた。
アイツに電話しても、茶化されるだけだろうなぁ。
などと悩んでいる間に寝るのが遅くなり、おかげで今日は起きるのも遅くなってしまった。
待ち合わせが午後で良かったよ。
「お待たせ」
声に振り向くと私服姿の高瀬さんが微笑んでいた。
ワンピース姿の彼女は、普段とはまた違った印象だ。
和装が似合いそう、と言ったのは松さんだったと思うが、爽やかな感じもまた似合うんだなぁ。
果たして、こんな人の隣が僕で釣り合いが取れるのか、はなはだ疑問だ。
「一緒の電車かと思ったんだけど?」
「ちょっと寄りたい所があったんで」
寝坊でテンパったあげく、一本早く来た、なんて言えない。
「そう。んじゃ行きましょ?」
「何処に?」
「まずは買い物、かな」
定番ですね。
他愛の無い話をしながら、僕は頭の中をフル回転させていた。
どうにかボロを出さす乗り切りたいものだ。
サシで無ければ、女の子の買い物に付き合った事はある。
だから何となく展開は想像していた、はずだった。
でも実際は、気付けば僕の服装改造になっていた。
「イチ君はもうちょっと明るい色が似合うよ?」
「そうかな?」
「うん。まぁゴテッとしてないシンプルなスタイルは合ってるけどね」
その人に合う色味、というのがあるそうで。それは新たな発見だなと思う。
そして、彼女のセンスがまた良いのだと再認識。
同時に感じる、気後れ。
はぁ……少しはアイツを見習うかな。
僕は表情に出さないように、心の中で溜息を吐いた。
一回りし、駅ビルにあるレストラン街の洋食店に腰を落ち着けた。
ティーブレイクというところかな。
無難にケーキセットをオーダーすると、高瀬さんもそれに続いた。
「彼は元気にしてる?」
「彼?」
はて、誰を指しているのだろう。
「えーと……シゲ君、だっけ?」
「あぁ、去年夏祭りで会ったっけ」
「そう。親友だって言ってたよね?」
「そうだね。幼馴染みと言うか、腐れ縁かな」
神谷茂昭。通称シゲ。
幼少時代からの付き合いで、高校こそ違うものの交流は続いている。去年の夏祭りでバッタリ高瀬さんに会った時に、紹介をしていた。
アイツは僕なんかより見た目も、要領もいい。
僕の女の子との経験の大半は、アイツの付き合いによるものだ。
アイツいわく「潤也の方が中身受けはいいと思うぞ」との事だが、生憎とそれを実感したことは無い。
「元気だと思うよ。最近は会ってないけど」
「そうなんだ? 今年も一緒に来る?」
「どうかなぁ。聞いてみる?」
高瀬さんはケーキを頬張った顔を横に振った。
「ちょっと思い出しただけよ」
他意は無い、と言いたいらしい。
「ま、聞いた時は連絡するよ」
「来る時だけでいいわよ」
彼女は微笑んでそう答えた。
「あ、そうそう。美優の話、聞いたわよ」
「滝川さんの?」
「CDの話よ」
「あぁ」
おそらく泉さんからだろう。だが何故に今になってその話を持ち出したのか。
「前に中間の後に残らない? て聞いたでしょ? あれ、沙耶に頼まれてたのよ」
あのお菓子の時か。
「で、連絡先聞かれたって言ってたでしょ? 沙耶はあれでも、気軽に交換するタイプじゃないのよ」
「へぇ、意外」
普通にさくさく交換する方だと思っていたが。見かけに寄らないんだなぁ。
「だもん、気になるでしょ。沙耶も彼氏いないしさ。そしたら美優絡みだ、って言うからさ」
なるほど。て、泉さんフリーなんだ。誰かが聞いたら喜びそうな情報だ。
「で、どうなの?」
「どうって?」
「美優の事よ。わたしでもあの子と話をするまでに結構時間かかったのよ? なのに君はすんなりと……何かあるのかと、勘ぐりたくもなるじゃない?」
「そう言われてもねぇ……」
僕は苦笑いしながら、アイスコーヒーを飲んだ。
「僕としては、友達と思ってるけど。音楽の趣味も近いから、もっと話してみたいと思うけどね」
むしろ、こうやって話を振られる度に逆に興味が湧くというのが本音だ。
かといって、呼び出してこういう風に会う、なんて事は僕には出来ないのだが。
いや、一度学校で似たようなことはしたか。あの時はちょっとテンション上がってたからなぁ。
まぁ学校ならまだいい。何とでも理由が付けられるから。
「そう」
高瀬さんは思案顔のままストローを咥えた。
「高瀬さんこそ、滝川さんをどう思ってるの?」
「そうね。わたしの場合、最初に沙耶と話した時から、その後ろにいたわ。だから、そういう子なんだな、って印象だった。何処にでもいるでしょう? 馴染めない子って」
「……うん。そうだね」
「あの子の場合、馴染みたい、という気持ちはあるみたい。何とかそれを手伝えたら、って思ってるんだけど、なかなかねぇ」
泉さんが言っていた事と大差は無い。それが共通認識なんだろう。
馴染みたいと思う彼女の気持ち、それは何となく分かる。
中学に上がった時、僕も周りと打ち解けるのに時間がかかった。
そんな時、引っ張ってくれたのがシゲだった。
シゲから色々聞いて、今僕は普通にこうしていられるようになった。
支えてくれる友と、小さな勇気。
殻を破るには、それが必要だと僕は思ってる。
彼女ももしかしたら、破りたいと思っているのかもしれない。
もちろん僕の勝手な想像でしかないのだが。
「ね。次は本屋に行っていい?」
「ん」
高瀬さんの言葉に、僕はストローを咥えたまま頷いてみせた。