花嫁の父は、わたくしが選びます
クレリアの婚礼では、花嫁より父親の方が張り切っていた。
十年ぶりに娘に会うというのに、父は隣を歩く練習までして来たらしい。
「困りましたわ。わたくしには、もうお相手がいますのに」
鏡の前のクレリアが笑うと、侍女のオルガが手を止めた。
「ユスト様とは別の方ですか?」
「叔父様です。式場まで一緒に歩いていただくの」
クレリアは伯爵家の娘だが、十二歳から父の弟マウロの屋敷で育った。今日の婚礼もこの家の礼拝堂で挙げる。育ててくれた叔父に腕を借りたいと、本人へ頼んであった。
父も母も招待状で知っている。ところが今朝届いた父からの使いは、父親の支度部屋が要ると言って帰らなかった。
「あの……クレリア様」
オルガが切ったばかりのリボンを差し出した。結ぶには短い。
「私、長さを間違えて……」
「花飾りの下で結べば隠れます。少し持ち上げてくださる?」
オルガが恐る恐る指を動かす。クレリアは鏡の中で位置を示した。
「そう。そのまま結んで。わたくしがやるより綺麗ですわ」
「やり直してもよろしいんですか」
「もちろん。花嫁より先に失敗してくださったのね。わたくしは少し気が楽になりました」
オルガの眉が下がり、ようやく笑い声が漏れた。
結び目は花の下に隠れた。オルガは鏡をのぞき、短い端をもう一度そっと押さえた。
「その位置を覚えておいて。最後の支度もお願いね」
「はい。今度は切る前に測ります」
扉を開けて入ってきた母のヘレンも笑った。母がここを訪ねるのは久しぶりだった。
「本当に花嫁なのね。マウロさんも喜んでいらっしゃるでしょう」
「一緒に歩くのは緊張するそうです。お母様からも励ましてくださる?」
「ええ。あなたを育てたのですもの。隣を歩いていただかなくては」
クレリアは鏡から母へ顔を向けた。母の手が肩に触れる。
もう結婚の契約は済んでいた。成人した二人の合意を父に取り消す権利はない。送り役を誰に頼むかも花嫁が決められる。
それでも両親に祝ってほしいと思って招いた。母が叔父の名を口にしてくれたのが嬉しかった。
オルガが扉の外の報せを聞き、戻ってくる。
「ベルンハルト様がお着きです。ご自分が花嫁を送るので、腕を取る側を伝えておくようにと……」
母の手が肩から離れた。
父が決めたことを伝えられる。クレリアは十二歳の時もそうだった。
「弟の家に行きなさい。あれは一人暮らしだから部屋が余っているだろう」
父は出立の支度をする娘を見ず、白い手袋の指先を引いた。
妻を亡くした叔父は隣の領地に住んでいた。父は娘の教育にも衣装にも金がかかると言い、跡取りである息子への出費を数えた。
「わたくしの部屋はどうなるんですか」
「弟の教師を泊めるのに使う。帰って来ることばかり考えなくていいだろう」
クレリアは畳んだ寝間着を鞄に押し込んだ。
もっと小さい頃には両親が手を引いてくれた。階段の最後だけは父に抱き上げてもらい、母と同じ高さから父の頭を見た。もう一度とせがんでも叱られなかった。
あの部屋の窓からは階段が見えた。帰ったら何も置かせてもらえないかもしれない。
馬車へ乗る前に母が娘を引き寄せた。
「お父様もお忙しいの。落ち着いたら迎えに行くわ。私が行くから待っていて」
「本当に? 忘れないでくださいね」
「ええ。きちんとしていれば大丈夫よ」
叔父の家でクレリアは鞄を寝台の脇に置いた。服を掛ける場所を教わっても、取り出すのはその日に着る一着だけにした。
迎えが来た時に待たせないためだった。
食事の時は馬車の止まる音に耳を澄ませた。門が開くと椅子から腰を浮かせた。
叔父は迎えを待つ姪の鞄を開けなかった。
「今夜は寒そうだな。もう一枚出しておくか」
「すぐ出せます。ちゃんと上に入れてあるんです」
「そうか。私の方は探さないとな」
姪の隣で叔父は棚を開け、毛布を引っ張り出した。その夜は帰らないと決まったようで、クレリアは鞄の留め金を閉じた。
夏が終わっても母は来なかった。
母に手紙を出すと、父に自分で頼んでみてはどうかと返事があった。連れに来る代わりに門で待っているという。
クレリアは叔父に送り迎えを頼んだ。帰りは荷物が増えるかもしれませんと笑うと、叔父は大きな鞄も馬車に積んでくれた。
実家の門で母が待っていた。娘を屋敷へ入れず父を呼びに行った。
「お父様。わたくしもおうちに帰りたいです。服もいりません。今あるもので足りますから」
「向こうで食べさせてもらっているんだろう。なぜそれで不満なんだ」
「不満ではありません。でもお母様が……」
母は娘の肩を押して父へ向け直した。
「お父様に口答えしてはいけません。お願いをするんでしょう」
「弟にも礼を言っていないんじゃないか。預けられた子が不満を言っていたら私の立場がないだろう」
父は娘の後ろで待つ馬車を見た。叔父がそこから降りてくる。
「そこに膝をついて頼みなさい。これからもお世話になりますとな。そうすれば帰りの馬車に乗せてくれるだろう」
クレリアは母を見上げた。母は胸元を整えて娘から視線を外した。
膝を曲げると門の敷石が近づいた。食べさせてもらうにはこうしなくてはいけない。叔父まで嫌な顔をしたら行く所がなくなる。
膝が石に触れる前に腕を支えられた。
「クレリア。立ってくれるか」
叔父はクレリアの膝を払い、小さな鞄を持った。中には帰宅の許しをもらったら着替えるつもりの寝間着があった。
「兄さん。私はこの子を連れて帰るよ」
「そうしてくれ。こちらも忙しいんだ」
父は背を向けた。母もその後を歩いた。
クレリアは反射的に踏み出しかけた。父は早足だった。歩調を合わせるには小走りするしかなかった。
けれど叔父は足を止め、姪が馬車へ向くのを待った。
「ゆっくりでいい。足は痛くないか」
「まだついていません。膝は」
「それならよかったな。私の方が少し遅いからな」
屋敷へ戻ってクレリアは鞄を開けた。寝間着を棚へしまい、叔父の毛布を畳んで上に置いた。
その棚は今も彼女の部屋にある。
十年の間に好きな菓子も増えた。熱を出した夜には叔父に水を頼み、初めて恋に破れた日には迎えの馬車で腹を立てた。叔父が相手を叱りに行こうとするので引き止めたこともある。
両親の馬車を待つ席にはもう座っていない。
そして一年前、この家へ彼女に会いに来る人ができた。
最初は叔父を見舞うためだった。
退役した叔父は足を痛めて休んでいた。見舞いに来たユストは公爵家の嫡男で、以前から叔父に世話になっていたという。
叔父が昼寝を始めると彼は持参した包みを庭へ出した。
「子供の頃はこれで遊んでいたんです。マウロ様にも見ていただきたかったんですが」
「凧ですか。わたくしも飛ばせるかしら」
「糸を持ってみませんか。上がると結構引っ張られますよ」
屋敷の庭には丘があった。クレリアが糸巻きを握り、ユストが凧を持って先へ走った。
紙が膨らんだ。糸が手を引いて、凧は彼の頭より高く上がる。
「ご覧になって! 上がりましたわ!」
振り向いて呼ぶと腕もそちらへ動いた。凧が横へ流れ、草に頭から刺さる。
ユストは駆け寄り、折れていないか裏返した。クレリアも裾を持ち上げて追いついた。
「わたくしのせいですわね」
「私も最初は同じことをしました。上がったら誰かに見せたいですからね」
「では次はそばで見ていてください。わたくしも自分のを作ります」
屋敷から紙と細い木を運んだ。ユストは作り方を教えると自分の凧を直し始めた。紙の破れに貼った丸い紙へ目と嘴を描く。
「そのお魚は飛びますの?」
「鳥です。嘴がありますよ」
「ええ。そこがいちばん不思議でしたの」
彼は紙を腕の下へ隠した。
「ではクレリア嬢の鳥も拝見していいですか」
負けず嫌いに火がついた。彼女は自分の凧へ大きな目を描き、嘴を真ん中に置いた。翼を足そうとすると端からはみ出した。
ユストが口元を押さえた。
「何かおっしゃってくださいまし」
「こちらを見ていて……少し怖いですね」
「よく飛ぶように睨んでいるんです」
堪えていた彼がとうとう笑った。クレリアも紙に向かって吹き出した。鳥の姿なら庭にいくらでもあるのに、二人とも似ても似つかぬものを描いていた。
雀が草をつついていた。丘の上へ行こうとした彼女は途中で止まり、彼に手を上げて見せた。
「先にお食事を済ませていただきましょう」
「風も休んでいるようですしね。私たちも座りませんか」
草へ腰を下ろして凧を並べた。彼女は彼の鳥の丸い腹を見た。彼は彼女の鳥の左右違う翼を見た。
顔を見合わせるたびに笑ってしまう。凧はまだ地面にあるのに退屈ではなかった。
雀が飛び去り、丘の草が同じ向きになびいた。
「もう一度試したいんです。今度こそ上がると思うので」
「その長い尾が重たいのではありません? 短くしましょう」
「短いとふらつきませんか」
「試さないと分かりませんわ」
クレリアは自分の尾だけを短くした。彼も彼女の凧には手を出さず、長い尾のまま丘を走った。
長い尾の鳥は持ち上がった直後に横倒しになった。短い尾の鳥はくるりと回って彼女の足元へ落ちた。
先に落ちたのはどちらか。二人は地面を指し、互いの顔を見てまた笑った。
「両方落ちたら引き分けでよろしい?」
「私の方が少し長く飛んだ気がしますが」
「見ていらしたの? ご自分の凧を?」
彼は糸を巻きながら顔を上げた。見ていたのは彼女が糸を引く姿だった。クレリアは返事を待ったが、彼は笑うだけだった。
「ユスト様は次にいつおいでになるの」
「都合を聞いてから決めようと思っていました。近いうちにまた来ても?」
「ええ。わたくしの凧が上がる前に来ていただかないと」
「それは急がないといけませんね」
クレリアは屋敷に戻るまで彼の歩幅を気にしなかった。どちらが先に次の勝負を言い出すか、そればかり考えていた。
花の時季が過ぎてもユストは来た。
クレリアの凧が高く上がった日には、彼は糸巻きを持つ手を眩しそうに見た。自分のが落ちたことにも気づかなかった。
次に来た日には鳥の嘴を描き直してあった。
「今日はちゃんと鳥ですわね」
「初めから鳥ですよ。君の方は何だか得意そうな顔になりましたね」
「勝ちましたもの。凧も嬉しいのですわ」
翌週は彼が勝った。クレリアは凧に唇を描き足した。もう一度とせがむ自分に似て、尖った口になった。
ユストは笑って付き合った。彼にも譲る気がないと分かっていたから彼女は夢中で勝負を挑めた。
凧の絵が変わるたびに、帰りの時間を惜しむようになった。
秋のある日には風がなかった。糸を巻いても彼は帰ろうとせず、彼女も茶を淹れ直す口実を探した。
「クレリア嬢。風が吹かなくても会いに来ていいでしょうか」
「もう来ていらっしゃるではありませんか」
「これからも来たいんです。それから、ここで帰らずに済むようになりたいと思っています」
彼は糸巻きを卓に置いた。両手が空くと所在なさそうに指を曲げた。
「私と結婚してくれませんか」
クレリアは口を開いた。最初に浮かんだのは叔父のことだった。この屋敷に一人で残してしまう。
それを言いかけてやめた。目の前にいる人が返事を待っていた。今答えを求められているのは彼女だった。
「はい。わたくしもユスト様が好きです」
彼の顔がほっと緩んだ。それを見たら急に恥ずかしくなった。
「凧を見にいらっしゃるだけでしたら困ると思っていました。わたくしは風がない日もお会いしたいので。ですから……」
「私も好きです。凧より先に君を見てしまうくらいには」
「それであの日は地面に落としたんですの?」
「その日は言わないでおこうと思っていたんですが」
クレリアは笑いながら手を伸ばした。卓の上の彼の指に触れ、離す前に握り返された。
こんなふうに触りたかったのだと分かった。凧を渡す時にも帰る時にも。
「叔父様の所へ一緒に行ってくださいませんか。今言わないと夕食の時まで喋ってしまいそうですわ」
「それは私も聞きたいんですが。……先にご挨拶しましょうか」
報告を受けた叔父は椅子から立ち上がりかけた。クレリアが座ったままでと頼むと、今度は二人を座らせようとした。
椅子を引き合っているうちに全員が笑ってしまった。
叔父はユストの手を握って祝い、姪にも両腕を広げた。クレリアは叔父の肩へ顎を乗せた。
「婚礼では叔父様と歩きたいです。腕を貸していただけますか」
「私が送っていいのか。今も足が遅いのにな」
「叔父様の腕がいいんです。わたくしが先に転ばないように見ていてください」
婚礼の支度が進む中で、二人は礼拝堂で練習した。
叔父が腕を差し出し、クレリアが手を添える。何もない通路でも衣装の裾を踏む気がして足元を見た。
「花嫁がそんなに下ばかり向いていていいのか」
「叔父様もご自分の靴ばかり見ていらっしゃいますわ」
見上げたら叔父もこちらを見た。一緒に顔を上げて歩き直した。
戻ってきた叔父を椅子へ座らせると、彼女は代わりにユストへ腕を頼んだ。休んでいる叔父にも見てもらえる。
今度は通路の端にいる叔父へ急いでしまい、ユストの袖を引いた。
「ゆっくりでいいんだよ。まだ始まらないからね」
「楽しみだと急ぎたくなってしまうの。もう一度お願いします」
叔父の見ている所へ戻る。ユストは手を離す前に指先を少しだけ握った。クレリアも握り返した。叔父に見つかっていると思うと耳まで熱くなった。
その晩、彼女は両親への招待状を書いた。送り役はマウロと記した。
母には別の便箋を添えた。花嫁衣装も一緒に選びたいし、あの人を好きになった話も聞いてほしかった。
返事には楽しみだと書かれていた。クレリアはそれを叔父に見せ、母の席を確かめた。
今朝のリボンが花飾りの下へ収まった。
クレリアは控えの間の鏡の前で顔を上げた。オルガが残していた端を押さえ、ようやく両手を下ろす。
親族への挨拶を終えた叔父が母と一緒に入ってきた。
「綺麗にできたな、オルガ」
「クレリア様が結ぶ場所を教えてくださったんです。やり直していいとも」
叔父が鏡越しにクレリアを見る。
「お前も落ち着いたか」
「ええ。オルガが先に慌ててくれましたから」
オルガが吹き出しかけて口を押さえた。クレリアも笑い、花飾りへ伸ばしていた手を下ろした。
「どうぞ最後まで。わたくしは動かずにいます」
オルガは頷いて花の向きを直した。髪を引っ張らないように片手で支え、もう片方で留め直す。朝より指が滑らかに動いていた。
叔父が戸口で胸元に触れた。服の下にしまったものを確かめているようだった。
「叔父様はもう出来上がり?」
「手巾を忘れていないか気になってな」
「今からですの。足りなくなりますわ」
彼は笑いながら控えの間を出ていった。扉が閉まる前に外からユストの声がした。
「クレリア。少し顔を見てもいいかな。まだ早い?」
クレリアは鏡を見た。次いで手元の小皿を見た。朝から落ち着かなかったせいで菓子を口に入れたところだった。
母が皿を持とうとしたが彼女は首を振り、自分で扉を少し開けた。残った半分を背中へ隠す。
ユストは彼女を見て口を閉じた。彼女も顔を見上げたまま言うことを忘れた。
礼装の彼をじっと見ていたら笑みがこぼれた。
「何か言ってくださらないと、閉めてしまいますわ」
「綺麗で驚いたんです。もう少し見ていたいんですが」
褒めてもらう用意をしていたのに頬が熱い。扉の隙間が少し広がった。
「では見ていてください。わたくしも見ていますから」
「その後は一口もらえるかな」
彼の視線が彼女の口元へ移った。
「なぜ分かりましたの」
「口元に欠片がついているよ」
言いながら彼が口の端を押さえる。クレリアはそちらへ手を伸ばしかけ、菓子の欠片がついているのは自分だと気づいた。
オルガから受け取った布で拭うと彼はやっと笑った。
彼女は菓子を分けて彼の掌へ乗せた。指が触れるだけで扉をもっと開けたくなる。
廊下から父の声が響いた。
「私の娘が公爵家に嫁ぐのです。今日は私が送り届けますので、どうぞお楽しみに」
叔父が立ち止まった。クレリアからはその背だけが見えた。
ユストは彼女へ顔を向け直した。
「私は向こうで待っているね」
彼女が頷くまで彼は動かなかった。クレリアは皿をオルガへ預けた。
「クレリア。今日だけはお父様のお顔を立てて」
母が扉を閉じ、娘へ声を落とした。
「朝は叔父様に歩いていただくとおっしゃいましたね」
「けれどお父様があんなに張り切って。お客様の前で恥をかかせるわけにはいかないでしょう」
「叔父様は隣で待っています。お母様が励ましてくださるとわたくしからも伝えました」
「私から話すわ。マウロさんなら分かってくださるわよ」
自分から言い出したのに折れてくれない娘を見る目だった。
クレリアは母が衣装に触れるのを避けた。
「昔もそうやって、お父様に頼むようおっしゃいましたね。迎えに来ると約束したのはお母様でしたのに」
「それは……私も行くつもりだったのよ。でも今は今でしょう。こんな良いご縁があったんですもの」
「今日はわたくしのお祝いに来てくださったの?」
「もちろんよ。だから皆が気持ちよく済ませられるように——」
クレリアは用意してあった母の花飾りを渡した。自分と揃いの花を選んだのは彼女だった。
「お席へつけていってください」
母は花を受け取りかけて娘を見た。クレリアは母の返事を待つのをやめた。
衣装を一緒に選びたかった。ユストの話に笑ってほしかった。結婚する娘の母として叔父と並んでいてほしかった。
どれも母には頼めなかった。今ここで頷いてもらうためには叔父の腕を放すしかない。
クレリアは自分で扉を開けた。控えていた叔父の所へ行く。
「叔父様。そろそろ行きませんか」
叔父は礼拝堂の方を一度見た。父の姿はもう廊下になかった。
オルガが裾を整えた。クレリアがその手を離すと叔父は腕を差し出した。
扉が開くと、父はクレリアの隣を見て足を止めた。
「マウロ。そこはお前の場所じゃないだろう」
礼拝堂の客が振り向いた。クレリアは叔父の腕を取ったまま、父に向き直った。
「わたくしがお頼みしました」
「お前を嫁がせるのは父親の役目だ。弟に任せたら私がどう見られる」
父は白い手袋をはめ直した。昔も同じように、手袋をはめながら言った。娘のための金は出せない。弟の家で食べさせてもらえ、と。
迎えに来た叔父が、クレリアの小さな鞄を持った。
今はその腕に、花嫁姿で手を添えている。
「でしたら、あの日わたくしを連れ戻してくださいましたか」
「昔の話だろう。今日くらい私を立てなさい」
父が手を差し出した。叔父の腕がわずかに下がる。
「クレリア。私は後ろを歩いても——」
「嫌です」
言ってから、クレリアは叔父の顔を見上げた。
「叔父様と歩きたいんです。わたくしが」
叔父の口が開き、言葉が出ないまま閉じた。
父の指がクレリアの手首に触れた。彼女は一歩退いてその手を外した。
「招待状を差し上げたのは、見届けていただくためです。わたくしを渡す役をお願いしたのではありません」
「では私は何だ。客に父親じゃないとでも言うつもりか」
「父親です。だから、迎えに来てほしかった」
父の手が下がった。
「今日はもう待ちません。お席へどうぞ」
クレリアの声は震えなかった。けれど叔父の上着をつかんだ指が痛かった。力を緩めると、叔父が反対の手を重ねた。
通路の向こうでユストが待っている。彼はクレリアを見て笑い、それから叔父へ深く頭を下げた。
父がユストへ何か言おうとした時、オルガが扉を大きく開けた。客たちはもう通路を向いていた。
「クレリア。本当に私でいいのか」
「今さらですわ。歩く練習までしたのに」
叔父が鼻をすすり、困ったように笑った。
「ゆっくりでいいんだったな」
「ええ。転んだら二人とも叱られますもの」
叔父の腕が持ち上がった。クレリアは背を伸ばし、自分から最初の一歩を踏み出した。
叔父の靴と衣装の裾が並んで進む。
客たちがこちらを向いたまま微笑んだ。クレリアは添えた手を少し引き寄せた。叔父も腕を体へ寄せ、二人の間が近くなった。
ユストの前まで来ると叔父は足を止めた。
「ユスト殿。よろしく頼みます」
「はい。マウロ様もどうか見ていてください」
叔父がクレリアの手を支えた。ユストの掌へ渡す手はまだ温かかった。
誓いを求められて彼女は顔を上げた。
「はい。誓います」
返事をするとユストの指に力がこもった。唇が近づいてくる。目を閉じる直前に彼の目も伏せられた。
短い口づけの間、花を留めた髪に彼の指が触れた。離れてからも息を吸うのを忘れそうだった。
叔父が手巾で目元を押さえていた。クレリアは笑い、隣の夫をもう一度見上げた。
宴では互いの肩が触れる所へ座った。
「君の凧の顔はどうしようか。まだ尖った口のままだね」
「笑わせますわ。わたくしばかり笑っていては気の毒ですもの」
彼は自分も笑っていると言いたげな顔をした。クレリアは卓の下で彼の指へ触れた。
「ユスト。今日は勝負を挑まないでくださる?」
「負けたくない日なのかな」
「勝っても帰したくなくなる日です。一緒にいてください」
彼が笑い、手を握った。
「そのつもりだよ。君が帰れと言っても少し困るね」
クレリアは椅子を寄せた。彼がまだ何か言い足そうとするので、今度は彼女の方から唇を重ねた。




