忘れ物
数日続いたどしゃ降りの雨。電車から降りる頃にはその雨は止んでいた。周りはどこか湿っていて、駅のホームはまだ電灯の明かりが反射している。
暗い、活気があるわけのない改札への道、仕事終わりだというのにもう明日の仕事を考えている。ろくに飯も食えていないのに、いつか美味しいものを食べに行こうとささやかな決意を胸に秘めた。改札を出て、ふと置いてある傘に目が止まった。もう終電は無くなったというのに、その傘はポツンと取り残されていた。
忘れ物だろうなと思った。一瞬、駅員に届けようとも思ったが今は夜中の0時。こんな時間にこの世の終わりみたいに疲れてる男を相手にするのは面倒だろう。気にせず通り過ぎようとした。だが、妙に高そうな傘だった。持ち手は竹のようなもので作られ、傘の生地は伝統芸能みたいだった。こんな傘を置いていくなんて勿体無いやつもいたものだ。
私は傘を手に取った。もちろん、持ち帰る気などはない。ないのだが気になったものは確かめてみないとむず痒いままだ。まぁ、この程度なら帰宅途中で忘れてしまうだろうが。私はその傘を開いた。内側は綺麗な黒で、最近まで使われていた細やかな傷はあるくせに新品のようにところどころ手入れされていた。
私はこの傘を自分と重ね合わせてみた。この傘は大事にされながら使われていた。そして忘れられたのかこんなところにある。私は子供時代は母や父、祖父母に兄弟や友人など色々な人に大事に思われ思われてきた。だが、今の私は履き潰された靴のよう。この傘も大事にされてきたのに結局一人になってしまった。そこがどういうわけか私の境遇に重なる。
……重ね合わせたら余計に自分が虚しくなった。いつもいつも誰に感謝されることなく仕事をこなし、電車に揺られ、眠りにつく。ただそれの繰り返し。繰り返し、繰り返し。勉強も運動も繰り返しが大事であるが、こんな退屈で基礎でも応用でもない日々を繰り返しても何の意味もない。私は傘を元の場所へ置き、コンビニへ水を買いに行った。
買った水を飲み干して、分別も気にせずゴミ箱へ放る。勝手に重ね合わせたくせに、嫌な気持ちになった自分もまた嫌になる。私はそのまま帰路についた。誰も待っていない、終電後の駅のホームのような家へ。
翌朝。私は顔を洗い、最低限の身支度を整えて会社へ向かう。駅のホームにはあの傘はなくなっていた。持ち主が持って帰っていったのかはわからないが、持って帰ってもらえたようなそんな気がした。結局物には役目がある。私の役目は変えが効く。特別かっこいいわけでも仕事ができるわけでもない。私はあの古風な傘と同じ境遇というわけじゃなかった。私の境遇はビニール傘のように代えが効くような、そんな人だとそう思えた。




