夫が寝言で「ミシェル」と言っていたので。
「んん…、ミシェルは、どうだろうか……」
夜中に目が覚めて寝返りを打った時、隣で夫が寝言を漏らしていた。
あら、私の名前じゃないわ。
よだれを垂らして気持ちよさそうに眠っている夫を見て、やれやれと布団を掛け直してあげるのだった。
翌日、朝食を食べながら、夫は満面の笑みで話し出した。
「ねえ、ルーナ。僕、考えてみたんだけど!」
嬉々として話し出す夫の口元にケチャップがついていて、向かい側に座っていると拭いてあげられないなぁと思った。
「子どもの名前のことなんだけどねっ」
「あら、『ミシェル』ですか?」
「えっ!なんでわかったの!?」
目を丸くして驚く夫に、今度こそ笑いそうになる。
嘘や隠し事のできない人だけれど、寝言まで嘘をつけないとは。
「昨日、寝言でそう言っていたわ」
「そうなんだよ!昨日夢の中で子どもの名前を何にしようか会議が行われたんだよ」
「あのねぇ、喜んでくれるのは嬉しいけれど、まだ気が早いわ」
「そんなことないよ、大事なことなんだから!今から考えたって遅くはないよ!」
妊娠が発覚したのは、先月のことだ。
まだ、お腹だって大きくなっていない。
それでも真剣な顔で言う夫を見て、この人と結婚してよかったなと思う。
「ミシェルって名前、可愛くていいと思うんだ」
「ふふ、可愛いけれど男か女かもわかってないのに」
そう答えながら、フルーツを口にした時に、ウッと吐きそうになって、思わずフォークを置いた。
「ルーナ!」
夫は目の前の席を立って、テーブルをまわってこちらへやってくる。
そのまま、私の体を支えるように横に立った。
「大丈夫かい?医者を呼ぶかい?」
「いえ、大丈夫ですよ…。ちょっと気持ち悪くなっただけで」
「また別のフルーツを用意させるよ」
「最近は、フルーツくらいしか、受け付けなかったのに、すみません」
「いいんだよ、君の体調が最優先だ」
夫の手に支えられながら、気持ち悪さが収まるのを待った。
この人は、たぶんずっとこうやって私を支えてくれるんだろう。
「ふぅ、もう大丈夫です。ありがとう」
「無理してはいけないよ?」
「わかっていますよ」
そう答えながら、ナプキンで夫の口元を拭った。
ようやくケチャップが取れて、夫は「あっ…」と照れ笑いをしながら頭を掻いた。
「また先輩に、妊婦でも食べられそうなものを聞いてくるよ」
「仕事優先なんですから、ほどほどにしてくださいね」
「ちゃんと休憩時間に聞いているから、大丈夫だって」
夫はそのまま隣の席に腰をかけて、私の両手を握った。
「僕は君が一番大事。それだけはわかっていて?」
それは結婚する前も、結婚してからも、妊婦がわかってからも、変わらず伝えてくれる言葉だった。
「わかってるわ、私もあなたが大事よ」
「にひひ、君のおかげでもう一人大事な子が産まれてくると思うと楽しみで仕方ないね。ねえー、ミシェル?」
そう言って、夫は愛おしそうに私のお腹を撫でた。
「男の子だったらどうするの」
「なんとなく女の子な気がするんだよねえ」
「そこは跡取りを産んでくれって言うところじゃないの?」
「んー?ルーナとの子どもだったらどちらでも可愛いよ!」
そう言ってニカリと笑う夫に、心の中でまたやれやれと思った。
ま、これがこの人のいいところなのよね。
それでいて、いつだって私の心を軽くしてくれるところである。
「楽しみですね」
「ああ、今から待ち遠しいよ」
季節は巡り、そんなふうに言っていた夫は、生まれた子どもに大感激していた。
しかも、夫の言っていた通り、娘が生まれたので『ミシェル』という名前になった。
ミシェルをその腕に抱いて、溶けちゃいそうなニコニコ顔をしている夫を見て、私も顔が緩む。
「もう、ほんとうに可愛い。食べちゃいたいくらい可愛い」
「お父さんは親バカですねぇ〜、ミシェル?」
「ほら、ルーナにそっくりだよ!可愛い!」
「まだどちらに似ているかもわからないじゃないですか」
「ううん!ルーナにずっと似ているよ!美人になっちゃうね〜!」
ミシェルではなく、夫のほうがキャッキャしていて、私も変わらずにやれやれと首を振ったのだった。
我が家は、きっとずっとこうやって暮らしていくのだろう。
そう思うと、やっぱり口元はニヤけるのだった。
了
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