第9話:最終防衛ライン「絶対睡眠バリア」発動
あれから数日後。
スリープ・ヘイブンの沖合は、かつてない喧騒に包まれていた。
「聞こえるか、リリス! これがお前の愛した祖国の全力だ!」
拡声魔法のノイズ混じりの声が、海風に乗って響いてくる。
水平線を埋め尽くしているのは、グランディオス王国の「全軍」だった。
海軍の残存艦隊に加え、陸軍の兵士を無理やり乗せた漁船団、さらには傭兵や徴収された農民まで。
まさに、国中の「数」だけをかき集めた、やけっぱちの最終決戦仕様だ。
その旗艦(といっても、塗装が剥げた中型船だが)の甲板で、ジェラルドが叫んでいた。
「国民よ聞け! あの島には魔女リリスが潜んでいる! 奴は帝国の『魔王』と結託し、私を拉致監禁し、国庫を奪った極悪人だ! 正義は我にあり! 島を奪還し、黄金を取り戻すのだ!」
「「「おおおーっ!!」」」
兵士たちが喚声を上げる。
彼らも必死だ。「勝てば借金帳消し」「リリスの隠し財産でボーナス支給」という甘言に釣られ、疲弊した身体を鞭打って声を張り上げている。
……うるさい。
本当に、うるさい。
領主館のテラスで、私は不快げに眉間の皺を揉んだ。
「……セバスチャン。あいつら、どうやって帰ったの?」
「へえ。先日、気を失った殿下たちを木箱に詰め、『着払い』の速達便で王城へ送りつけました。『生ゴミは島の環境を汚染しますので』と添え状をつけて。まさか、受け取り拒否された上に、軍隊を引き連れて戻ってくるとは……。ゴキブリ並みの生命力ですな」
セバスチャンが珍しく舌打ちをした。
そう、ジェラルドは懲りていなかった。むしろ、あの場に「帝国皇子がいた」という情報を歪曲し、「リリスは帝国に国を売った」という嘘の大義名分を掲げて戻ってきたのだ。
「どうする、リリス」
隣でオリオンが立ち上がる。
彼は不機嫌だった。せっかく私が膝枕をしてあげていたのに、騒音のせいで目が覚めてしまったからだ。
「僕が全部消そうか? 『広域殲滅魔法・極光』なら、海ごと蒸発させられるけど」
「却下。魚が死ぬし、海が汚れるわ」
私は首を横に振った。
殺すのは簡単だ。でも、それでは後味が悪いし、死体の処理が面倒くさい。
私が望むのは、平和で静かな日常だけ。
「……黙らせればいいのよね」
私は決断した。
もう、個別の対応は面倒だ。この海域全体を、私のルールで塗り替える。
「オリオン。あなたの魔力、全部貸して」
「ん? 構わないが……何をする気だ?」
「世界一平和な解決策よ」
私はオリオンの手を取った。
瞬間、彼の中にある莫大な魔力が流れ込んでくる。
通常なら焼き切れるほどの量だが、私の身体はそれを拒絶しない。むしろ、パズルのピースがはまるように、心地よく馴染む。
オリオンの黄金色と、私の菫色の魔力が混ざり合い、島全体を覆う巨大な魔法陣となって展開された。
「システム起動。対象範囲、半径20キロメートル。……アクセス権限、管理者」
私は空を見上げ、静かに、しかし断固として告げた。
「我が領土における騒音は罪。強制労働は重罪。――すべての疲れた人々に休息を」
「強制執行――広域催眠魔法『強制お昼寝タイム(ラグナロク・スリープ)』」
カッ!
島の中央にあるダンジョン遺跡から、柔らかなピンク色の波動が放たれた。
それは衝撃波ではない。
春の陽だまりのような、お母さんのお腹の中のような、抗いがたい「眠気」と「癒やし」の奔流だ。
波動は瞬く間に海へ広がり、艦隊を飲み込んだ。
「うおぉぉ! 突撃ぃ……ぃ……ふぁ?」
最前線で剣を振り上げていた兵士が、突然大あくびをした。
剣を取り落とし、その場にへたり込む。
「な、なんだ……急に、瞼が……」
「やばい、徹夜続きだったから……」
「リリス様の魔法……あったかい……」
バタッ、バタッ。
甲板の上で、兵士たちが次々とドミノ倒しのように倒れていく。
死んではいない。全員、幸せそうな顔で「スー、スー」と寝息を立て始めたのだ。
長年のブラック労働で蓄積した疲労が、魔法によって優しく解きほぐされていく。
「えっ? おい、貴様ら! 起きろ! 戦え!」
旗艦の上で、ジェラルドだけが必死に叫んでいた。
彼が耳につけている王家の秘宝『守護のピアス』が、精神干渉を弾いているのだ。
「なぜだ! なぜ寝る! 目の前に敵がいるんだぞ!」
「……ふぁぁ……。殿下ぁ、もう無理ですぅ……」
「有給……取ります……おやすみなさい……」
操舵手も、砲撃手も、ミナさえも。
全員が床で丸くなり、夢の世界へ旅立っていく。
「ふ、ふざけるな! リリス! 貴様、何をしたぁぁ!」
ジェラルドが島に向かって絶叫する。
だが、その声に応えるのは私ではない。
私の隣で、オリオンが指をパチンと鳴らした。
「……うるさい。ピアスごときで耐えられると思うなよ」
オリオンの余剰魔力が一点に収束し、ジェラルドの頭上へ飛んだ。
それは巨大な「見えないハンマー」となり、彼のピアスごと脳天を優しく、かつ確実に叩いた。
「『強制消灯』」
「あ……」
パリン、とピアスの砕ける音が響く。
ジェラルドの目が白黒し、膝から崩れ落ちた。
カツン、と甲板に頭を打ち付け、彼もまた(恐らく数日は目覚めないであろう)深い眠りにつく。
***
数分後。
スリープ・ヘイブンの海は、完全なる静寂を取り戻していた。
波間に漂うのは、死体ではなく、ぐっすりと眠る数千人の男たちを乗せた船団。
いびきの合唱だけが、穏やかな波音に混じっている。
「……終わった」
私は大きく息を吐き、オリオンの肩に寄りかかった。
魔力を使い果たしたはずなのに、不思議と疲れはない。むしろ、オリオンとパスが繋がったことで、魔力酔いすら解消され、かつてないほどの充足感があった。
「凄いな、リリス」
オリオンが感嘆のため息をつく。
「僕の魔力をあんなふうに制御するなんて。……『敵全員を幸せな夢の中に落とす』兵器か。帝国軍でも思いつかない」
「兵器じゃないわ。ただの『福祉』よ」
私は海を見渡した。
彼らは起きないだろう。私が解除コードを唱えるまで、最低でも三日は。
その間に、彼らの積んでいた食料は尽き、戦意も消滅するはずだ。目が覚めた頃には、「もう働きたくない」という健康的な思考回路になっていることだろう。
「さて。これで本当に邪魔者はいなくなったわ」
私は伸びをした。
勝利の美酒ならぬ、勝利の二度寝の準備だ。
「セバスチャン。あの方々が起きたら、『宿泊費(延滞料金込み)』を請求しておいて。払えないなら、島の清掃ボランティアを一ヶ月させなさい」
「畏まりました。……ふふ、数千人の労働力がタダで手に入るとは。実に、平和的かつ収益性の高い戦争でしたな」
セバスチャンが嬉々として電卓を叩き始める。
私はオリオンの手を引いた。
「戻りましょう。今度こそ、本当のお昼寝の時間よ」
「ああ。……今度は僕が枕になる番だ」
私たちは手を繋ぎ、誰もいなくなった静かな庭へと帰っていった。
史上最も静かで、最も多くの人が幸福になった戦争――歴史書に『お昼寝戦争』と記される戦いは、こうしてリリスの完全勝利で幕を閉じたのである。




