第5話:隣国の皇子が庭で行き倒れていたので、枕を貸してあげた
スリープ・ヘイブンの午後。
それは一日の中で最も神聖な時間――「お昼寝」の刻である。
私は領主館の裏庭、木漏れ日が降り注ぐ特等席にハンモックを吊るし、微睡んでいた。
波の音。小鳥のさえずり。そして遠くから聞こえる、スライムたちが洗濯物を叩くリズミカルな音。
完璧だ。これぞ私の求めた隠居生活。
――ヒュゴォォォ……ッ!
突然、空から大気を引き裂くような音が響いた。
「お嬢様、頭を下げて!」
セバスチャンが瞬時に私の前に飛び出し、防壁魔法を展開する。
直後、黒い塊が隕石のように落下し、私のすぐ横の芝生に激突した。
ズドォォン!!
衝撃でハンモックが大きく揺れ、私はアイマスクをずらして眉をひそめた。
土煙が舞う中、クレーターの中心に落ちていたのは、隕石ではなく――人間だった。
それも、やたらと顔の良い青年だ。
夜空のような黒髪に、整った顔立ち。身につけているのはボロボロだが、見るからに最高級の軍服。胸元の紋章は……隣国、ノクターン帝国のものか。
「……う、うう……」
青年は苦しげに呻いている。
怪我をしているわけではなさそうだが、彼の身体からは異常なほどの「魔力」が溢れ出していた。
まるで壊れた原子炉のように、制御不能な魔力がバチバチと放電し、周囲の空間を歪ませている。
(うわぁ……うるさい)
一般人には見えないだろうが、魔力感知に優れた私には、彼の魔力が発する「キーン」というモスキート音が大音量で聞こえていた。これでは安眠妨害もいいところだ。
「……処理(埋めます)か?」
セバスチャンが殺気を消し、いつの間にか手にしたスコップを構えている。
「待って。ここで殺すと死体処理の手続きが面倒だわ。国際問題になりそうだし」
私はハンモックから降り、青年の枕元に立った。
近づくと、ノイズはいっそう激しくなる。
「ねえ、あなた。ここで寝られると非常に迷惑なんだけど」
「……ぐ、ぅ……熱い……頭が、割れる……」
青年はうわ言を呟き、身を捩る。
どうやら「魔力酔い」の重症化――「魔力暴走」の一歩手前らしい。自分の魔力量が多すぎて、制御が追いつかず脳がパンクしているのだ。
このままだと、彼自身が自爆して私の庭を吹き飛ばしかねない。
「はぁ。……仕方ないわね」
私はため息をつき、彼のおでこにペシリと手を当てた。
「うるさいから、静かにして(ミュート)」
私は自分の魔力を流し込み、彼の暴走する魔力回路を強制的に「シャットダウン」させた。
といっても、難しいことはしていない。
騒がしいスピーカーのコンセントを引っこ抜いて、絶縁テープ(結界)でグルグル巻きにしたようなものだ。私の「効率化」スキルは、他人の魔力干渉を無効化するのにも応用が効く。
シュゥゥ……。
青年の身体から放たれていたスパークが消え、彼の苦悶の表情が劇的に緩んだ。
「……あ……?」
青年が薄く目を開ける。その瞳は、吸い込まれそうな金色だった。
「……静かだ。……痛くない」
「そう。なら、そこで寝てていいわよ」
私は彼への興味を失い、自分のハンモックに戻ろうとした。
だが、ガシッ、と手首を掴まれる。
「待て。行くな」
「……何? 私、忙しい(寝たい)んだけど」
青年は虚ろな目で、必死に私を見上げていた。
まるで、砂漠で水を見つけた遭難者のような目だ。
「君が離れると、また頭がガンガンする……。頼む、ここにいてくれ。……こんなに深く眠れそうなのは、生まれて初めてなんだ」
面倒くさい。
非常に面倒くさいが、ここで彼を追い出してまた「キーン」という魔力ノイズを出されるのも癪だ。
「……分かったわよ」
私はハンモックの上に置いてあった予備のクッション(最高級低反発・安眠効果付き)を彼に投げつけた。
「枕、貸してあげる。だから私の視界に入らない位置で、静かに寝てなさい」
青年はクッションを受け取ると、それを宝物のように抱きしめ、芝生の上で丸くなった。
そして私の足首を――逃げないようにだろうか――指先でちょこんと掴んだまま、安らかな寝息を立て始めた。
「……スゥ……スゥ……」
驚くほどの即落ちだ。
まあ、静かになったならそれでいい。
私は再びハンモックに身を預けた。足首に繋がれた大型犬のような重みが少し気になるが、心地よい風にかき消されていく。
***
数時間後。
夕暮れのチャイム(これも自動化済み)で目を覚ますと、金色の瞳が至近距離で私を見つめていた。
「おはよう。僕の女神」
「……誰が女神よ。近いのよ」
私は無表情で、青年の顔を手で押しのけた。
彼は爽やかに微笑んでいる。顔色はすっかり良くなり、魔力の暴走も収まっているようだが、その目は少し危険な輝きを帯びていた。
「僕はオリオン。ノクターン帝国の第二皇子だ。……転移魔法の制御に失敗してね。どうやら、この島の異常に濃密な魔力源に、避雷針のように引き寄せられたらしい」
私のせいだった。
ダンジョンの出力を上げすぎたのが裏目に出たらしい。
「そう。怪我が治ったならサヨウナラ。出口はあっちよ」
私はシッシッと手を振った。
皇子だなんて、一番関わってはいけない人種だ。今すぐ帰ってもらわないと、また「公務」や「社交」という名の労働地獄に引きずり込まれる。
だが、オリオンは立ち上がらない。
それどころか、私のハンモックの紐を強く握りしめた。
「帰らない。ここに住む」
「はい?」
「国に帰れば、またあの頭痛と不眠の日々だ。魔力抑制の薬漬けも、分厚い結界越しの会話もごめんだ」
彼は真顔で、しかし軍人らしい真剣な眼差しで言った。
「君は、僕の暴走する魔力を一撃で制圧した。……帝国では『力こそ正義』だ。僕を屈服させた君は、僕よりも強い上位存在だということになる」
「変な理屈をつけないでくれる?」
「君のそばにいる時だけ、僕の魔力は静まる。君は僕にとって、世界で唯一の『安眠剤』なんだ。だから責任を取ってくれ」
「……あのね。私は薬局じゃないし、ここは老人ホームでもないのよ」
「働こう。なんでもする」
オリオンは自分の上着を脱ぎ捨て、筋肉質な腕を見せつけた。
「魔物は素手で倒せる。岩も砕ける。……庭師はどうだ? 雑草の一本も残さず、根こそぎ消滅させてやる」
「雑草と一緒に島が沈みそうだから却下」
「じゃあ、番犬でいい」
帝国の皇子が、真顔で「ワン」と言いそうな顔をしている。
セバスチャンが背後で「やはり埋めましょう。今なら事故死で処理できます」と囁くが、私は少し考えた。
彼の魔力は確かに異常だ。だが、その強大な力はダンジョンの「予備電源」として使えるかもしれない。
それに、彼がここで暴れられたら、私の平和な生活が脅かされる。
飼い殺し(キープ)にするのが、一番コストが低いか。
「……条件があるわ」
私はため息混じりに言った。
「一、私の睡眠を妨げないこと。二、私の許可なく魔法を使わないこと。三、自分の食い扶持は自分で稼ぐこと」
「了解した(イエス・マム)。……おやすみ、ご主人様」
「寝るな。働きなさい」
こうして。
スリープ・ヘイブンに、最強の「不眠症皇子」という、新たな(そして非常に手のかかる)居候が増えたのだった。




