一時間の会話
話し始めてしまえば、意外なほど自然だった。
最初は当たり障りのない話題。
仕事のこと、最近よく行く店、好きな飲み物。
でも、リオの質問は少しだけ違った。
「それ、楽しいですか?」
仕事の内容を説明したあと、ふいにそう聞かれた。
楽しいかどうか。
考えたことがなかったわけじゃない。でも、誰かにそう聞かれるのは久しぶりだった。
「……嫌いじゃないです」
そう答えると、リオは「なるほど」と頷く。
「花帆さんらしいですね」
理由も説明もない一言。
それなのに、胸の奥がふっと温かくなる。
妻でもなく、母でもなく。
役割の名前を呼ばれない会話。
それが、こんなにも楽だなんて。
「休みの日は、何してるんですか?」
「特に……家のことが多いです」
「じゃあ、本当は何したいですか?」
問い詰めるようじゃない、軽い声。
「……ゆっくりコーヒー飲むとか」
自分で言って、少し笑ってしまった。
「今みたいに?」
「はい。今みたいに」
そう答えた瞬間、二人で同時に笑った。
緊張は、いつの間にか薄れていた。
体の力が抜けて、呼吸が楽になる。
リオは、終始落ち着いていた。
距離を詰めすぎず、でも壁を作らない。
視線は、外したり、戻ったり。
ずっと見つめ続けることはないのに、ちゃんとこちらを見ているのが分かる。
——安心する。
そう思ってしまったことに、少し驚く。
話題が途切れた瞬間、静かな沈黙が落ちた。
気まずさ、というほどではない。
でも、一瞬だけ、また緊張が戻ってくる。
何か話さなきゃ、と思ったそのとき。
ふと顔を上げると、リオがこちらを見ていた。
柔らかい、穏やかな笑顔。
何も言わない。
急かさない。
その表情を見た瞬間、私の口元も自然に緩んだ。
——ああ。
無理に言葉を探さなくてもいいんだ。
そんな気持ちが、胸に広がる。
そのときだった。
何気なく視線をずらした先で、壁の時計が目に入る。
短針と長針の位置を、無意識に読み取ってしまう。
……あと、十分。
楽しかった気持ちが、すっと現実に引き戻される。
一時間。
決められた時間。
胸の奥が、少しだけ静かになる。
終わりが近づいていると気づいた途端、さっきまでの高揚が、慎重な感情に変わっていく。
私はカップを持ち直し、もう一度、息を整えた。
——あと十分。
この時間を、ちゃんと心に残そう。
そんなふうに思いながら、もう一度、彼の方を見る。
まだ、終わっていない。
でも、確実に、終わりに向かっている。




