声を聞くまで
店内は、思っていたよりも賑やかだった。
平日の昼下がりだというのに、テーブルはほとんど埋まっている。
仕事の合間らしい人、買い物途中の女性、ひとりで本を読んでいる人。
——よかった。
人が多いことに、少しだけ安心する。
同時に、逃げ場がないことも理解して、胸がざわついた。
「お待ち合わせですか?」
カウンターでそう聞かれ、喉が一瞬詰まる。
「はい……」
自分の声が、少し上ずっているのが分かった。
店員が、店の奥を指差す。
「奥の席に、男性の方がいらっしゃいますが……」
その瞬間、視線が自然とそちらへ向いた。
——あ。
いた。
メールに書かれていた服装。
落ち着いた色合いのジャケット。
背筋を伸ばして、静かに座っている男性。
この人だ。
一気に、緊張が押し寄せる。
名前は、リオ。
年齢は、三十四歳。
少し年下。
それなのに、遠目でも分かるほど、落ち着いた雰囲気をまとっている。
胸の奥で、不安が膨らむ。
——私は、どう映るんだろう。
疲れた主婦に見えないだろうか。
場違いだと思われないだろうか。
そんな考えが、次々に頭を巡る。
足が、なかなか前に出ない。
その時だった。
ふいに、男性が顔を上げた。
視線が、合う。
「あっ……」
思わず、声が漏れた。
逃げ場のない感覚。
不安と緊張が、一気に押し寄せる。
——見られた。
そう思った瞬間、男性の表情が、ふっと和らいだ。
そして、迷いのない動きで、軽く手を振る。
笑顔だった。
作られた感じのない、穏やかな笑顔。
その仕草を見た瞬間、胸の奥が少しだけ緩む。
私は、小さく息を吸った。
——行くしかない。
覚悟を決めて、足を踏み出す。
同時に、彼も立ち上がった。
こちらに向かって、ゆっくりと歩いてくる。
途中ですれ違う視線や、周囲の気配が、やけに遠く感じた。
目の前で、彼が立ち止まる。
思っていたより、背が高い。
でも、威圧感はない。
そして——
「花帆さん、ですよね」
低くて、落ち着いた声。
それを聞いた瞬間、胸の奥で、何かが静かに定まった。
逃げたい気持ちも、迷いも、完全には消えない。
それでも。
私は、小さく頷いた。
——ここまで来た。
そう、はっきりと自覚した。




