眠る人
誠は、先に布団に入っていた。
電気を消した寝室には、
いつものように、静かな呼吸の音だけが残っている。
花帆は、少し遅れて布団に入った。
隣に横になると、
誠の寝息が、思っていたより近く感じられる。
――こんなに近いのに。
手を伸ばせば触れられる距離。
肩も、腕も、背中も。
それなのに、
その距離が、ひどく遠い。
誠は、無防備な顔で眠っている。
仕事の疲れが残ったままの表情。
眉間のしわも、少し緩んでいる。
花帆は、そっと横を向いて、
その寝顔を見つめた。
この人と、どれだけの時間を過ごしてきただろう。
結婚して十五年。
子供が生まれて、
忙しくて、
毎日があっという間で。
触れなくなった理由を、
ちゃんと説明できるわけじゃない。
ただ、気づいたら、
触れなくなっていた。
三年。
長い時間。
でも、あっという間でもあった。
――この人を嫌いになったわけじゃない。
むしろ、
大切で、
安心できて、
家族として、信頼している。
それなのに。
花帆は、布団の中で、
自分の手を見つめた。
この手で、
家事をして、
子供を抱いて、
この家を守ってきた。
でも、
この手は、
「女」として、
もう、使われていない。
誠の寝息が、少し大きくなる。
寝返りを打ち、
無意識に、花帆のほうへ体を寄せた。
一瞬、
肩が、軽く触れる。
それだけで、
胸が、ぎゅっと締めつけられた。
――今なら。
そう思った。
このまま、
そっとくっついてしまえば。
何も言わず、
何も求めず、
ただ、触れるだけ。
でも。
もし、誠が目を覚まして、
少し困った顔をしたら。
もし、
何事もなかったように、
体を離されたら。
その想像が、
花帆の体を、固くする。
結局、
花帆は、動けなかった。
誠は、何も知らず、
また規則正しい寝息に戻る。
その背中を見ながら、
花帆は、静かに目を閉じた。
――私は、どうしたいんだろう。
この人と、
このまま、
家族として生きていきたい。
その気持ちは、嘘じゃない。
でも。
それだけじゃ、
足りなくなってしまった自分がいる。
眠る誠の隣で、
花帆は、
その事実から、目を逸らせなかった。
触れられない夜は、
まだ、続いている。




