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触れない距離 ――一時間だけの夫と、結婚十五年目の私  作者: オレンジ


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既読

家の中が、すっかり静かになっていた。


誠の寝息が、規則正しく聞こえる。

子供たちの部屋からは、もう何も音がしない。


花帆は、布団の中で目を閉じたまま、

スマホの存在を意識していた。


――今日は見ない。


そう決めていた。

これ以上、自分の気持ちを揺さぶりたくなかったから。


それなのに。


ほんの出来心だった。

時間を確認するだけのつもりで、

画面をつけただけ。


その一瞬で、目に入った。


既読。


文字は小さく、

色も変わらない。


でも、それだけで、

胸の奥が、はっきりと鳴った。


――見たんだ。


それ以上の意味は、ないはずなのに。


返事は、ない。

文章も、続きも。


ただ、

見た、という事実だけが残っている。


スマホを握る手に、

少しだけ力が入る。


期待しちゃだめ。

ここで何かを期待する資格はない。


そう、わかっているのに。


――今、あの人は、

――何を思ったんだろう。


考えてしまう。


送ってしまったあの一文を、

どう読んだのか。


誰として、読んだのか。


客として?

それとも――。


「……だめだ」


小さく、つぶやく。


返事が来ていない現実に、

少しだけ安堵する自分がいる。


同時に、

来ないことに、

はっきりとした落胆もある。


その両方が、

自分の中にあることが、苦しい。


スマホを伏せる。


でも、もう知ってしまった。


見た。

読まれた。


それだけで、

花帆の中の何かが、

一歩、進んでしまった気がした。


天井を見つめながら、

誠の寝息を聞く。


選ぼうとした現実。

触れられなかった距離。


それでも、

心は、確かに揺れている。


既読。


たった二文字が、

こんなにも重いなんて、

花帆は知らなかった。



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