力持ち令嬢は武術家令息に恋をする
私の名前はリーシェ・ムース。男爵家の長女で16歳。
お菓子作りが好きな普通の女の子なんだけど、私にはちょっと普通の人とは違うところがあるの。
私が領内の町を歩いていると――
「あら?」
夫婦がタンスを持ち上げようとしているが、苦戦している。
私が話しかける。
「こんにちはー! どうしたの?」
「あっ、リーシェ様! 家の中を掃除しようと一度外に家具を運び出したんですが、もう一度入れるのが大変で……」
「ふうん、だったら私が入れてあげる!」
私はタンスを持ち上げた。これぐらいなら軽い軽い。
夫婦は目を丸くしつつも喜んでくれた。
「ありがとうございます、リーシェ様!」
「どういたしましてー!」
そう、私は力持ちなの。
ムース男爵家はご先祖にドワーフがいて、今となってはその血はすっかり薄れているのだけど、時々私みたいな人並み外れた力持ちが生まれるそう。先祖返りっていうのかな。
腕は普通の女の子みたいに細いのに、我ながらどこにこんなパワーが宿ってるのか。人体って不思議なものだわ。
私はこの力持ちの体を決して嫌いではない。今みたいに役に立つこともあるしね。
でも、やっぱり恋をする上では邪魔だったりするのよね――
***
ある日の朝、私は出かける準備をしていた。
ボブカットの栗色の髪に軽く櫛を入れて、服装は白シャツにモスグリーンのジャンパースカート。あまりお嬢様っぽくないって言われるけど、これが一番しっくりくるのよね。
バッグには手作りのクッキーが入った缶を入れる。今日のはなかなかの自信作。
「行ってきまーす!」
元気よく家を飛び出す。
どこに向かうかというと、とある伯爵家のおうち。
ムース家領の隣にはフォアスト伯爵家の領地があって、互いの邸宅も近く、歩いて30分ぐらいの距離にある。おかげで気軽に行き来できる。
そして、フォアスト家の一角にはなんと道場があるの。
フォアスト家は代々拳法道場をやっているという側面もある。だけど今のご当主は拳法があまり得意じゃなかったとのことで、今はその息子が道場主になっている。
道場に到着した私はノックをして、戸を開ける。
「おはよー!」
中では、大勢の門下生が稽古していた。
多くが10歳前後の子供たちだ。明るく私を出迎えてくれた。
「あっ、リーシェ様だ!」
「おはようございます!」
「ワーイ!」
そして――
「おはよう、リーシェ」
道場主のアルクスがにこやかに笑む。
アルクス・フォアスト。彼が道場主にして、次期フォアスト家当主の令息。
黒髪で切れ長の眼を持ち、凛々しい顔立ちをしている。家柄は向こうの方が上なんだけど、幼馴染なのもあって、気さくに呼び合う仲だ。
「クッキー作ってきたの。よかったらみんなで食べて!」
私は缶を差し出す。
「ありがとう。それじゃ、休憩にしようか」
子供たちは私のクッキーを喜んで食べてくれる。
「おいしー!」
「もう一枚……」
「あっ、取りすぎだぞ!」
「たっぷりあるから、みんな喧嘩しないの」
私がなだめると、みんな素直に従う。本当にいい子たちだ。
アルクスもクッキーを食べている。今の彼は道着姿なのに食べ方は貴族らしく礼儀正しい。
「どう?」
「美味しいよ。疲れた体がみるみる回復していくようだ」
「やだ、大げさなんだから~!」
私はアルクスの肩を軽く叩いた。つもりだった。
「ぐっ!?」
その途端、アルクスの体は大きく曲がって、危うく倒れるところだった。
しまった、ついやってしまった。こういう時は自分のパワーが恨めしくなる。
「ごめんなさい、大丈夫!?」
「ああ、大丈夫さ」
とはいえ、アルクスの体も鍛え抜かれてるから、これぐらいじゃビクともしない。相手がアルクスで本当によかったわ……。
その後も私は道場でみんなの世話を続ける。
飲み物を渡したり、タオルを渡したり、応援したり……。時には組手で負けて泣いてしまった子を慰めてあげることも。
すっかり道場のマネージャーになってしまっている。
こんなことをしているのには、もちろん理由がある。
私自身が世話好き、道場の子供たちが可愛いっていうのはもちろんあるんだけど、やっぱり一番は――
「お疲れ~。はい、タオル」
「ありがとう」
汗を拭くアルクスがまた、爽やかでかっこいい。
そう、私はアルクスに恋をしてしまっているの。
意識したのは一年か二年前ぐらいからかなぁ。昔は可愛い男の子だったのが、背も伸びて急にかっこよくなっちゃって、私も意識するようになってしまった。
正直、門下生の子たちにもバレバレだから、こんなことを言われたりする。
「リーシェ様さ……先生のこと好きでしょ?」
「え? やだ、そんなことないわよぉ! オホホホホ……」
「分かりやすすぎる……」
これだけ分かりやすいのに、肝心のアルクスには私の好意は届いていない。
今日も稽古が終わったので、私が帰ろうとすると――
「リーシェ、どうもありがとう。君がいると本当に助かるよ」
「あら、お礼なんかいいのに。私は好きでやってるだけだから」
こういう場面で、
『好きといえば……僕は君のことが好きだ』
『え!?』
『いつも道場を助けてくれてありがとう。そのお礼はこのキスで……』
『え、え、え~!?』
こんな展開になってくれたら最高なんだけど、このところアルクスはいつも私にこう言う。
「リーシェ、この道場に入門しないか?」
道場に勧誘してくるの。
そりゃあ私みたいな力持ちが武術をやったら結構いいところまでいけそうな気もするけど、私にそのつもりはないのよね。
人を殴ったりするの苦手だし。だから私はいつもこう返す。
「私にそのつもりはないから……」
アルクスは少しうつむく。
「そうか……残念だ」
残念なのは私だ、と言いたい。ホント鈍感なんだから。
私から告白すれば早いんだけど、格上の貴族に私からというのはやはりためらわれるし、なにより勇気がない。断られたらその日からずっとベッドで寝込みそう。
結局この日も私たちの仲は進展しないまま、道場を後にした。
***
夕食後、自宅で弟のリゲルとチェスをする。
リゲルは私の二つ年下、栗色の髪と瞳を持つ少年で、私のように力持ちじゃないけれど、非常に頭がいい。将来は立派な当主になってくれるでしょうね。
駒を動かしながら、姉弟で会話をする。
「姉さん、今日もアルクスさんの道場に行ってたんだろう」
「うん、まあね」
「で、なんの進展もなかったと」
私はギクリとする。
「し、進展ってなんのことよぉ!」
「姉さんの好意なんてバレバレだよ。気づいてないのなんて、アルクスさんぐらいじゃないの」
「ぐぬぬ……」
「いっそ姉さんから言っちゃえばいいのに。姉さんがアルクスさんとくっつけば、父さんも母さんも喜ぶよ」
「……それができたら苦労はないっての」
盤面を見る。明らかに私が劣勢だ。
「アルクスさんにはなんて言われてるの?」
「道場に入門しないか……って。もちろん断ったけど」
私は駒を持って、どこに置くか決めかねる。
「入門しちゃえば? 一年か二年も鍛えてもらえば、史上最強の力持ち武術家令嬢リーシェ・ムースが誕生したりして」
「なんですってぇ!?」
指に力を入れすぎて、持っていた駒にひびが入ってしまった。
「きゃあああ! ご、ごめんなさい!」
「こんなこともあろうかと、安いチェス盤にしておいてよかったよ」
盤面だけでなく、私の行動まで読んでいた。
まったくリゲルには敵わないなぁ……。ちなみにチェスもボロ負けしてしまった。
***
数日後、また私はアルクスの道場にやってきていた。
私の恋心は伝わらないけど、マネージャー業は結構楽しい。
「よし、休憩にしよう!」
「じゃあ私特製のマフィンをご馳走するわよ~!」
「ワーイ!」
門下生の子供たちにお菓子を配る。
だけど、そんな和やかなムードを台無しにする来客が現れる。
「フッ、相変わらずシケた道場だな」
やってきたのは、デワイアル伯爵家の令息クレイグだ。
真ん中で分けた金髪、スーツがよく似合う整った顔立ちをしているけど、表情には陰湿さと傲慢さがぷんぷん漂っている。はっきり言って私は好きじゃない。
デワイアル家の領地も私たちの領地の近隣にあり、よく知る仲だ。
アルクスもほんの少し顔を強張らせている。
「なんの用だ、クレイグ」
クレイグは肩をすくめる。
「ずいぶんな挨拶だな。それがわざわざ訪ねてきた同じ貴族に対する態度か?」
開口一番“シケた道場”なんて言った人が何か言ってる。ホント腹が立つ。
だけど、アルクスは冷静だ。
「なんの用か聞いているんだ」
「ふんっ、つまらん奴だ。例の話について考えてくれたか?」
「あの話なら、もう何度も断ると言ったはずだ」
「なぜだ? お互いに悪い話じゃないはずだ」
「どこがだ。あの山を切り開いて、貴族たちの避暑地にするなどふざけてるにも程がある」
私もこの件については知ってる。
フォアスト家とデワイアル家の領地には、共有地ともいえる山がある。
自然豊かな山で、お互いにたまに手入れをする以外は最低限の干渉で済ませようという盟約が成り立っていた。
そんな山に目をつけたのがこのクレイグだ。山を開拓して、リゾート地を作ろうとしている。
しかし、フォアスト家の許可を得ずに山を開拓すると重大な盟約違反になってしまうので、アルクスに話を持ちかけている。次期当主であるアルクスは、すでに自分のお父様から、領地経営に携わる権限を認められているからね。こういった契約を自分の判断で行うことができる。
でも、アルクスはこの話を何度も断っている。
「話は終わりだ。帰ってくれ」
「なぜだ? そんなに自然を大切にしたいってか?」
「それだけじゃない。むやみに山を切り開けば、土砂崩れなどの災害を引き起こす危険性もある。民を守る貴族として、そんなリスクを冒すわけにはいかない」
「儲けるためには、リスクを背負うことも必要さ」
「貴族はギャンブラーじゃない!」
実直なアルクスと軽薄なクレイグのやり取りはいつも平行線。
この日もクレイグは舌打ちしつつ、道場を立ち去っていった。
「ヤな感じね。いつもいつも」
私が言うと、アルクスは笑う。
「まあ、クレイグなりに家を盛り立てようと必死なんだろう」
こういう時に「ああ、あいつは嫌な奴だ」とは言わないアルクスが私は好きだ。強くてかっこよくて優しくて、本当に貴族の鑑という感じ。
あとは私の気持ちに気づいてくれれば言うことないんだけど――
「リーシェ、道場に入門する気は……」
「ないって!」
残念ながら、その時が来るのはまだまだ先の話になりそう。
***
しばらくして、私がいつものように道場に出向くと、どうも雰囲気が暗かった。
門下生の子供たちがみんな沈んでいる。
「みんな……どうしたの?」
「リーシェ様、実は……」
話を聞くと、門下生の子供たちの家がなにやら嫌がらせを受けているらしい。
畑を荒らされたり、家の壁に落書きをされたり、庭に家畜の糞を投げ込まれたり……。
私も胸が痛む。
「ひどい話ね……」
アルクスも険しい顔つきで正座をしている。
「アルクス、犯人に心当たりはないの?」
私が聞くと、アルクスは黙り込んでいる。
心当たりはあるが、ここで言うべきではない、という表情に見えた。
すると――
「よぉ、アルクス」
「クレイグ……」
またもクレイグがやってきた。
用件はいつものように「一緒に山を開拓しよう」だったが、アルクスはいつものように断る。
ところが、ここでクレイグが思わぬ提案をする。
「なぁ、いつまでもこんなやり取りするのもバカげている。どうだ、いっそ戦いでケリをつけないか?」
「戦い?」
「俺はこの道場に道場破りを申し込む!」
道場破り……? こいつ、なに考えてるのよ。
「もし俺が勝ったらお前は俺の言うことを聞く。お前が勝ったら俺は大人しく引き下がる。二度とこの件を蒸し返さない。どうだ?」
クレイグも貴族として武芸の心得はあるけど、アルクスに勝てるわけがない。こんなのプロのパティシエに私がお菓子作り勝負を挑むようなものだ。
これはむしろ受けた方がいいんじゃ、と思ったけど――
「断る。領民の運命も左右する事柄を、試合などで決めることはできない」
やっぱりこうなるか。アルクスが受けるわけがなかった。
だけど、クレイグは――
「ふん、腰抜けか。偉そうに道場なんざ開いてるが、所詮は戦う度胸もないチキンってところか。道場破りに背を向けて震えちまうんだからな」
これに私はムカッとしたし、子供たちも不快な感情をあらわにする。
しかし、当のアルクスは平静を保ったままだ。
「なんとでも言え」
やっぱり平行線。ところが、クレイグは顎を上げてこう言った。
「俺の挑戦を受けるなら、もしかすると門下生のガキどもが受けてる嫌がらせも止むかもなぁ」
これには道場の全員が反応したし、私も思わず――
「あっ、まさかあんたがやったの!?」
「あんた? 誰に口きいてんだ。馬鹿力女」
「誰が“力女”よぉ!」
「馬鹿はいいのかよ」
「そこはまあ、別に……」
私も自分が賢いとは思ってないし、別にいいわ。
だけど、直後――
「受けてやる」
アルクスだった。いつもとは違い、眉が吊り上がり、目が怒気に満ちている。
「その挑戦受けてやる!」
さすがのアルクスも門下生に危害を加えられたらそれは怒るわよね。
クレイグはニヤリと笑う。
「決まり。ただし、素手同士じゃとても歯が立たない。それに貴族同士で殺し合いはゴメンだ。俺は俺で殺傷力の低い武器を用意させてもらう。これでいいか?」
クレイグは腰に差した木剣をちらりと見せた。剣術の心得があるから、あれを使うつもりなのだろう。
「ああ、いいだろう」
「日時は明日の正午、場所はここでいいよな?」
「それでいい」
「楽しみにしてるぜ」
去っていくクレイグを、アルクスはずっと睨みつけていた。こんなに怒っているアルクスを見るのは初めてかも。
「とんでもないことになっちゃったね」
私が声をかけると、アルクスはうなずく。
門下生たちが口々に謝り始める。
「先生、ごめんなさい! ぼくたち足手まといになっちゃって……」
自分たちがアルクスvsクレイグ開戦の引き金になってしまったと感じているのだろう。
「いや、ここで僕が我慢したとしても、奴はどんどん嫌がらせをエスカレートしていただろう。もっと早く奴とは決着をつけるべきだったんだ」
アルクスもまた責任を感じていた。それに“奴”という言い方には強い怒りがにじんでいる。
事態は深刻だけど、私は楽観視していた。
「でも、あいつも軽はずみよね。アルクスに戦いを挑むなんてさ」
「クレイグもよほど自信があるということだろう。油断はできない」
「大丈夫よ、アルクスなら!」
「リーシェにそう言ってもらえると大丈夫な気がしてくるよ」
「アルクスったら……」
アルクスは本当にかっこいい。この状況でも心は山のように落ち着いている。
クレイグなんかに負けるはずないし、この騒動はあっさり終わるものと思っていた。
***
自宅に戻り、私はリゲルに今日のことを話す。
「アルクスさんとデワイアル家の息子が?」
「うん、明日一対一の対決をするの」
「姉さんは応援に行くの?」
私は手を振る。
「行かない、行かない。試合だし、邪魔になっちゃ悪いからね。それにどうせアルクスが勝つから応援の必要なんてないでしょ」
リゲルは神妙な顔つきをしている。
「……? どうしたの?」
「行った方がいいんじゃないかな」
「え、どうして?」
「デワイアル家の彼……彼がなんの勝算もなく、道場破りなんてするとは思えない。絶対勝てる手を用意してるはずだ」
そう言われると、なんだか不安になってくる。アルクスが負ける姿は想像できないけど……。
「うん……応援だけでもしようかな」
嫌な予感を抱きつつ、私はやっぱり行くことを決意した。
***
翌日、私は午前中に道場を訪ねた。
「来てくれたのか」
「うん、もちろんアルクスの勝利を見にね」
「ありがとう。期待に応えられるよう頑張るよ」
見る限り、アルクスの気迫は充実している。クレイグがどんな手を使ってこようと、負けるとは思えない。
しばらくいつも通りの稽古をした後、時刻が正午を迎える。
少し遅れてクレイグが従者を一人連れてやってきた。わざとらしく遅刻するのもいかにもこの男らしい。
「たのもう! ……って言うんだっけか? こういう時って」
へらへらとした挨拶も憎々しい。服装は少し緩やかな運動着で、手には木剣を持っている。あれで戦うつもりだろう。素手と武器の戦いになるけど、やっぱりアルクスが負けるとは思えない。
「さっそく始めようか」
アルクスは軽口に付き合わず、道場の中央に立つ。
クレイグもその数歩前に立つ。
「じゃあ、試合開始の合図は……」
アルクスが言った瞬間、クレイグがいきなり木剣を振り下ろした。
みんな驚いたけど、アルクスは冷静だった。軌道を見切って、後ろに下がって避けた。
「……ちっ」クレイグが舌打ちする。
「ずるいわ!」
私は思わず声を上げてしまう。
「黙ってろ馬鹿女! 勝負にずるいもクソもないんだよ!」
馬鹿呼ばわりされた。だけど、“馬鹿力女”はやめてくれたから、ちょっといいところもあるじゃないと思ってしまった。
「ああ、その通りだ。武術の真剣勝負に“ずるい”は無い」
アルクスが仕掛けた。
鋭い拳を一発、二発と当て、さらには中段の蹴りがクレイグのお腹にヒット。
「ぐへえ……く、くそっ!」
クレイグも木剣で応戦するけど、攻撃は当たらない。やっぱりこの二人の実力差は明白だった。
門下生の子供たちも盛り上がり、試合は一気にアルクスのペースになる。私も両手を拳に変えて応援する。
ついには――
「ぐあっ!」
アルクスの拳がクレイグの左手を打ち、クレイグは木剣を落とした。
「あうう……」
アルクスはそんなクレイグを見据える。
「降参しろ。剣無しで僕に勝てると思うほど、うぬぼれてもいないだろう」
私はアルクスの勝利を確信した。
でも、ミゲルの言葉がふと頭をよぎる。
――絶対勝てる手を用意してるはずだ。
まさにその時だった。
「……ッ!?」
アルクスが目を見開いている。
見ると、アルクスの両腕が細い糸に縛られて、手枷でもかけられたようになっている。
「ククク、勝負はここからだ!」
クレイグの両手の袖から細い糸が出て、それがアルクスの両腕を絡め取ったんだ。
あれじゃアルクスは両腕を使えない。
妙に緩やかな運動着は、あの武器を仕込むためのものだったんだ。
「これは……!?」
「ある大国で開発された、軍でも御用達っていうワイヤーさ。強度は抜群で、仕留めたドラゴン運ぶ時なんかに使われるんだとさ。闇ルートで購入したから高かったし、使いこなすのには苦労したが、使いこなせばこっちのもんだ!」
クレイグは木剣を拾い、まともに両腕を動かせないアルクスに殴りかかる。
肩に強烈な一撃がヒットした。
「……ぐっ!」
「その状態じゃガードもできねえだろ!」
これには私や門下生のみんなも抗議する。
「なによそれ! あんたは木剣で戦うはずじゃなかったの!?」
「そうだそうだ!」
「ずるいぞー!」
クレイグはニヤリと笑う。
「俺は“殺傷力の低い武器を用意させてもらう”と言ったんだぜ? 木剣だけで戦うとは一言も言ってねえ!」
そう言われてみれば……でも、こんなのアルクスにあまりに不利すぎる。ただでさえ素手なのに、相手は木剣持ちで隠し武器まで使うなんて。
「それに、これがずるいとして、勝負にずるいもクソもねえんだよ!」
さっきの言葉を繰り返して、クレイグはアルクスに何度も木剣を振り下ろす。
「オラァッ! オラッ! もいっちょぉ!」
アルクスがとうとう出血をする。あまりに痛々しい光景だ。
でも、アルクスの目は死んではいなかった。まだ勇ましい光を宿している。
「その通りだな……!」
アルクスの蹴りがクレイグの顔をかすめた。
「うっ!?」
「腕が使えないなら、足で戦うまでだ」
ローキックがクレイグの太股を打つ。
「うぐあっ!」
たった一撃で、クレイグの顔が青ざめる。
「こ、こいつ……!」
「真の武術家は両腕を失っても戦うだろう。僕が目指すのは……そんな武術家だ!」
両腕を縛られた状態じゃ、決していいキックは出せないでしょうに、それでもアルクスの蹴りは強烈だった。
足だけで、木剣とワイヤーを使ったクレイグを追い詰めていく。
だけど、ここからだったの。
私が『絶対勝てる手を用意しているはず』の真の意味を知るのは――
「……やれ!」
クレイグの合図とともに、従者が動いた。
従者は近くにいた門下生の子供の首を掴み、こう叫んだ。
「動くな! 動けばこいつの首の骨を折る!」
自分がどんなにダメージを受けても慌てなかったアルクスが初めて焦りの表情を浮かべる。
クレイグはそのチャンスを逃がさなかった。
「そりゃあっ!!!」
木剣がアルクスの頭にクリーンヒット。血も噴き出す。
クレイグはここぞと猛攻を仕掛ける。アルクスを一方的に滅多打ちにする。
「ヒャハハッ! 両腕絡め取られて、人質まで取られたら、さすがに打つ手がねえだろォ!」
アルクスの脳天にトドメの一撃が命中。ついにアルクスはダウンしてしまう。
クレイグは下卑た笑みを浮かべる。
「俺の勝ちだ! あの山の開拓権は俺のモンだァ!!!」
私は下唇を噛み締める。
木剣だけじゃなくワイヤーなんて使って、しかも人質まで取って……こんなの、ひどすぎる!
勝負にずるいもクソもないのなら、私が戦ったって文句は出ないはず!
「アルクスは負けてないわ! だって私がいるもの!」
私は夢中になって飛びかかっていた。
このドワーフの血由来の拳で殴れば、クレイグだって倒せるはず――
「馬鹿女が!」
だけど、そう甘くはなかった。
私の両腕は、アルクスと同じようにワイヤーに絡め取られてしまった。
ギチギチに締めつけられて、これじゃ相手を殴るどころじゃない。
「お前の馬鹿力は知ってるが、それだけで俺に勝てるわけないだろう」
そりゃそうよね……。でも、諦めるわけにはいかない。
このワイヤーをどうにかしないと……。腕を動かしてほどくのは無理だ。だったら方法は一つしかなかった。
「ぐぅぅぅぅぅ……!!!」
私は両腕に力を込めて、ワイヤーを引きちぎろうとする。
でも、ものすごく頑丈。腕にワイヤーが食い込んでものすごく痛い。でも、やらないと。
「んぎぎぎぎ……!!!」
私はさらに力を込める。こんなに力入れるの、生まれて初めてかも。
でもワイヤーはちぎれそうにない。
「馬鹿が! 俺の説明を聞いてなかったのか? 軍隊でも採用されてるワイヤーだぜ? お前如きがちぎれるわけねえだろ!」
こう言われても、私は力を緩めるわけにはいかない。
「んぐぐぐぐぐ……!!!」
「学習能力がねーのか! 百年やってもちぎれねえって!」
「んぎいいいいい……!!!」
――その瞬間。
私は手応えを感じた。“イケる”って感じの手応えを――
よぉし、あと一息だ。
「んぎあああああああああっ!!!!!」
ブチブチッという音を立てて、私の両腕が解放された。
とうとうワイヤーがちぎれたのだ。
クレイグは目を丸くしている。
「……なにぃ!?」
「や、やったぁ!」
私はちぎれたワイヤーを見て大喜びする。
「できるわけねえ! これはドラゴンだって運搬できるワイヤーなんだぞ!」
「じゃあ、きっと粗悪品だったんじゃない?」
私は率直な意見を返した。
「粗悪品なわけあるかぁ! あんなに高かったのに、アルクスの野郎を倒すための秘密兵器だったのに……どうしてくれる!」
「そんなこと言われても困るんだけど……」
私ももちろん無事というわけにはいかなかった。
服の袖はボロボロになっちゃったし、ワイヤーが食い込んだ部分は血も出てる。跡が残らなきゃいいんだけど。
「あーあ、服が台無し。血も出てるしさ……」
「くそぉぉぉ……」
私は自分の両腕を見て、クレイグはワイヤーをちぎられたことにショックを受けている。
ぼそりと声が響いた。
「……クレイグ」
いつの間にか、アルクスが起き上がっていた。木剣であれだけ殴られたのに、なんて根性なの。クレイグもたじろいでいる。
「アルクス! ……しぶとい奴だ!」
「血を流させたな……」
「……?」
「僕の大好きなリーシェに、血を流させたな!!!」
私がこの言葉に驚くより早く、アルクスはクレイグに飛びかかっていた。
クレイグも咄嗟に木剣を振り下ろすけど、アルクスはそれを拳でへし折ってしまう。
「なっ!?」
クレイグは折れた木剣を見て、驚愕している。
そこへ――
「許さん!!!」
クレイグの顔面にアルクスの拳がめり込む。すごい音がして、そのままクレイグは道場の壁まで吹き飛ばされた。
「ぐべあっ!」
クレイグの全身は数秒間壁に静止した後、床に落ちた。
白目をむいており、完全に気絶している。
さらに、人質に取られていた門下生の子が――
「たあっ!」
「ぐはっ!」
主人をやられて呆然としているクレイグの従者に蹴りを入れ、自ら脱出した。さすがアルクスの教えを受けてるだけのことはある。
こうなってはもう、クレイグ側になすすべはない。
アルクスが凛々しい顔立ちで従者に告げる。
「僕の勝ちだ。クレイグを連れて帰れ。さもないと、お前も叩きのめすぞ!」
「ひいいっ……!」
従者はクレイグを抱え、道場から逃げ去った。アルクスの完全勝利だ。
敵がいなくなった道場で、私とアルクスは見つめ合う。
「ふぅ……なんとかなったね」
「ああ……。それより、リーシェ、怪我は?」
「これ? 平気、平気。ちょっとワイヤーが皮膚を切っちゃっただけだからさ」
「そうか……。でも、しっかり治療しよう。傷からばい菌が入ったら大変だ」
「うん、そうする。アルクスもちゃんと治療してね」
処置を終えると、勝利の後だというのに、気まずい沈黙が流れる。
きっとお互い、さっきのアルクスの言葉を意識してるから。
ええい、アルクスったら。今日は私から言ってあげよう。
「あのさ、アルクス」
「ん?」
「さっき……『僕の大好きなリーシェ』って言ってくれたよね?」
「あ、ああ……」
目を背けるアルクス。
「あれってどういう意味……?」
アルクスははにかみながら――
「そのまんまの意味さ。僕はリーシェが好きだった。ずっとね」
知らなかった……。
アルクスは私を友達のように認識してると思ってた。
だって――
「でも、そのわりに私に女性としての関心がなかったっていうか……特に最近はよく、私を道場に入門させようとしてたじゃない? あれはなんだったの?」
すると、アルクスは首を傾げた。
「えっ、まさか通じてなかった!?」
「通じて……って何が?」
「あれはプロポーズのつもりだったんだけど……」
「えええええ!?」
さっきから驚きっぱなしだったけど、今のが一番驚いた。
プロポーズってどういうこと!?
「あれのどこがプロポーズなの!?」
「あ、いや……前に読んだ恋愛小説で、王子がヒロインの令嬢に『僕の城に来てくれないか』ってプロポーズする場面があって感銘を受けて、あれを真似してみたつもりだったんだけど……」
「いやいやいや! 分かるわけないでしょ!」
「なんで?」
「なんでも何も……“入門してくれ”って言われたら“武術をやろう”って誘いに聞こえちゃうって!」
「そうだったのか……。僕にそんなつもりはなかった……」
子供たちが笑っている。そりゃそうよ。私だって笑いたくなったもの。苦笑いだけど。
「本当にすまない……」
「そんな真剣に謝らなくてもいいけど……」
「で、どうかな。返事は?」
「え」
「僕の気持ちは今の通りだ。リーシェはどう思ってるのかな」
……あ。そういえば、私もまだ気持ちを伝えていなかったっけ。
だったら、思い切り言ってあげよう。
「私も好き!」
アルクスが目を大きく開く。
「私もアルクスとお付き合いしたい!」
「……ありがとう」
晴れてカップル成立だ。本当に長かった……。
お互いにもう少し敏感ならもっと早く成立した気もするけど、それもまた一興ね。
ここで門下生の子供たちが――
「先生がさっきのクレイグ様からの勝負を受けたのは、ぼくらが嫌がらせを受けたのもあるけど、一番の理由は“リーシェ様が悪口を言われたから”ってのもあると思うよ」
「え……」
そういえばあの時、クレイグは私を「馬鹿力女」と罵って、直後にアルクスは珍しく怒って勝負を受けた。そうか、そういうことだったんだ……。
「ありがとう、アルクス」
「いや……僕としてもあの時は冷静さを欠いていた。勝てたからいいものの、負けていたら大変なことになっていた」
「まあね。でも、私はアルクスなら絶対勝てると思ってたから……」
「ありがとう、リーシェ……」
私たちは目を合わせ、私はついアルクスの胸に飛び込んでしまった。
アルクスの逞しい体を思い切り抱き締める。
「アルクス、大好きっ!」
「僕も……ぐっ!?」
……あ。やっちゃった。抱き締めすぎた。
「大丈夫!?」
「なんとかね……。クレイグの攻撃なんかより遥かに効いたよ」
「……もう!」
門下生の子たちが大笑いする。
アルクスの顔もほころぶ。
そして、私も笑った。
こうして、クレイグたちとの騒動は無事終わりを告げた。
ちなみにクレイグはというと、この件をきっかけに、悪行が全て明るみになってしまった。
共有地の開拓のため、他領の領民に嫌がらせをし、試合では数々の汚い手を使い、アルクスと私に怪我を負わせた。
アルクスのお父様はもちろん厳しく抗議したし、デワイアル家のご当主、つまりクレイグのお父様も大激怒したという。
クレイグは後継者から外され、もはや表舞台に立てることはないみたい。
もっとも、クレイグ自身がアルクスをひどく恐れるようになって、もうその心配はなくなったけどね。そりゃあ、パンチ一発であれだけ吹き飛ばされればね……。
とりあえず、めでたしめでたしってところね。
***
程なくして、私とアルクスは正式に婚約を交わした。
お父様とお母様は喜んでくれたし、アルクスのご両親も快く認めてくれた。結婚はもうちょっと先だけど、今から楽しみで仕方ない。
ある朝、いつものように出かけようとする私に、リゲルが言う。
「アルクスさんの道場に行くの?」
「うん、マネージャーしてくる!」
「もう婚約者同士なんだし、たまには泊まってきたら? 父さんと母さんには上手く言っておくよ」
「そんなことしないわよ!」
リゲルったら……。頭がいいのはいいけど、余計なことにまで気が回りすぎよ。
道場に着くと、みんなが明るく迎えてくれる。
「さあ、婚約者のご登場よ~!」
「リーシェ、来てくれたか」
「うん! 今日もしっかりマネージャーするね! お菓子も持ってきたよ!」
「ありがとう。よしみんな、稽古を始めよう!」
「稽古、頑張ってね~! みんなで強くなってね~!」
力持ちの令嬢な私は幸せに生きていく。
だって、私にはこんなに強くて頼りになる未来の旦那様がいるんだもの。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。




