9 朝陽の中のはじまり
雨上がりの時計塔は、魔導ガラスに残った雫が朝陽を反射し、宝石のようにきらめいていた。
ガラスにそっと触れると、ひんやりとした冷たさの奥で、歯車の脈動が指先へ心地よく伝わってくる。
ふっと映り込んだ自分の垂れ目。
アメリアはガラスを鏡代わりに、前髪と服の裾を小さく整えた。
レモンイエローの作業つなぎ。
ヌメ革のバッグには、スケッチブック、ノート、鉛筆、クレパス、定規、計算機、小さな工具、参考文献。
そして、こっそり入れた小さな鏡と薄いリップ。
ポニーテールには、今日は真鍮の小さな花飾り。
毛先もほんの少しだけ巻いた。
――エリオットでも気づかないくらい、ほんの少し。
頭上から、ゴォォーン。
人々の一日を告げる第七魔導時計塔の鐘。
アメリアは胸がじんわりと誇らしくなり、そのまま階段を上った。
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管理室の扉をノックすると、すぐに「はい」と声がした。
相変わらず素っ気ない。
「アメリアです。おはようございます」
扉の隙間から現れたヘルマンの眉が、少しだけ寄る。
「……まだ七時前だぞ。早くないか? 学校は?」
「単位は全部取り終えました。残っているのは卒業制作だけで。
いつもはラボで文献読んだり設計図を描いて、エリオットの仕事が終わってから来てました」
腕を組んで見下ろすヘルマンの顔には、ほとんど表情がない。
何を考えているのかは、まるで読めなかった。
「あの……」
アメリアは小さく手を上げる。
「テーブルの端だけお借りできませんか?
静かに文献読んだり線を引いていますので、お邪魔にはならないと思います。
ヘルマンさんのお手が空いたら、少しだけお話を聞ければ……。
できれば、お手伝いも……」
ヘルマンが、かすかに口端を上げた。
「図々しいんだか、謙虚なんだかわからんな」
「……すみません」
ヘルマンはアメリアの鞄を、何の躊躇もなく取りあげる。
「重いな……」
ぼそりと呟いて先に歩き出し、アメリアは慌ててその後を追った。
書架の並ぶ向こう、製図台が五台整然と並んでいる。
壁際の一台だけ、文具や図面が置かれたまま。使われていない台はすべて片付いていた。
そのさらに奥には、大きな共同作業用テーブル。
椅子は壁際に積まれ、整然と静かな空間が保たれている。
ヘルマンは製図台の一つのそばにアメリアの鞄を置く。
「使っていい」
アメリアは顔を上げる。
「昔は何人か設計士がいたんだ。今は俺一人だが……好きにしていい」
銀灰の髪が朝の光をやわらかく弾き、黒い瞳にはランプの光が丸く映り込む。
少し近づくと、柑橘の香りがした。
「ここで作業してもいいんですか?」
「俺はしつこく話しかけられるのは嫌いだ。
けど、静かにしてくれるなら……好きにしていい」
「はい!」
アメリアは思わず笑い、製図台をそっと撫でた。
「……なんか、くすぐったいですね。ふふ……嬉しい」
その様子を横からのぞくようにして、ヘルマンは短く目を細める。
「……嬉しいのか。そうか」
帰ろうとした彼の指先が、ふいにアメリアのポニーテールの先をちょんとつまんだ。
「今日は、くるんとしているんだな」
アメリアは瞬きし、顔を上げる。
けれど、ヘルマンはもう制御盤の前へ戻ってしまっていた。
頬に熱が上がる。
指先で、そっと毛先に触れた。
「……なんで、わかるの……?」
――優しいのか、ぶっきらぼうなのか。
繊細なのか、偏屈なのか。
わからないところだらけ。
でも、目が離れない。




