8 雨のあと、少し近くなる
三人は作業を終え、第七魔導時計塔の管理室へ戻ってきた。
ヘルマンはほとんど何も言わずに部屋の奥へ突き進むと、淡々と湯を沸かし始める。
「その……お手伝いします」
アメリアがおずおずとヘルマンの横に立って声をかけた。
黒い瞳が、横から彼女を見下ろす。
ヘルマンは何も言わず、棚からタオルを二枚取り出すと、一枚をアメリアの頭にふわりとかぶせ、タオル越しに髪をわしゃっと乱暴に拭いた。
「髪を拭け。風邪を引くぞ。もう一枚はエリオットに渡してやれ」
「……はい」
ぶっきらぼうなのに、なぜだか優しい。
ヘルマンはすでにポットへ視線を戻していたが、アメリアの胸の奥は、不意にあたたかくなる。
扉のそばで外套の水を払っていたエリオットに、アメリアはタオルを押し付けた。
「ありがとう……。え? なんで顔赤いの」
「うるさい。なんでもない。黙ってて」
「えぇ……なんで?」
――タオル越しに触れた手が、温かくて、大きくて。
ただそれだけなのに、胸がどきっとして恥ずかしくなってしまった。
アメリアはテーブルの席に腰を下ろし、ポニーテールを解いて髪を拭き始めた。
エリオットも不思議そうに首を傾げながら隣に座る。
やがて、ヘルマンが湯気の立つカップを三つ持って現れた。全部バラバラのデザインのカップ。
二人の前に紅茶を置き、自分もアメリアの隣に腰掛ける。
「手伝わせてしまって、悪かったな」
双子は首を振って笑う。
「むしろ、やらせてもらえて嬉しかったです」
「僕も、楽しかったです」
ヘルマンはちらと二人を確認するように見てから、視線をエリオットへ移した。
「エリオットは王立魔導建築学院で補講師をしてると言っていたな。どこのラボだ?」
「魔導都市設計研究室です」
「なるほど。技術屋ではないんだな。……だが、手際は悪くなかった」
エリオットは耳まで赤くなった。
「あ……ありがとうございます」
黒い瞳が、次にアメリアを見る。
濡れた銀灰の髪から、かすかに雨と柑橘の匂いがした。
「アメリアは?」
「わ、私は……王立魔導建築大学の最終学年です。魔導構造設計を専攻しています」
ヘルマンは小さく頷く。
「なるほど。お前はその手のことに経験があったんだな。俺の動きを理解していた。
些細なことだが、ランプの当て方も正確だった。作業がしやすかった。礼を言う」
アメリアは思わず目を瞬かせた。
「……たいしたことは……」
紅茶を一口飲む。
湯気と香りが、冷えた身体に優しくしみていく。
「それにしても、お前ら双子だろう? 兄は補講師なのに、妹は学生なのか?」
エリオットがタオルを首にかけながら言う。
「僕は飛び級したので、早めに卒業したんです」
「そうなの。知らないうちに飛び級試験を受けてて、ビックリした」
「アメリアも飛び級できる実力はありましたよ。
でも、あの頃のアメリアは魔導建築めぐりに夢中で……。
学者になるって決めていた僕と違って、アメリアは急ぐ必要もなかったし。僕もわざわざ言わなくていいかなって」
「相談くらいしてくれたらよかったのに……」
「どうせ受けなかっただろ?」
「まぁ……そうかもしれないけど」
黙って聞いていたヘルマンが、ふっと吹き出した。
「見た目はそっくりなのに、合理主義の兄とぽやぽやした妹なんだな」
エリオットは楽しそうに笑って頷き、アメリアはヘルマンを見て顔を赤らめ、口を手で押さえる。
「……ヘルマンさんが……笑った」
「あはは! 本当だ。ヘルマンさんが笑うとこ、初めて見た」
ヘルマンは眉を歪めると、苦いような照れたような顔で、そっぽを向いた。
彼はまた一口、紅茶を口にした。
「ところで、アメリアは卒業制作は何にするんだ?」
「魔導建築の模型を……作ろうと思ってます」
「どんな建築?」
アメリアは俯き、こっそりヘルマンを見た。
「第七魔導時計塔に……しようかなって……」
どんどんアメリアの声が小さくなる。
「そうか。いいんじゃないか」
ぱっと顔が上がる。
アメリアは膝の上で指を組んだ。指先が触れたワンピースはまだ少し雨の湿り気を吸って、ひんやりしている。
「見学に来てもいいですか? お話も伺いたいのですが」
「いいよ」
短い一言。ヘルマンの瞳がこちらを見ることはなかった。でも、アメリアは嬉しくて仕方ない。
「アメリア、よかったね」
「うん!」
彼女は紅茶の温かさより、胸の温かさのほうが勝っていた。
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双子は塔を後にした。
雨に濡れた石畳には、逆さまの塔が水鏡のように揺れて映っている。
アメリアはブーツでその“線”を遊ぶように歩く。
「喜びすぎだよ」
「嬉しいんだもん!」
「水たまりには入らないでよ」
「わかんない! 嬉しいから!」
「なんだよ、それ」
二人の傘が並び、雨粒を楽しげに弾いていた。




