16 アークハートに寄り添う夜
アメリアは第七魔導時計塔の管理室にたどり着いた。
橙のランプはつかず、書架は倒れ、本やファイルが床一面に散乱している。
制御盤は赤い警告灯を次々と点滅させ、けたたましい警報音が響いていた。
「……ヘルマンさんは?」
開け放たれたままの機構層への扉。
アメリアは胸の奥に冷たいものが走り、駆け出した。
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時計制御層にいたヘルマンは、下からの甲高い足音に気づき、螺旋階段を覗き込んだ。
強い雨に濡れた黄色の外套がこちらへ向かってくる。
「アメリア! 何で来た! 帰れ! せめて管理室にいろ!」
その声にアメリアは顔を上げ、彼の無事を見て大きく息を吐いた。
頬に大粒の雨。口に水が入り、息が乱れる。
「ごめんなさい! 無理です! おそばにいます!」
「はぁ!? ……バカが!」
風と雨の轟音にかき消されそうになりながら、アメリアはさらに駆け上がる。
遠くで建物が崩れるような重い音が鳴り続けていた。
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上層階にたどり着いた瞬間――轟音。
時計塔全体が揺れ、アメリアは足元をすくわれる。
ヘルマンが急いで彼女の腕をつかみ、その胸に引き寄せて支えた。
魔導紋様の青い光が、一瞬だけ赤に変わる。
「大丈夫か?」
「はい……」
ヘルマンはアメリアの無事を確認すると、即座に時計制御盤に向き直った。
割れた面の緊急停止装置に手をかざす。魔導動力の漏出を最小限にし、街の被害を抑えるための判断だった。
四面ある時計盤のうち一面には石柱が突き刺さり、そこから暴風が吹き込んでいる。
塔の内部の風が暴れ狂い、アメリアはとても立っていられない。
さらにもう一度、凄まじい衝撃。
別の面にも瓦礫が直撃し、破れた風穴から雨と風が噴き込んだ。
「ここはもうだめだ! 降りよう!」
二人は急いで螺旋階段を駆け下る。
ヘルマンの長い歩幅にアメリアは追いつけず、どうしても遅れてしまう。
ヘルマンは踵を返し、アメリアの手をつかんだ。
「離れるな!」
アメリアは強く頷き、二人は手をつないだまま駆け下りた。
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地下、魔導動力室。
塔の“心臓部”にあたる部屋。
巨大な水晶核がゆっくり回転し、青白い光が脈をうつように明滅している。
周囲には魔導パイプが張り巡らされ、蒸気管が低く唸っていた。
アメリアはあまりの熱気と光に、まるで巨大な生き物の胸腔にいるような錯覚を覚える。
二人は並んで腰を下ろした。
「ヘルマンさん……。すみません。私、足を引っ張ってばかりで」
青白い光に照らされた彼の横顔は、普段よりもずっと寂しげだった。
「いや……いいんだ」
外の嵐の音はほとんど届かない。
蒸気管の唸りが、心臓の鼓動みたいに二人を包んでいた。
「ヘルマンさん……」
アメリアがそっと呼ぶと、ヘルマンの黒い瞳がゆっくりと向けられた。
「生きているものはいつか壊れてしまうんです……」
「……そうだな」
「でも、命は継がれていきます。
塔だって、生きてる。大丈夫です。
終わったら、一緒に直しましょう。私も……微力ながら、お手伝いします」
うまく笑えている自信はなかったが、それでもアメリアは微笑んだ。
ヘルマンは腕を伸ばし、アメリアを胸に抱き寄せた。
「ここの音は、落ち着きます」
蒸気の音。
それから、彼の鼓動。
「……今の王都で“落ち着く”なんて言ってるのは、お前だけだろうな」
「ヘルマンさんがいるから、落ち着くんです」
「……バカだな」
「ふふ……」
嵐のただ中で、二人は寄り添って座っていた。
どれほど時間がたったかわからない。
ラジオの警報が止み、風の音が静かになっていく。
アメリアとヘルマンは、ゆっくりと立ち上がった。
「行こうか」
二人は地上へ向かった。




