10 塔の中へ
雨上がりの光が塔の魔導ガラスに差し込み、朝の雫を弾いていた。
その輝きが室内へ染み込むころ、書架の向こうから声が飛ぶ。
「アメリア」
文献を読んでいたアメリアは、びくっと体を跳ねさせて顔を上げた。
「は、はい!」
銀の工具箱を抱えたヘルマンが、無言のまま近づいてきて――
ぽん、とアメリアの頭に手を置いた。
「へっ!?」
「定期点検に行く。来るか?」
「い、い……行きます!!」
「ついて来い」
「はい!」
ヘルマンが背を向けると、アメリアは慌てて立ち上がり、小走りで後を追う。
彼の歩幅は大きく、いつも以上に胸がどきどきした。
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外階段とは別の、内部へ続く分厚いスチール扉が開く。
とたんに、塔の“心臓部”がむき出しになる。
螺旋状に延びる整備用足場。
その中央の吹き抜けから、上空へと縦に走る光の帯が降りそそぎ、金属の影を幾重にも生んでいた。
大小の歯車がゆっくり、同じ律動で回り続ける。
魔導ランプの青光が歯車の縁を照らし、影が円を描いて広がる。
油の匂いと、魔導オゾンが混じる独特の空気。
スチールを踏む“カン、カン”という高い音が、二人分。
巨大な協奏曲に混ざる、小さなリズム。
アメリアはただ、息を呑んだまま、ヘルマンの背を追った。
彼はすべてのパーツを“視る”のではなく“聴く”ように確認していた。
音の揺れ、振動のわずかな差、歯車の呼吸――そのすべてを掌で受け取りながら、一歩ずつ進んでいく。
最上階にたどり着いた。
そこは時計盤の裏側――
巨大な“時輪”が回転し、魔導流路のパイプが無数に走る場所だった。
巨大な輪はゆっくり回り、表面の魔導紋様が淡く青く光る。
光は秒針の動きに合わせて脈を刻み、まるで一つの生命体が呼吸しているようだ。
ヘルマンは周囲を一巡し、広げた手を静かに閉じた。
「……異常なし」
アメリアは知らぬ間に息を止めていたらしく、吐き出した息が小さく震えた。
「……オーケストラみたいですね」
ヘルマンは青光の明滅を見つめたまま、低く答える。
「この塔の別名は“生きた塔”だ。俺はそのように設計した。
歌っているんだ、こいつは。
……俺は、時々その呼吸を整えてやってるだけだ。
綺麗だろ? 少なくとも、俺はそう思ってる」
「綺麗です。とても」
アメリアは思わず微笑む。
ヘルマンも、その言葉に背を押されるように彼女を見て――
静かに、ふっと微笑んだ。
「本当に……綺麗です。ヘルマンさんが作った塔」
頬を赤らめたアメリアの言葉に、ヘルマンは小さく頷く。
そして内ポケットから鍵を取り出すと、銀の扉を開いた。
「わぁ……! 展望台だ」
アメリアは先に外へ出て、欄干に手を置いた。
真上からの陽光。
青空を行き交う魔導飛行船。
足元の王都は、歯車のように規則正しい生活の営みを続けている。
「やっぱり、第七魔導時計塔、大好きです! 本当に素敵!」
隣に並んだヘルマンの気配が、ふっと緩む。
肘がかすかに触れ、アメリアは横を向けなくなる。
「……ヘルマンさんは設計するとき、心がけていることとか……守りたいものってありますか?」
「さぁな。忘れちまった」
その言葉にアメリアははっとする。
黒い瞳には王都が映り込んでいたが、その奥では、もっと遠い“どこか”を見ているようだった。
アメリアの知らない何か。
彼だけが知っている、過去の影。
そよいだ風が、アメリアのポニーテールを優しく揺らした。




