第四輪『私は純粋無垢なその花が好きだった』
唇をゆっくりと撫でる。あの時の感覚が忘れられない。
「本当に……届かないのかな……」
夜空に輝く満天の星。肉眼では捉えられない星もたくさんある。
「澪さん……」
その、一番遠くにある星に少しでも近づけた気がする。この温もりは、私を押し上げてくれる。
――
「ゴールデンウィークもう終わっちゃったよー」
「早かったね」
GWが終わり、再び学校生活が始まった。学校は賑わいムードを見せている。
「唯、今週末私ん家来てよ!」
「今週末……うん、いいよ……!」
そして急遽、清花の家で遊ぶことになった。清花の家は過去に何度か行ったことがあるが、清花の性格からは想像できない部屋だった事が今でも覚えている。
「えーあの息苦しい空間に行くの」
「私はまだ芽衣のこと誘ってないんですけどー!」
「どうせ誘うくせに」
すると喧騒が急に止み、教室の扉が勢い良く開く。
「おーっと、連休明けだからって浮かれてる奴は誰だー!」
先生が教室に入ると、クラスメイト全員が清花に指を差す。
「えっ、なんで私!?」
「清花か、連休明けなのに遅刻しないとは珍しいな!」
そういえば、今の担任は中学の頃から同じで、先生曰く「清花が心配だからついてきた」とのこと。先生は清花の親戚で清花の両親から色々と言われているらしい。
「そういえば今日、白百合は欠席だそうだ。体調が優れないとの連絡があった」
先生の言葉を聞き、清花が後ろから耳打ちしてくる。
「澪、体調不良だって。お見舞いに行く?」
「で、でも……急に行っても迷惑だし……それに、これから授業あるし」
清花の言葉に否定しつつも、心の奥では澪さんの事を考えていた。
「私に妙案があるから」
そう言うと、席を立ち一言。
「木田ッチ……じゃなくてセンセー!忘れ物したんで取りに帰っていいですかー?」
先生の返答を聞かずに、私の腕を掴んで教室を出る。しれっと芽衣に紙を渡していた。
――
「ふぅー授業中に学校抜け出すの久々だね!」
「そ、そうだね……」
過去に何度か授業を抜け出して、近所の公園で遊んでいた思い出がある。
「ほら、ここ!懐かしー」
平日の公園。そこには、保育園の園児と引率者しか居らず、それでも賑わっていた。
「ここで遊びたい気分だけど……目的は澪ん家だから!」
「……でも、本当に行くの?」
「何その顔〜。別にいいじゃん、ただの“お見舞い”だよ?」
清花は笑いながらスマホを取り出し、澪の住所を確認する。
私はその横顔を見ながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。
「そ、そういえばさやちゃんは……澪さんのお家の住所わかるの……?」
「うん!前に澪から直々に連れてきてもらったから!」
その言葉を聞いた瞬間、胸に鉛が乗ったかの如く"ずっしり"と押し潰してくる。
(さやちゃん……いつの間に……)
すると、清花が私の顔を覗いて笑い出す。
「どうしたんだー?もしかして……私が澪の住所知ってるの羨ましくなったー?なんちゃってー!」
「そ、そんなこと……!」
言い返そうとしても、喉がつまる。
違う。羨ましいわけじゃない。
けれど、胸の奥がきゅっと痛んだのは確かだった。
――
さらに歩みを進めると、見慣れた景色が広がった。
「ここ、唯ん家の近くだよ!覚えてる限りだと……この道を真っ直ぐ進めば澪ん家が見えてくるはず!」
そう言って、清花は小走りで道を進んでいく。私も清花の背中を追って歩みを進める。
「ほら、ここだよ!」
清花が指を差したのは、塀の向こうに佇む白い洋館だった。学校以上に広い敷地が視界を覆い尽くす。
「す、すごい……」
「だよねー!私、この中は入った事ないから緊張するなー!」
清花はインターホンに指をかける。
「じゃあ、押すよ!」
その指はインターホンをしっかりと押し込む。聴き慣れた"ピーンポーン"という音が響き、白百合邸の扉が開く。
「お、キタキタ!」
扉が完全に開き切ると、中から複数人のメイド服を着た女性と、一人の顔が整った高身長の男性が来た。
「……あ、どうも……」
珍しく清花が緊張してる。男性は表情を変えずに口を開く。
「ようこそ、俺は白百合晴。澪の兄だ。よろしく」
自己紹介には威圧感と、けれど澪さんとは違う陽気さがあった。
「は、初めまして……!」
私は緊張で言葉も出ない。ただでさえ澪さんと話すのにもかなりの労力を必要とするのに、澪さんのお兄さんを相手するなんて。
「は、は……初め……まして……」
メイドは冷徹な目で、私たちを相変わらず見つめている。澪さんのお兄さんは変わらずの表情で見つめている。
「今日は、澪さんのお見舞いに来ました……」
私の言葉に、晴さんはふっと微笑んだ。
それは、澪さんと同じ“穏やかさ”を持ちながらも、どこか違う――
閉ざされた花のような彼女とは対照的に、光を感じる笑顔だった。
「そうか。澪の友達か……ありがとう。アイツ、喜ぶと思うよ」
そう言うと、晴さんは私たちに背中を向けて、ハンドサインを送る。
「着いてきて、案内するよ」
晴さんが一足進むたびに、メイドが道を開くようにその場から一歩ずれる。
――
扉の中に入ると、慣れない空気が鼻をつんざく。思わず、息をするのを忘れてしまうくらいだ。
「ここが"元"マイハウスだね」
晴さんの後をついて、長い廊下を歩く。
足音がやけに響く。壁に並ぶ絵画も、どれも人の視線を避けるように飾られていた。
「……広いね」
小声で呟くと、清花が
「ね……」
と短く返す。
どちらもそれ以上言葉が出なかった。この屋敷には、光があるのに温度がない。まるで氷の中のようだった。
「二人とも、名前はなんて言うんだい?」
不意に晴さんが振り返り、尋ねる。
「私は芽木乃清花。この子が五薔薇木唯」
晴さんは小さく頷くと、再び前を向き歩き出した。
「そうか、よろしくな。アイツ、きっと喜ぶと思うよ」
廊下の奥へ進むほどに、空気はよりひんやりとして重くなった。
扉の向こうからかすかに聞こえる澪さんの寝息が、胸を強く打つ。
「……もうすぐだ」
晴さんの声に背中がぴんと張る。
清花が小さく息を呑み、私は手をぎゅっと握りしめた。
この先で待っているのは、長く会えなかった澪さん。
そして、今まで知らなかった“彼女の本当の居場所”。
――扉がゆっくりと開かれる。
そこに現れたのは、白いカーディガンを羽織り、少し頬を赤らめた澪さんだった。
「……お兄さま?」
その声に、私の胸がぎゅっと締め付けられる。
澪さんの目が、微かに怯えながらも、友達を受け入れる光を帯びているのが見えた。
「五薔薇木さん、芽木乃さん……来てくれたんですね」
澪さんの声は弱々しいけれど、確かに心の奥からの温かさを感じさせた。
私は言葉にならない思いを胸に抱えながら、一歩前に進む。
「……お見舞いに来たよ、澪さん」
「ありがとう……五薔薇木さん……!」
その顔は無邪気な子供のように幼く、しかし甘えたりないという愛に飢えた表情にも見えた。
「じゃあ俺は帰るよ。学校抜け出してきたからね」
晴さんは澪さんの部屋から静かに離れて、姿を消した。
「そういえば五薔薇木さん……学校大丈夫なんですか……?」
ふと、周りを見渡すと清花がいないことに気づく。
「あ、あれ……さやちゃんが……」
澪さんは清花が居ないことに気づくと、寝ている広いベッドの隣を軽く叩く。
「……五薔薇木さん、少し隣に居てもらってもいいですか……?」
ゆっくりと澪さんのベッドに座る。ベッドはとてもふわふわで体を包み込んでくれた。微かに澪さんの温もりも残っていた。
「わ、私も学校行かないと――」
小さな衝撃が体を襲う。両手首は抑えられ、澪さんが体に跨っている。
「まだ、居て欲しいの……」
「ま、待って……」
制服のボタンがゆっくりと、けれど確実に外されている。
「み、澪さん……だ、ダメです……!」
抵抗したい。やめて欲しいのに体が素直になれない。制服のボタンは全て外されて、白色の下着が露呈している。
「ごめんね、唯ちゃ……」
なぜだろう。涙が止まらない。
これは単に澪さんの行動が嫌だったからじゃない。
「み、澪……さん……」
「う、私……ごめんなさい……五薔薇木さん……」
澪さんは外した制服のボタンをつけ始め、ハンカチで私の涙を拭く。
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」
――
あの出来事から数日が経過した。
「はーい、皆さんにお知らせがあります」
普段と変わらない教室に先生が足を運ぶ。普段の柔らかな表情と比べて、少し曇っている。
「最近、欠席している白百合ですが……えー……」
先生は言葉を詰まらせる。胸の奥が騒めき、視界が歪む。
「転校するそうです――」




