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私立探偵 真加部阿礼  作者: 春原 恵志
ミャンマー
80/130

神の御加護

 真加部の運動神経の優秀さはお分かりだと思うが、バイクの運転もあり得ないものだった。彼女はオフロードバイクには乗りなれていたのだろう。未舗装道路を凄まじい速度で走っていく。

 国軍がKNUの兵士を血眼で追っているようで、道路の至る所で鉢合わせする。そのたびに真加部はバイクから乗り出すようにし、胸のPRESSマークを誇示する。プレス!と叫びながらの運転である。

 それでも攻撃を加えようとする不届き者には、バイクを避けながら、蹴りやラリアートをかましていた。真加部が傷を負うことは無い。

 脇に飛行場が見えだす。軍用の飛行場でもあり、通常とは違う。簡易的な飛行場で細長い滑走路だけがある。そこでは国軍とゲリラの激しい戦闘が行われていた。砲撃音が響き、大きな爆煙が見える。

 ここまで来ると道路にも爆撃の跡があり、走りにくいこと、この上ない。穴を避けながら走る。真加部だから出来る運転である。

 すると、ようやくスズキの軽トラ、キャリーを見つける。トラックは止まっており、脇には二人の人間が立っていた。

 モーアンらしき白衣を着た高齢の女性と、防護服を着た男性だった。

 真加部がバイクを降りると、男は真加部のプレスマークを見て、親し気に近づいて来る。歳の頃は20代後半で精悍な顔つきの東洋人だった。彼の胸にもプレスマークがあった。

 男は英語で話す。「報道の方ですか?」

 真加部は「日本の報道機関です」と英語で応えた。

 するとその男は嬉しそうに握手を求める。そして日本語で話す。

「まじですか、僕は日本のテレビ局の人間ですよ」

 真加部はびっくりする。こんなところで日本人に会うとは思わなかった。ただ、ぼろが出ないようにしないと、とは思う。

「そうか、びっくりだな」

 真加部は軽トラを見て気付く。

「穴にはまったのか?」

 軽トラは前輪の片方が穴にはまって身動きが取れなくなっている。男はお手上げのポーズをする。

「砲撃があってね。いきなり穴ができた。被害が無かったのは不幸中の幸いでした」

「車は大丈夫なのか?」

「エンジンはかかります」

 ここでモーアンが英語で話す。

「それよりもそこの医薬品をなんとかしたいんです」

 そう言って崖の下を指さす。男がフォローする。

「輸送車が攻撃されたらしいです。よくはわからないんですが、その崖下に転落しているんです」

 転落?真加部は道路わきの崖になっている部分を見る。

 はるか50m下に川があり、道路脇はほぼ垂直の絶壁になっていた。そして道路から10mぐらい下に輸送車が見えた。輸送車は三菱ミニキャブバンだ。炎上こそしていないが、車輪を上に向けて裏返しになっている。運よく崖の途中に棚になった部分があり、さらにそこに大きな樹があって、それがつっかえ棒となり、なんとか車を支えている。はたして運転手は無事なのだろうか。

「ニラさんはなんとか医薬品を取り出したいようなんです。ただ、あそこまで行くのは難しい」

 難しいどころか、ロッククライミングでもしないと下に降りられないだろう、さらに車から荷物を運ぶとなると、それこそ神業である。崖は垂直に近い。

「荷物は何だ?」

「医薬品、抗生物質、手術器具、注射針、あと酸素ボンベがあるようです」

 真加部はもう一度、見る。三菱のミニキャブのバンだ。バンタイプなので落下の衝撃を箱状の車体が支えたのだろう。後部ドアを開けてから荷物を持ちだす必要がある。崖を降りることはできるだろうが、持って上がることができない。

「何か持ち出せる用具はないのか?俺が車のところまでは行ける」

 男はびっくりする。

「え、無理ですよ」

「いや、大丈夫だ。俺を信じてくれ。それと工具があればいいが、スパナか何かないか」

 男は少し考えてニラことモーアンに確認している。この男、ビルマ語が話せるようだ。

 モーアンがキャリーの荷台からロープとかごを出してくる。さらにスパナを真加部に渡す。このかごがあればなんとかなりそうだ。プラスチック製の配送などで使う箱だ。

「これでいいですか?」

 真加部はにやりと笑う。

「まかせとけ、まずロープを車にでも引っ掛けてくれ、それで下の棚まで降りる。そのあと、そのかごを降ろしてくれ」

「いや、やめたほうがいい。貴方が危険だ」

 真加部はにやりと笑う。

「俺は仕事でしくじったことがないんだ。これまで100%の成功率だ。これぐらいできないわけがない」

「いや、しかし」

「大丈夫だ。俺を信じてくれ」

 真加部の決意に男は渋々うなずく。そして真剣な顔で言う

「任せましたよ」

 男はロープを車に括り付けると、真加部に合図する。

 真加部はそれを受けて、何の躊躇も無く、一気に下降していく。その速度にモーアンらは目をむく。まるで落ちたかのような速度である。口をあんぐり開けてその様子を見ていた。

 10秒もかからずに車のところまで降りる。ただ、そこはほとんど立つ場所もない。片足を載せるぐらいのスペースしかないのだ。上に合図をするとロープが上がっていく。真加部は片足でバランスを取っている。

 軽トラが幸いしたのか、車はぎりぎりの状態で棚に鎮座している。大きな樹木がそれを支えている。実に奇妙なバランスだと言わざるを得ない。これは神の御加護なのかもしれない。

 真加部は運転席を見る。運転手は車の天井に首を曲げて頭をつけており、頭部はザクロのように血まみれだった。おそらく兵士と間違われて撃たれたのだろう。一般の医療従事者を撃つとは。真加部は憤りのない怒りを覚える。

 上に向かって話す。

「運転手は亡くなってる」

 モーアンが手で顔を覆う。

 真加部は車に体を預けることはしない。どこまで樹木が重量に耐えるはわからないからだ。なるべく荷重をかけないことが重要だ。壁面に体を預けるようにして車の後ろに回り込む。

 後部扉は衝撃で半開きになっていた。扉がゆがんでいて通常であれば開くことはできないのだろう。ただ、真加部は怪力である。下向きの荷重は掛けないようにして、スパナを使って強引に扉を開ける。ギギギと鈍い音を立てながら扉が開く。

 中を見ると器具は梱包されているようで、箱の形状は保っていた。これだと使える可能性が高い。医薬品類も同じく大丈夫そうだ。

 真加部が上に合図する。

「かごを降ろしてくれ」

 了解して男がかごをするすると降ろしてくる。

 真加部は医薬品や抗生物質を優先してかごに入れる。入れ終わると合図を送ってかごを上げていく。そういう作業を続けていくが、どこまで車が持ちこたえるかはわからない。何度か不吉な亀裂音が車の周囲から聞こえてくる。

 男が真加部を心配して何度も声を掛ける。そのたびにサムアップで応える。

 いよいよ荷物は残り少なくなってきた。後は酸素ボンベだけになる。手術に酸素ボンベは必須なのだ。これが無いと患者の命に係わる。なんとしてもこれを運ぶ必要がある。

 ただ、ボンベを運ぶためにはカーゴの中に入るしかない。奥の方に転がっている。真加部はなるべく振動を与えないようにゆっくりと中まで入る。そしてボンベを掴んだ。これまでにない大きな音がして、ここまで車を支えていた樹木が悲鳴をあげる。車が落下を始めた。

 真加部はボンベを抱えたまま、外に飛びだすと、車は自重で崖を落ちていく。そこにあった棚も樹木とともに崩壊していた。

 落ちるかと思ったが、なんとかロープを掴むことができた。ただ、上でこの重量を支えることはできない。ボンベは10㎏近いし、真加部は50㎏だ。60㎏を支えるのは無理なのだ。

 万事休すと思った。ところが一向に真加部は落ちて行かない。

 上を見ると男が涼し気な顔で「大丈夫ですか」と聞く。

「大丈夫だ」真加部が返事をすると今度は体が徐々に上がっていくではないか。

 真加部は狐につままれたようだ。

 男がロープを持ち上げていた。とてもそんな風には見えなかったが、彼はとんでもない力持ちだったのだ。精悍な印象はあったが、普通の若者にしか見えなかった。

 真加部は上までかごとボンベと一緒に持ち上げられた。そして男に抱きかかえられる。満面の笑顔で「やりましたね」と笑った。汗臭くない。どこか安心できる匂いだった。

 真加部は目を丸くしている。

「お前、ずいぶん力持ちだな」

「え、そうですか。普通ですよ」

 普通に60㎏を持ち上げることは出来なくもないだろう。ただ、真加部がロープを掴んだ瞬間の重量はその比ではない。加速度が掛かっているのだ。少なくとも100㎏以上の荷重がかかったはずだ。

「何かやってたのか?」

「まあ、少しだけ。それよりも早く持って帰らないと。まずは穴に落ちた車をなんとかしましょう」

「ああ、そうだな」

 車を穴から出すために、モーアンが車に乗り、二人で車体を持ち上げることにする。汗まみれになりながら軽トラキャリーを上げると、モーアンが車をバックさせる。

 最初はタイヤが空転してうまくいかなかった。男がビルマ語でモーアンに指示する。アクセルの踏み具合を言っているらしい。確かにあまり踏み込んでも駄目なのだ。

 それにしても二人ともありえないパワーだ。このキャリーは4WD仕様で1トン近い重量だが、見事に浮き上がっている。

 男は真加部に笑顔を見せる。お互いのありえない力を称賛しあうかのようだ。キャリーはゆっくりと後進すると、ようやく穴から抜け出せた。

 二人とも地面にへたり込む。そして顔を見合わせた。

「やりますね」

「俺もあんたほどの力持ちを知らない。重量上げでもやってたのか?」

「いえ、単なるラガーマンですよ」

 ラグビーをやっていたのか。男は先に立ち上がると、真加部に手を貸す。真加部が手を出すとすっと持ち上げた。

「さあ、荷物を載せましょう」

「ああ」

 3人で急いで荷物を載せると、男とモーアンは車に乗り込む。

「じゃあ、また」

 男が手を振り、真加部も振り返す。そして真加部はモーアンに近づく。

「あなたに聞きたいことがある。戻ったら後で時間をくれ」

 モーアンは少しびっくりした顔をするが、何か気付いたようにうなずく。

 真加部はバイクに乗ると、ひとり病院に戻る。

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