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私立探偵 真加部阿礼  作者: 春原 恵志
真加部阿礼の過去
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クローントゥーイ

 クローントゥーイはタイの貧民街である。いわゆるスラムで、そこにはトタン屋根やバラック建ての今にも壊れそうな、家とも呼べないような建物がひしめき合っている。周囲にはすえた匂いが充満し、腐敗臭もする。環境は劣悪である。

 タイにはバンコクの近くにこういった集落が存在する。そしてこういった住まいが東京ドーム30個分の広さに展開している。

 真加部阿礼はここを徘徊していた。彼女は人探しをしているのだが、到底そういったことにはならない。表現としては徘徊が適切である。尋ね人の住所は無いに等しい。本来であれば住所を特定して行きたいところだが、そういった道理が通じるような場所ではないのだ。 

 先ほどから比較的、話が聞けそうな人間に尋ねているのだが、いっこうに目的の人物を見つけられていない。

 真加部が路地に座り込んで呆然としている年寄りに話しかける。

「すまない。ここらでナパさんという女性を知らないか?」

 とろんとした目を真加部に向けて数秒経ってから話しだす。

「ナパなんてたくさんいる」

 この老人は比較的会話ができそうだと思う。ちなみにナパはタイではありふれた名前である。

「ナパ・テープタイ(Napa Thepthai)という名前だ。歳は50歳ぐらい」

 再び爺さんの旧式コンピュータが駆動しだしたようだ。数秒待って答える。

「知らない」

 先ほどからこれの繰り返しだ。

 ようやくつかんだパクの情報だと、真加部の母親ナパはここクローントゥーイにいるという。先ほど、その証言をした人物と面会もしたが、確かにナパをここで見たそうだ。ただ、どこにいるかまではわかっていなかった。

 かれこれ、半日以上、ここでこうして人探しをしていた。

 子どもたちが走りまわっている。おそらく鬼ごっこだ。タイではティーと呼ぶ。狭い路地でも構わず走り回る。どんな場所でも子供は元気だ。

 その中の男の子が真加部を見つけて不思議そうな顔をする。浅黒い顔で地黒なのか、汚れているのかも判然としない。

「お前、中国人か?」

「いや、日本人だ」

 男の子が真加部の流ちょうなタイ語に驚く。「タイ語が話せるのか?」

「もちろんだ。ここに住んでたからな」

「嘘つけ、日本人はここにはいないよ。みんないいところに住んで、贅沢ばかりしている」

 真加部は笑う。確かにその通りだ。タイにいる日本人は金持ちばかりだ。

 真加部は聞いてみる。

「ナパ・テープタイという女性を知らないか?」

「ナパ?ああ、ナパさんか、知ってるぞ」

「本当か、教えてくれ、どこにいる?」

 男の子はにやりと笑うと「ついて来い」と走り出す。男の子は仲間に何か話して、鬼ごっこから抜けていく。


 真加部がその子供に付いていくと、どんどん奥に走っていく。この辺は迷路のように入り組んでいる。知らない人間が入れば間違いなく迷うだろう。子供は路地裏からさらに薄暗い倉庫のようなところまで来る。真加部はこんなところにいるのだろうかといぶかしぐ。

 すると、倉庫の奥の壊れかけたソファーにだらしなく座った男がいた。太った髭面の中年男だ。男の子は、その男性に何やら告げている。

 男は真加部を見るとにやりと笑う。そうして真加部ににたにたと笑いながら、近寄ってきた。なるほど、そういうことか、実はこういう手合いは今日だけで3人目だった。ここでは子供と言ってもそういうことを平気でするのだ。金銭的なやり取りもあるのだろう。

「ねえちゃん、ナパを探してるのか?」

「そうだ」

「俺と良いことしたら教えてやる」

「なんだ。いいことって」

「わかってるだろ」そういうとへらへらしながら真加部に抱きつこうとする。そのはずだったが、何故か後ろ手に腕をひねられている。それも凄まじい力でだ。まるで鋼鉄の万力に締め上げられているようだ。

「いてえええ、何だよ。ちょっと待ってくれ。ひえええええ!」

 真加部はさらに腕を捩じ上げる。ただ片手で軽くひねっているだけに見えるが、男の悲鳴は尋常ではない。。そばで見ていた男の子も青くなっている。この女はとんでもない怪物だったのだ。

 真加部は笑いながら鋭い眼光で男の子を指さす。

「坊主、次はお前の番だぞ」

「ごめんよ。そんなつもりじゃなかったんだよ」子供は半泣きであとずさりしている。

 ひげ面男も泣きながら、助けを求めている。それほど力が強いのだ。骨が砕けそうだ。

「さてどうするかな」真加部は笑いながら次に男のナニをがっちりと掴む。

 男が絶叫する。助けてくれと言う悲鳴が倉庫内に響き渡る。

「まったく、うるさいな」真加部はそれで男を離す。

 男は手とアソコをさすりながら、真加部を化け物でも見るような眼で見ている。

 真加部が聞く。

「お前はほんとにナパを知ってるのか?」

「ああ、いや、実は知らない」

 真加部はふっと笑うと、「いい加減疲れたぞ。そうだ。お前たちでナパを探してこい」

 男はきょとんとする。

「ナパ・テープタイという50歳ぐらいの女だ。ここらへんにいたらしい」

 男の子は恐怖で震えながら聞く。

「どんな女なんだ?」

「俺が知ってるのは20年近く昔の話だ。その当時はやせぎすで丸い顔をしていたな。ああ、そうだ。左目の下にほくろがあった」

「ほくろか、わかった。探してみる」

 男の子が駆けだす。

 痛めつけられた男は茫然とそこにいる。

「おい、お前も探してこい」真加部が近づくと、あわててそこから出て行こうとする。

「逃げても無駄だからな、絶対探し出してめちゃくちゃにしてやるからな」

 男は悲鳴と共に駆け出していく。


 真加部は男が座っていたソファに腰を下ろすとパクに電話をかける。さすがに今回の人探しは骨が折れる。東京での捜索作業とはわけが違うのだ。いつになく真加部も元気がない。

「パク、やっぱり見つからない」

『そうか、難しいか』

 真加部が先の日本人誘拐事件の時に、バムルンラード国際病院の関係者から入手したのは、自身の出生報告書だった。その記録から母親の名前がナパ・テープタイであることがわかった。

パクはそれを元に捜索を続け、ようやく彼女がこのクローントゥーイにいることを掴んだ。ただ、ここは戸籍や素性もわからない人間たちのたまり場だ。おいそれとは見つからないだろうとは思っていた。

「パク、それと担当医師について何かわかったか?」

 出生報告書の中には担当した産科医の名前もあった。

『記録ではアヌラック・メッタータムだよな。情報からもバムルンラード国際病院で産科医をしていたのは、間違いないようだ。当時の愛称はムー・アンと呼ばれていた。ただ、彼女は2010年に退職して以降、どこに行ったのかが、まったくわかっていない』

「おかしな話だな。タイは日本よりも早くに国民番号制が導入されていたのに。行方がわからないとはな」

『それはそうだが、履歴自体は未変更のままなんだ。だから戸籍上は今もそこにいることになっている。ただ、姿形もない』

「どういうことなのかな」

『タイでも医者はエリートだ。それほど貧乏でもないし、なぜ、いなくなったのかがよくわかっていない』

「何かがあったんだろうな」

『それは間違いないだろう。今、当時の関係者を当たってる。ただ、20年も昔の話だから、正直、難しい』

「わかった。とにかく頼む」

 パクの調査能力に期待するしかない。


 真加部がうとうとしていると、先ほどの少年が戻って来た。

「ねえちゃん、ナパが見つかったぞ」

 真加部が目覚める。「まじか」

「こっちに来な」

 男の子は元気だ。ふたたび走り出す。

 真加部はさほど期待していなかったので、嬉しい誤算だ。

 バラックで作られた家の隙間を駆けていく。とにかく入り組んでいて、もう一度同じ場所に行くことも困難に思える。しばらく行くとトタン製の家があった。錆びついたトタンで囲われて家とも思えないが、夜露はしのげるのだろう。家の扉は板がついているだけだ。

 その家の前にプラスチック製の椅子に座った女がいた。歳は70歳近いのではないだろうか、白髪頭で極端に?せている。

 男の子が言う。

「このおばあさんがナパを知ってるって」

 老婆は真加部をまじまじと見て、ぽつりと言う。

「お前はデックか」

 真加部の目が大きく見開かれる。老婆に顔を寄せる。

「そう、俺はデックだ。デック・ヌーだ。ナパを知ってるのか?」

 老婆はぼんやりと笑顔を見せる。タイでは肯定するときは笑顔を見せる。

「ナパがよくお前の話をしていたよ。娘がいるってな」

「ナパはどこにいる?」

 老婆は考えている。

 真加部は自分のリュックからペットボトルの飲み物を出して彼女に渡す。

 老婆がうれしそうにそれを飲む。そして話す。

「ナパはもういない」

「え、どこに行った?」

 老婆はゆっくりと指さす。どこを指さしているのだろう。

「連れていかれたよ」

「どこに?」

 老婆は再び瞑想なのか考え出す。真加部はリュックから食べ物を出す。チョコレートだ。それを老婆に渡す。ゆっくりとそれを咀嚼しながら、ようやく話す。

「ロンメンホイ」

「ろんめいほい?何だそれは?」

 すると男の子が話す。

「中華系のギャングだよ。この先の繁華街を根城にしてる」

「なんでそんな組織に連れていかれたんだ?」

 老婆はわからないという。それと連行されたのは昨晩のことらしい。

 いったい、どういうことなのか、とにかくその組織のところに行くしかない。

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