ブラックスワン
探偵社でソファに座ると真加部が話を始める。
途中のコンビニで、酔い覚ましのペットボトル茶を飲みながらだ。真加部は相変わらず真っ赤な顔で、酔いが完全に冷めてはいない。
「3年前、俺はブラックスワンにいた」
「ブラックスワン?」
「アメリカの民間軍事会社だ。アメリカはそういった軍隊も民間が請け負う。俺はそこで文伍と一緒に働いていた」
「お父さんですね」
「そうだ。文伍はブラックスワンの特務事項を扱う部署にいた。俺も同じだ」
そうして真加部は酔いながらも、つらつらと話しだす。
アメリカ、ブラックスワン特務担当室。
高層ビルの広いワンフロアにブラックスワンが存在している。ここでは数百人からなる作業員が様々な業務をこなしている。もっとも主たる傭兵部隊は前線、もしくは戦地周辺で任務に当たっている。そちらの数の方がはるかに多い。
当時、真加部文伍は61歳、元々傭兵部隊にいたが、2014年を最後に、以降はこの特務室で任務に当たっていた。そしてこの年を持って、ブラックスワンを辞めることになっていた。
文伍は白髪頭を隠すようなGIカットで、いかにも軍人といった、いかつい顔の男だ。
「阿礼、仕事だ。今度は面倒なやつだ」
阿礼は当時、20歳だが、ブラックスワンにとって欠かせないメンバーだった。特にこの特務室において、彼女の右に出るものはいなかった。
「これで最後なんだろ」
文伍はにやりと笑い。「そうだ。これで終わりだ」
「まかせとけ」―ちなみにこの会話はすべて英語です。
「ペンタゴンも絡んでる話だ」
「ペンタゴン?」
ペンタゴンとはアメリカ国防総省のことで、軍事関連を扱う非常に需要な部署である。
「ここにきて、ペンタゴンの機密情報が盗まれる事案が発生していた」
「ほー」
「調査した結果、北朝鮮のキムスキー(Kimsuky)の仕業らしい。ただ、それもはっきりしない。どうも向こうに凄腕のハッカーがいるらしい」
「しかし、機密情報が盗まれるのはまずいだろ」
「一部だけのようだが、それでも大騒ぎだ」
「それで、そのハッカーを抹殺する任務か?」
「そんな仕事をお前にやらせるか。いいか、二度と人を殺すんじゃない」
文伍が真っ赤になって阿礼を指さして叱る。阿礼は苦笑いをして、
「わかってるよ。で、どういう仕事なんだ」
「そのハッカーのコードネームはユリョンエ・ソン、現地語で幽霊の手というんだがな」
「幽霊の手、なんかキモイな」
「その幽霊が亡命を求めてきている」
「そりゃすごい」
「そうだ。北朝鮮のキムスキーの情報もつかめるし、現在のハッカーたちの動きもわかる。ペンタゴンは大乗り気だ」
ここで阿礼は気づく。
「ひょっとして、その手助けをしろってことか」
「そうだ。呑み込みが早いな。幽霊を亡命させるんだ」
「ちょっと待てよ。今、北朝鮮はコロナで大騒ぎだろ、鎖国どころの話じゃないって聞くぞ。入国すらままならないだろ」
「そうだ。だからお前に頼むんだ。筋書きは出来ている。阿礼はラオスの大使館員として北朝鮮に入国する。ラオス政府には依頼をして、肩書を名乗るだけなので了承してもらった。ただ、絶対にばれてはならない。それこそ、後で国家間の問題になる」
阿礼はうなずく。
「平壌にあるラオス大使館で人と会うんだ。イギリス大使館員のリアム・スミス (Liam Smith)だ。実はこのスミスはCIAだ」
「会えばわかるよな」
「ラオス大使館で、外人は目立つからすぐにわかる」
「そりゃそうか」
「阿礼は顔がラオス顔だからな。そのまま溶け込みそうだ」ちなみに阿礼は東南アジア系の顔とも言える。「スミスが幽霊との面会を取り仕切るはずだ。で、そこからが大変だ。その幽霊を大使館員として、ラオスに連れて行くことになる。実際はアメリカになるんだがな」
「ちょっと待て、その幽霊の詳細は分かってるのか?」
「いや、皆目、検討もつかん。なにせ幽霊だからな。それなりにCIAが動いたんだが、ガードが固い。いまだに素性も性別もわかっていない」
「はあ、じゃあどうするんだ」
「とにかく、現地で幽霊に会うんだ。そして偽造パスポートを作って、適当な理由を付けてラオス大使館員として、飛行機に乗るまでが勝負だ。乗ってしまえばあとは何とかなる」
阿礼は天を仰ぐ。「まじか」
「お前しかできない案件だ」
「いや、それはそうだが、俺でも出来るかどうか。だってキムスキーの情報員だろ、それなりに北朝鮮内も行動制限されてるだろ、当然、監視もある」
「できるさ、お前はこれまでの仕事もすべて成功させてきた。100%の成功率だ」
阿礼は観念したのか、厳しい目をする。
「連絡はどうする?」
「衛星電話のみだ。ネットは監視されてるし、電話なんか使えるもんじゃない」
「となると定時連絡が主流だな」
「そういうことだ。俺は24時間待機している。ある程度、スミスが動いてくれるはずだ。まあ、ただ厳しいな。スミスもどこまで動けるか。このところ北は前よりも神経質になっている。コロナ禍のせいもあるな」
「わかった」
「それと北は賄賂が横行している。うまくやるにはとにかく金だ。ドルでもいいが、金そのものが一番いいらしい。それはこっちで用意する」
「わかった」
「頼んだぞ」
「これが最後の仕事だな」
「そういうことだ」
文伍が笑う。真っ黒な顔に歯だけが白く浮かんだ。




