タイ NTB
真加部は事務所に戻るとパクに指示する。
「パク、というわけだ」
「このパソコンの情報を元に飯坂なにがしに成りすまして、発信元を特定するんだな」
「飯坂智朗だ。通信には顔も声もいるからな。英語だぞ」
「わかってるって、からかっただけだ」
座敷童は早速、パソコンを起動させている。
「犯人には取引の確認だとかなんとか適当に理由付けするんだぞ。私はこれからタイに行く」
「ほー、タイか、いいな。マンゴーが食べたい」
「おみやげのことか、腐らないか、ドライフルーツでいいか?」
「ドライフルーツはいらない」
「贅沢だな。わかった。何か買ってくるよ。じゃあな」
「もう行くのか?」
「ああ、時間がない。航空券を予約した。スワンナプーム空港行だ。場所が特定出来たら連絡くれ。おそらくそこからトランジットになるはずだから」
「了解」パクは握りこぶしを胸に当てる。
「俺はキム総書記じゃないよ」
さらに真加部はパクに近寄ると、小声で何かを告げた。
「そうなのか、わかった。証跡を取る」
真加部はパクに親指を出し、そのまま出かけていく。
真加部は成田空港からジップエアでタイに飛んだ。このLLCは片道2万円代で行ける。エコノミーシートだが、日本のエコノミーと変わらない座席幅だ。真加部は身長164㎝と小柄なので全く気にならない。ただ、機内サービスなどは何もない。
飛んですぐにパクから連絡が入る。
犯人の発信場所はタイ南部のパッターニーで座標も送られて来た。確かにタイ南部のこの地域には反政府系のイスラム組織は存在する。組織は1000人規模で活動しているはずだ。
また、パクは拉致動画の解析から、それはフェイク画像ではなく間違いなく本人でもあり、場所もタイだろうと結論付けた。パクが通信した際に、犯人側に使った飯坂動画はフェイクなのだが、それもばれなかったらしい。
スワンナプーム空港は2006年に作られた国際空港だ。成田の三倍の規模を誇る。スワンアプームの意味は黄金の土地だそうで、名前にふさわしい近代的な造形美を持った空港である。まさに世界の国際空港だ。
真加部はバンコクにある旅行代理店を訪ねることにする。空港からはタクシーですぐの場所だ。あらかじめ、先方には飯坂社長から連絡するようにお願いしてある。
空港前で配車アプリを使ってタクシーを呼ぶ。観光地よろしく、この地もぼったくりが多い。
指定場所に車が到着した。真加部の格好は観光客のものではない。黒のTシャツの上にアーミージャケットを羽織り、下は黒のレザーパンツである。
車から運転者、歳の頃は50歳ぐらいか、太り肉で脂ぎった男が出てくる。
「makabe?」と聞く。
真加部はいきなりタイ語を話す。「そう、NTBまで行ってくれ」
「あなた、タイ人か?」運転手もタイ語になる。
「日本人だ。でも話せる」
「荷物は?」
真加部は背中にリュックを背負っている。「これだけだ」
「じゃあ、乗って」
真加部は座席に座ると、運転手は真顔で言う。「NTBだと500バーツ(2千円)になるよ」
真加部はにやりと笑い。「いつから値上げしたんだ。初乗り入れても100バーツがいいところだろ」
運転手はしまったという顔をする。「了解、じゃあ100バーツでいいよ」
走り出した車から、真加部はどこか懐かしそうな顔で外を見ている。
「タイにいたことがあるの?」運転手が聞く。
「子供の頃にね」
運転手は「今も子供に見えるよ」と笑う。
「これでも23歳だ」
「へー、立派な大人だ」
バンコクの幹線道路は3車線と広いが、周囲には高い建物はあまりない。日本の郊外の都市を思わせる。
タクシーは約10㎞の距離を進み、NTBに到着した。
ここは日本法人では最も大きな旅行代理店で、店には結構な観光客が来ていた。
真加部は受付で名前を名乗るとすぐに奥に通される。
ⅤⅠPルームなのだろうか、8畳ぐらいの洋間に豪華なシャンデリアがあり、周囲には装飾品がちりばめられている。いかにもタイらしい。真加部はふかふかのソファに座る。
扉が勢いよく開いて、年配の男が入って来る。そして真加部を見るといったん振り返って、外に出ようとして、後からきた女性とぶつかりそうになる。女は若い。恐らく彼女が現地のコーディネータだろう。
二人が見合って再び真加部に向かう。
「貴方が真加部さんですか?」
「真加部阿礼です」
「失礼しました。名前からして男性を想像していました」
真加部はそれには取り合わず、いきなり話し出す。
「急を要する。単刀直入に言います」
二人がうなずいてソファに座る。
真加部は女性に向かって話出す。
「貴方が同行中に拉致されたの?」
20歳後半の女性、名札には坂野とあった。
「はい、そうです。飯坂様とお友達2名でのご旅行でした。チャーターした車で走行中に拉致されました」
「場所は?」
「ソンクラー湖に向かう幹線道路です」
真加部は自分のスマホを取り出すと地図を広げ、彼女に聞く。
「具体的にどのあたり?」
地図を確認し、指さす。「ここですか」
真加部が確認する。「もう少しでソングラー湖に着く直前か。道路は2車線?」
「はい、そうです」
「その時の状況は?」
緊張気味に女が答える。
「いきなり、前後に車が入って身動きが取れなくなりました」
真加部がうなずく。
「そして車から武装した男たちが数名降りてきました」
「もう少し具体的に話せる?」
「はい、男たちは軍服のような迷彩服を着ていました。おそらく5,6名はいたと思います。そして飯坂さん達を拉致していきました。こちらは何もできませんでした」
「貴方には目もくれずに?」
「そうです」
「当日の服装は?」
「彼女たちはワンピースです。私は従業員向けのリゾート仕様です」
「それはどんな感じ?」
年配の男性、名札には山脇とある。支社長かもしれない、彼が手元からパンフレットを出してくる。
「当社の従業員はこういった服装になります」
写真を見ると花柄のポロシャツにホットパンツをはいている。
「会社のロゴは入ってる?」
「はい、この写真だと分かりづらいですが、袖のところに入っています」
「それで3人だけを拉致した」
「はい」
「犯人は現地語を話した?」
「タイ語でした?」
「南部訛りは?」
「ああ、そこまではわかりません」
「具体的には何と言ったのかな?」
「抵抗するな。車に乗れと言いました」
「車はわかる?」
「前に停まったのはSUV車です。トヨタです。後ろにはワゴン車がそれもトヨタでした。彼女たちはワゴン車に乗せられました」
真加部はスマホを見せながら車種を特定する。さらには銃器についても同じように特定させる。彼女はうろ覚えだと言いながらそれなりに話をした。
「それで車は南に向かった。湖方向に」
「そうです」
「その後はどうしたの?」
「すぐに支社長に電話しました」
支社長がそれを受ける。
「判断に迷いました。現地警察に連絡するべきかとも思ったのですが、誘拐事件なので、まずは飯坂社長に話をしようと思いました」
「なるほど」
「忙しい方なので連絡するのに時間がかかったこともあります。社長と話が出来たのは夕方になりました」
「それは会議か何かで?」
「そうです。株主総会があったそうで離籍できなかったようです」
「それは運の悪いことで」
「ええ、ただ、その時点で犯人側からの接触があったようで、一切の口外は無用と言われました」
「口外すれば命の保証は無いというやつですね」
「そうです」
真加部は少し考えをまとめるようにして「わかった」というと離席しようとする。
支社長たちが慌てる。
「もういいのですか?」
「大丈夫」
そう言うと颯爽とそこから出て行く。
残された二人は呆気にとられる。支社長が話す。
「大丈夫なのか?なんか、子供みたいだったぞ」
「そうですね」