突入
真加部は薬師商店街に戻って来る。時刻は12時半で現場は昼時となる。報道陣は昼のニュース番組があり、さらに人が増えている。
警察は相変わらず手がないようで、繰り返し投降を呼びかけている。日本の警察は人質の安全を最優先項目とする。強行突破は本当に最終手段だ。万が一でも人質に何かあったらそれこそ一大事である。場合によっては犯人側の要望を呑むことも想定している。
真加部は商店街の現場とは反対側にいる。ここにはほとんど人がいない。商店街は130店舗ほど連なっており、長さは200mぐらいだ。GAOは入り口付近なので、真加部がいる反対側はまったく関係がないとも言える。よって人はいない。入口から50mのところまでは非常線が貼られ、その周囲はたくさんの警察官が警備している。
真加部は再度、パクに電話する。
「いいか、パク、時間を合わせるぞ。今からきっかり10分後だ」
『いはえ』朝鮮語で応える。了解ということだ。彼女は任務の時にはそういうモードになる。
真加部は周囲を警戒する。そうして人がいないことを確認すると、電柱をするすると登っていく。ほぼ先端近くまで到達するとそこから飛ぶ。そして商店街店舗の屋根に静かに到達する。まるでむささびのようだ。
そこから屋根伝いにどんどん目的地まで向かう。商店街は店が連なっており、こういうことが可能となる。ましてや警察もそういったことを想定していない。もちろん現場周辺では犯人の動きを注視しているため、屋根も警戒対象としているが、そこまで注意を払っているわけではない。ただ、こんなことができるのは真加部の跳躍力があるからで、普通の人間には到底無理な話だ。
真加部は想定を超える速度で現場付近に到達する。
「ちょっと早すぎたな」ちょっと休憩とばかりに、屋根の上に寝転んで空を見上げる。東京の空は低い。そして暗く、くすんでいる。彼女は異国の地の空を想っている。
時間になる。
むっくりと起き上がると時計を見ながら、時を待つ。
そしてリュックから物を取り出す。これは真加部が自作した爆竹の一種だ。日本では法的には大型爆竹は禁止されている。アメリカでもM1000などの大型爆竹は禁止だ。よって真加部は限りなく違法だが、法律内の爆竹を一部改良している。???一部でもないか。
ライターで火をつけ、屋根から勢いよく放り投げる。こういう時、真加部は戦地を思い出す。
GAOの真向かいの店舗裏に、爆竹が落下と同時に凄まじい爆発音がする。
一瞬にして現場は蜂の巣を突いたような騒ぎになる。野次馬は一目散に逃げだそうとするし、報道陣も同じくほとんどが我先にと逃げ出していく。残念ながら数名の警察官も同様の行動を取っている。
阿鼻叫喚の中、真加部はGAOの屋根にとりつく。この状況で屋根を見上げているやつはいない。警察官は音がした店舗に向かうか、現場を注視している。
そして真加部は屋根から店舗裏の窓に取りつく。それはちょっと信じられない光景なのだが、真加部は両足のつま先を屋根のひさしに掛け、背中を見せて逆立ちの形で窓に向かっている。そして窓をガラス切りで切ると、空いた穴からクレセント錠を開ける。タイで見せた方法だ。窓はすぐに開く。
真加部はそのまま体操選手のように体を振ると、室内に突入する。まったく音も無く。部屋に入った。
そこはこの店舗の部屋だ。タンスや机もあり、生活感がある。
そしてその部屋に先ほど見た犯人がいた。相変わらず、マスクとキャップをしている。やはり若かった。おそらく20代前半ではないか。いきなり入ってきた小柄な女を見て、心底驚いている。ただ、悲鳴をあげるような事はしない。
真加部は驚くべきことを言う。「助けに来たぞ」
犯人はほっとした顔で真加部に近寄る。
そして一瞬だった。真加部は男のこめかみを強打する。男は何が起きたか理解する前に気絶する。
真加部は倒れた男を無視して一階に急ぐ。
一階には人質三名がぐったりとしていた。
2階から降りてきた人物を見て、驚く。犯人が女に変わった。
そしてその女は人質のロープをナイフで外すではないか。3人は呆気に取られている。
真加部が3人に言う。口に指を当てて「犯人は制圧した。それと俺のことは秘密だからな」そう言うとそのまま、何故か2階に上がっていくではないか。
訳が分からないが、とにかく助かったと、3人は店の入り口から外に出て行く。
驚いたのは店の外にいた警察関係者だ。何があったのかはわからないが、人質が勝手に逃げ出してきたのだ。
捜査一課の刑事たちが人質に駆け寄る。
「どうしたんです」
店の女店主が言う。「それが言えないんです」
「はい?」刑事たちが頭をかしげる。一方でSIT隊員たちは現場に突入していく。彼らは犯人確保が目的だ。一階にはいなかった。拳銃を構えながら二階に上がっていく。緊張の現場だ。
先頭の隊員が、後ろに控えるように手で合図をする。まずは自ら現場確認を優先しようという命懸けの作戦だ。
そしてゆっくりと2階に入る。廊下を進み、後ろに問題ないことを合図する。ひとまずここまでは大丈夫だ。
そして最初の部屋を確認するため、ゆっくりと中をのぞく。
そして拍子抜けする。なんと犯人らしき人物が倒れていた。隊員は「確保!」と犯人を羽交い絞めする。
羽交い絞めになった犯人がようやく気付く。そして悲鳴をあげる。「助けてくれ」
SIT隊員は意味がわからない。どういうことなのだろう。部屋を確認するが特に異常はない。窓は鍵が掛かって閉まっている。ただ、何か割れたのかテープが貼られてはいるが。それ以外に何の異常も無い。
犯人は見るからにひ弱そうな大学生ぐらいの男だった。拳銃は改造拳銃でその場に置いてあった。隊員に囲まれると全くの無抵抗で、素直にお縄を頂戴しますと言った感じだった。どうしてこんな男が拉致事件などを起こしたのか疑問しかなかった。
一方、GAO店前では人質が自ら逃げ出したことを受け、大騒ぎになっていた。
現場を仕切っている管理官が叫んでいる。
「人質を救急車で運べ!」
そこに人をかき分けるようにして、所轄の西城が例の御主人を連れてきている。
「管理官、人質の中に医療行為が必要な者がおります」
「ああ、そうだった。まずはそれを優先してくれ」
ご主人が奥さんのところに行く。
「由美ちゃん。薬だ」
奥さんは涙でボロボロだ。また、身体も震えている。病気のために疲労感も相当なものだろう。取り急ぎステロイド薬のヒドロコルチゾンを飲ませる。
そうして旦那さんが抱えるようにして救急車に載せる。他の2名も同様に救急車で運ばれていく。
無駄にイケメンの駒込は、周囲の野次馬整理に追われていた。ロープ前に陣取り、人が入ってこないように必死で阻止している。人質救出がどうやって行われたのか、報道陣だけではなく、自身のSNSに上げようと野次馬が続々と押しかけてくるのだ。
「推すな。危ないぞ。このロープより中には入らないで」
中には物好きがいて、そういう駒込の動画を上げている。美形すぎる警察官として上げているのだろうか。実際、相当な人間がそれをやっている。
「何撮ってるんですか。ああ、押さないで」
そこに駅前の駐在所の巡査が人をかき分けてくる。駒込とは顔なじみのようだ。
「駒込さん、実はお話が」
駒込はそれそころではないのだが、先輩の顔を立てる。
「はい、何でしょうか?」
「実はこの子が不思議なものを見たと言って」
巡査の横には小学生低学年の男の子がいた。その子は周りの騒動に目を見開いている。
「ああ、ちょっと中に入って」そう言うと巡査と男の子をロープの中に入れる。
人の整理を残りの警察官にまかせて、駒込は聴取をする。
「何を見たと言ってるんですか?」
「はあ、それがはっきりしないんです」
駒込が男の子に聞く。
「何を見たのかな?」
「蝙蝠女」
駒込が巡査を見る。巡査も頭をひねる。
「えーと、どこで?」
「その店の裏側だよ」
男の子が指さすのはGAOだ。
「ちょっと整理しようか。君は店の裏側でこうもりみたいな女を見たんだね」
「そう言ってるじゃん」うわ、かわいくない子だ。
「そのこうもりは何をしてたんだ」
「2階の窓にへばりついて、それから中に入って行った」
「え、夢の話か」
「馬鹿じゃないの。現実だよ」殴りつけたい衝動を抑えながらやさしく聞く。
「どんな風に入って行ったんだ?」
「逆立ちしてて、それからぶるんって回転して入って行った」
駒込は空を見る。そして呼吸を整えると静かに言った。
「了解。どうもありがとう」そう言うと現場に戻ろうとする。
巡査が駒込に聞く。「どうします」
駒込が小声で言う。「あったまおかしいんですよ。相手にしない」
下を見ると男の子が睨んでいた。駒込は知らん顔になる。
そこに西城が来る。駒込はこれ幸いと西城に振る。
「西城さん」
「どうした」西城はひとまずほっとした顔をしている。
「この子が2階から入って行った女を見たと言ってるんです」
「それは店の裏側の話か?」
「そうだよ」
「そうか、そいつは人間離れしてただろ」
「おじさんは知ってるんだ。蝙蝠女」
「ああ、知ってるさ。そうか、そういうわけか」
駒込は目をむいている。
「さすが、西城さんだ。人間が出来ている」
「まあな」
そう言うと西城はGAOの裏手を見上げる。なるほどそういうわけか。




