8話 優しさからの決別
黒咲も真由も、満面の笑みを浮かべてオレの顔を覗きこんでいた。
もしかしたら二人とも、今回の事でオレが喜んでいると思い込み、頑張った自分たちへのねぎらいの言葉を期待しているのかもしれない。
だからオレは、意を決して口を開く。
「あのさ……黒咲っ、それに真由っ」
「なんだい景君」
「なんですか、灰宮せんぱいっ」
名前を呼ばれたことで、目をキラキラと輝かせながら。一度は空けた二人との距離を、ぐいぐいと寄せてくる黒咲と真由。
「いや、御礼なんていいんだ。ただ……どうしてもというなら、今夜は景君の家に行ってもいいだろうか?」
黒咲はというと、やたらと身体をくねくねと動かしながら。顔を真っ赤にしながら、勝手な妄想に浸ってやがるし。
「あ! 真由のこと……いっぱい褒めてくれるつもりなんですねっ? いいんですよ、はい、どうぞっ♡」
真由は真由で、背の低さを利用してなのか上目遣いにオレを見て。頭を撫でて欲しそうに差し出してくる。
……やっぱりだ。
二人とも、今回の大量停学処分でオレが気分を害するだなんて、少しも思っちゃいないんだ。
「ああっ! だ、駄目だっ景君っ? わ……私たちはまだ高校生だしこれ以上は不純異性交友になってしまう。だ、だが……景君が望むのなら♡……うっ、鼻血が」
どうやら頭の中では人様には言えないような行為を思い浮かべ。
興奮しすぎたのか鼻を押さえて、カバンの中から取り出したポケットティッシュを鼻に詰めていた黒咲。
「じーっと見てるとせんぱいが恥ずかしい、っていうなら。真由はこうやって目を閉じてますから……さあ、どうぞっ」
一方で真由はといえば。頭を撫でてもらいたかったハズが、目を閉じると同時に上を向いて唇を突き出してくる。
それはまるで、キスをせがむ時のポーズ。
(おいおい……あまりにもポジティブがすぎるだろ)
無神経と言ってもいい二人の態度に、オレはだんだん腹が立ってきた。
「……っ、ふ、ふ……」
怒りで声帯が震え、言葉を上手く発せない。
「ん? ど、どうした景君?」
「あれ? どうしたんですかせんぱい?」
どうやら思ったような反応がオレから返ってこなかったのを不審に思ったのか、ようやく二人は浸っていた自分の世界から帰ってきたみたいだが。
オレは構わず、そんな二人を怒鳴りつけていく。
「──ふざけんなよクソがっっ!」
突然の怒鳴り声に、オレたち三人だけでなく帰り道という場所がら周囲に居合せた通行人らの注目を集める中。
黒咲と真由の二人は「信じられない」というような表情のまま時間が停まっていた。
二人の顔を見て、心が痛む。
だが今度ばかりは、黙ったままではいられない、いてはいけない、と意を決したばかりだ。
まるで二人に「近寄るな」とばかりに胸の前で腕を振り回しながら、熱弁を振るったオレは。
そのまま苛立った感情に任せ、黒咲と真由へ今回の出来事への不満をぶつけていった。
「生徒会長だか理事長だか知らねえが……三十人だぞ、三十人! それをまとめて停学処分とか、一体どこの独裁者なんだよお前らはよおっ!」
「け、景……君?」
「せ、せん……ぱいっ? え?」
いつも二人のなすがまま、基本的に大人しいオレの態度が豹変したことに。先程まで満面の笑顔だった二人の表情があからさまに一変する。
「い、いや……ちが、違うんだ景君っ……」
黒咲は、普段の威風堂々とした雰囲気は何処へやら。
何とオレに声を掛けたらいいのかまるでわからないのか、おろおろと周囲を気にしだし見るからに挙動不審な様子だ。
「せ、せ……せんぱいっ……真由は……真由はぁ……ふえ」
真由は二、三歩後ずさりながら、オレに拒絶されたことがそんなにショックだったのか。
大きな目にびっしりと涙を溜めて、身体を震わせ今にも泣き出してしまいそうになっていた。
(う……ぐ……ぐっ……クソ! そんな顔されちまったら、決意が揺らぐじゃねえかよっ!)
そんな二人の様子に、オレは喉まで出かかっていた二人を責める言葉を飲み込みそうになる。
いつもは『災厄』と呼んで避けてきた二人だが、両親を亡くして生きる気力を無くしていたオレにずっと寄り添ってくれたのは、『天天』の親父さんたちだけじゃない。
黒咲と真由、この二人も最初はオレの事を心配してくれていた。
いや……ハズだった。
両親に頼りっきりで世の中の仕組みのほとんどを知らないオレが、いまだに両親が残した一軒家に一人で暮らしていけているのは。
真由が、大企業の経営者や弁護士である自分の両親や、政治家の親戚などに頼み込んで。様々な手続きをオレに有利になるように手配してくれたからだ。
それだけではない。
小学生の頃からの幼馴染だった黒咲は、部屋から出てこなかったオレを無理やり連れ出そうとはせず。
自分から部屋を出てくるまで、全国大会出場が期待されていた剣道部の活動よりもオレの家に通うことを優先し、家中の掃除をしてくれたり。登校してなかった時期の授業のノートを全教科分取っていてくれたりしたのだ。
登校時にも、昼休みにも、下校の時にも二人がオレにべったりとしてくるのは。
通学の最中にフラリと何処かにいなくならないように、きちんと食事を取るように、突然車道に飛び出して車の前に立たないように、という二人の配慮であり、優しさなのだろう。
──しかし、である。
あれから時間が経ち。両親の死からそれなりに立ち直って、前を向いていると自分では思ってたんだが。
しっかりしたこの二人から見れば、まだ全然立ち直れたように見えていなかったからかもしれない。
周囲の人間の扱いが元に戻っていく中、黒咲と真由の二人だけは。徐々にではあるが、心配の度合いと方向性が強く……そして重く感じられるようになってしまった。
(これ以上は、正直オレもついていけない)
そろそろ二人の行き過ぎた優しさから卒業しないといけない、そう決意したオレは。
「と、とにかくだっ! これ以上オレに迷惑かけるんだったら金輪際、二度とお前らとは口を利くつもりはねえっ!」
心を鬼にして、二人との決別を宣言すると。
「な?……お、おいっ……う、嘘だろ、景君……な、冗談だと言ってくれ、景君、景君……っ」
顔を真っ青にした黒咲は、その場で膝を折って崩れ落ち、声を震わせながらすがるように手を伸ばしてくる。
一方で真由はというと。
「そ、そんなっ……ふ、ふえ、ま、真由は灰宮せんぱいのことを思って……ぐすっ、ふえ、ご、ごめんなさいせんぱぁい、ふええぇぇぇぇぇぇ……」
こちらに背を向けて、両手で顔を覆いながら何度もオレに謝りながら泣き出してしまっていたのだが。
悪いとは思いつつも、ここで甘い顔を見せてはまた無茶を続けられてしまう。
そんな状態の二人を無視し、その場に置いてオレは家に帰ろうとする。
(三人のためにも、これでいいんだ)
これ以上──オレに構わなければ。黒咲も真由も、もっと自分のために時間を使えるだろう。
特に黒咲なんかは、一年の時にはもう個人で全国大会に出場するほどの剣道の実力者だったりする。
オレに構わず練習に精を出せば、もしかしたら全国大会で優勝も狙えるかもしれない。
今はどの部活にも所属していないハズの真由も、である。オレに構っていた分の時間に余裕が生まれれば、何かしらやりたい事が見つかるかもしれないじゃないか。
そう思って、二人への未練を振り切ろうとするオレだったが。
未練を捨てる前に、何者かに背中を強く引っ張られる感触。
「──ま、待ってくれっ景君っっ!」
「お願いしますっせんぱい! もう一度だけ……もう一度だけチャンスをくださいっ!」
それは、泣きながらしがみついてきた黒咲と真由だったのだ。