5話 灰色の髪の理由
黒咲と真由の意地の張り合いに巻き込まれ、昼飯を食べ損ねたオレは。
学園の外にある中華料理屋『天天』で、味噌ラーメンと炒飯大盛り、餃子一人前を注文していた。
「それにしても景ちゃん。さっき学校のチャイム鳴ってたけど、ゆっくり飯食ってて大丈夫なのかい?」
初老をとっくに通り越した年齢の親父さんの指摘通り、時計を見ると既に昼休みは終わり、五時限目はとっくに始まっている時間だった。
『天天』の親父さんとは、子供の頃から通っていたこともあり、すっかり顔見知りだ。
だから調理場から、こうやって気さくに客であるオレに声を掛けてくるが。
「いいのいいの、腹が減ってちゃ勉強したって頭に入らないんだし」
「なら別にいいんだけどよぉ……」
オレは口の中に炒飯を頬張ったまま、レンゲで親父さんを指して答えていく。
あの時は、二人が言い争いを始めた隙に逃げ出すことが出来たが。昼休みが終わるまで、教室の入り口で弁当を抱えて待ち伏せしているかもしれない。
だからオレは学校内での昼食を諦めて、ここ『天天』に行くことに決めたわけだ。
学校を出てから、ほど近い位置にあるここ『天天』ではあるが。
うちの校則では、昼休みに抜け出して食べに来るのも。ましてや帰宅時に制服で外食をするのも、校則で禁止されているので。
二人がここまで追ってくる事はないだろう。
「うふふ。お父さんはね、景ちゃんのことを本当の息子みたいに思ってるから心配してるのよ」
「……ば、馬鹿ヤロウっ! そいつは言うんじゃねえって言っただろうっ!」
すると、店の奥から食器を片付けに出てきたのは、親父さんと同じくらいの年齢の女将さんだ。
『天天』は、高齢となった親父さんと女将さん夫婦で切り盛りしている小さな町の中華料理店だが。
知る人ぞ知る本場・中国仕込みの手打ちの麺で作る「拉麺」で人気となり。
親父さんの腕が確かなこともあり、今は町中華ブームということも相まってランチ時には混雑し、下手をすれば行列が出来る繁盛ぶりだが。
混雑のピークはとうに終わり、店内には客はオレ一人だけの様子だった。
「……景ちゃんの両親があんなコトにならなけりゃ、ねえ」
そんなこともあり。女将さんはボソリと表情を曇らせながら思い出話をつぶやいていく。
それは、両親に降りかかった事故の話。
オレにとって一刻も早く忘れてしまいたい、忌まわしき記憶を。
◇
──時は。
四月と五月を跨いだ、世間ではゴールデンウィークと呼ばれる長期休暇にまで遡る。
世間一般では母親が子供を産むと、愛情を向けるベクトルが変化し、夫婦感が上手くいかなくなると言われているが。
一人息子のオレを産んだ後も、うちの両親の仲は良好であり、世間では「おしどり夫婦」と噂される程の関係だった。
高校生になったオレも、そろそろ両親と一緒に行動するのが何かと億劫になってきたこともあり。
ゴールデンウィークに、両親だけで二泊三日くらいの小旅行に出掛けてくることを勧めたのだ。
一人で大丈夫?と、母親には心配されもしたが。
手渡された食費は、毎日『天天』で食べても三日程度なら充分な額だったし。いざとなれば自炊だって出来ないわけじゃない。
それに、あの頃はまだ。友人としての適度な距離を保ってくれていた黒咲や真由がいた。いざという時は彼女らにヘルプをお願いしようと思っていた。
こうして心配する両親をなんとか納得させ。
旅行へと送り出していったまではよかったのだが。
事件は──旅行二日目に起きた。
突然、オレのスマホに警察から電話が来た。
それも自宅のある地域ではなく、両親が旅行に訪れているはずの地域の警察署から。
何でも「早急にこちらに来てほしい」という要請だった。
両親に何が起きたというのか。
オレは頭がグチャグチャになりながら、外行きの服に着替えて、警察の迎えを待った。
自宅の前にパトカーが停まったということもあって、ご近所の住人らで人集りが出来ていたのはうっすらと覚えているが。気が動転していたオレは出てきた警官の案内のままに、パトカーに乗り込んだ。
その後の出来事は、おぼろげな記憶しかないが。
結論から言えば、両親は死んだ。
父親が乗っていた車のハンドル操作を誤り、ガードレールを飛び出して谷底に落下したらしい。身元確認の遺体は原型を留めていなかった。
煽り運転があったかなかったか、という話も出ていたみたいだが。オレにはそんなことはもうどうでもよく、警察の人間の説明は頭に残ってもいなかった。
たとえ煽り運転が認められたとしても、死んだ両親が蘇るわけではないのだから。
すっかり生きる希望と目的を見失った、それからのオレは。食事の一切を取らなくなり、自分の部屋でカーテンを閉め引きこもるようになる。当然ながら、学校にも行かなくなった。
その時なんだろう。
まるで苗字を表すかのようにオレの髪から色素が抜け、今のような灰色の髪になってしまったのは。
自暴自棄になったオレを救ってくれたのは、それでも自宅に出前を届け続けてくれた『天天』の二人だった。
最初は一切手を付けなかった料理を、文句一つ言うことなく持ち帰り。それでも毎日一度、決まって夕方五時ぴったりに違ったメニューを出前で、鍵を開けたままの玄関に置いてくれたのだ。
◇
──あの出来事から、まだ二ヶ月強。
まだそこまで長い月日は経っていないのだけど。
オレの体感では二、三年は経過しているように思えてならなかった。
「……そんな景ちゃんが、ちゃんと学校行って、こうしてお店に来てくれるだけでも、おばちゃんは嬉しいんだから」
そう話す女将さんの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
両親を亡くしたからかもしれないが、だからこそ両親の生前に家族ぐるみで世話になっていて、今でもこうして何かと世話を焼いてくれている二人には感謝しかない。
「ありがとな、親父さんに女将さん。あの時……毎日のようにうちに出前を届けてくれたから、オレ、なんとか生きてられたんだからさ」
絶食してから数日が経ち、閉じこもっていた自分の部屋から出たオレの鼻に飛び込んできた強烈な中華料理の匂いに。
オレは、身体が勝手にレンゲを持ち、親父さんが配達してくれた味噌ラーメンのスープをすすり。炒飯を一口食べた時に。
両親が死んだと知らされた時にも、両親の酷い遺体を見せられた時にも涙を流さなかったオレの目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ出したのはくっきりと記憶に残っていた。
あの時食べた味噌ラーメンと炒飯、そして餃子の味は絶対に忘れないだろう。
だからオレは『天天』に来ると。
決まって味噌ラーメンに炒飯、餃子を一皿を注文するようにしていた。
言わばこれは、オレの思い出セットだったりする。
ラーメンをすすり終えたオレは、味噌ラーメンのスープに餃子を浸して口の中に放り込むと。
「へっ、よせやい景ちゃん。俺はお得意様だったからしたまでよお!」
「そんなこと言って、あんた……景ちゃんが食べてくれるよう懸命だったじゃないか」
「……う、うるせえっ! ったく……」
客を相手に平気で怒鳴り散らすことから、そのいかつい顔つきから怖がられている親父さんも。長年連れ添った女将さんにかかれば可愛いものだ。
照れて顔を真っ赤にした親父さんは、夜の仕込みのためにオレに背を向け、黙々と鍋を振っていた。
両親がいなくなったオレだが。
『天天』に来て、親父さんや女将さんの顔を見ると、両親がいないという惨めな気持ちが少しだけ和らいでいくのだ。
「ふぅ……ごっそさん、いつも通り美味かったよ、親父さん」
こうして少し遅めの昼食を食べ終わり、カウンターの上に食事の代金を置くと。
代金を見た女将さんが困った顔をしながら。
「もう、景ちゃん。お代は千円でいいっていつも言ってるでしょ?」
「いや、そういうわけにゃいかないだろ」
オレが頼む、味噌ラーメンに炒飯と餃子一皿、占めて合計すると千五百円だ。
女将さんは多分、優しさから食事の代金を割引きしてくれているのだ。でも、両親の代わりに甘えているからこそ、食事の代金はきっちり払っておきたかった。
「……げっ、もうこんな時間かよっ?」
ふと店内の時計に目をやると、そろそろ五時限目が終了する時刻を指していた。
このまま帰宅してもよかったのだが、六限目は口煩い学年主任の斎藤が担当の英語だ。授業をサボったのがバレれば後々面倒くさいことになる。
「じゃあ女将さん、そういうコトでっ!」
「あっ? もう……景ちゃんてばっ?」
五百円を返そうとする女将さんを何とか誤魔化し、オレは店を出ようとしたその時。
「──また来いよ。景ちゃん」
鍋を振るっていた親父さんが背中を向けたまま、オレにかけてくれた言葉に。
胸の内側がじわっと熱くなるのを感じた。
「ああっ、行ってくるよ親父さんっ」
だからオレは「もう一組の両親」とも言える親父さんと女将さんに向かって、ペコリと深く頭を下げ。
笑顔を向け『天天』を後にするのだった。
ちょっとウンチク。
日本のラーメンと中華料理の拉麺は、厳密に言うと麺の打ち方作り方が違うのです。
麺生地を平たく延ばし麺切りする日本式と違い。拉麺の麺は生地を叩いて長く延ばし、何度も何度も繰り返して麺にする、生地を刃で切らずに延ばして麺を作るのが中国式の特徴だったり。