42話 嵐とともにやって来た女
だが、スマホから聞こえてきたのは。
こちらが不機嫌なのなどまるでお構いなし、とばかりにいつも通りの黒咲の良く通る凛々しい声だった。
『おはよう、景君。いやあ、起きててよかったよ』
「ははは……この着信で無理やり叩き起こされたんだけどな』
さすがにイラっとしたので、皮肉を込めた返答をしてみせたのだが。
『まあ、それは置いておいて、だ』
「置いておくんじゃねえよっ!……って、何なんだこんな朝っぱらに電話とか』
『いやいや、電話をかけたのにはちゃんとした理由あってのことなんだ、聞いてくれないか?』
と、突然。黒咲の口調が真剣なものに変わる。その言い回しからも、どうやらただ嫌がらせや冗談で電話をしたわけではないようだ。
(何だ何だ? も、もしかして、黒咲たちが泊まってたホテルが台風で浸水したとかじゃない……よなぁ?)
窓の外を見てみると、昨晩の寝る前に比べても雨も風も強まってきているように思えた。
オレと真由の宿泊している部屋は最上階なため、海や河が増水して床が水浸しになったとしても影響は受けないが。
黒咲たち剣道部が宿泊したホテルはそうはいかなかったのかもしれない。
「……な、何だよその理由ってのは」
本当にそうだったなら一大事だ。まあ、仮にそうだとしたらオレなんかが出る幕なんて間違いなくない。本来なら引率してる顧問の出番なのだが。
一緒に泊まっている真由は、現役の高校一年生でありながらオレたちが通う聖イグレッド学園の理事長だったりする。なら、そんな一大事には真っ先に対応しないといけないだろうから。
『それがね──』
さて、どんな問題が黒咲たちに起きたというのか。
オレはゴクリと唾を飲み込み、黒咲の言葉を待っていると。
『景君を驚かせてやろうと思ってホテルの前まで来たはよかったんだけど……二人がどの部屋に泊まってるまでは見当がつかなくて、正直困ってたんだ』
「……え? はあ?」
黒咲の答えを聞いたオレは、念のためにもう一度窓の外を見返してみる。
横殴りに吹き付ける強風で、浜辺に立ち並ぶヤシに似た木が大きく曲がっている。雨だって凄い勢いでガラス窓を叩いていた。
(今まさに台風が直撃している中を、ホテルの前までやって来た?……う、嘘だろっ)
すると、このタイミングで今度は部屋に備えつけてあった置き電話のコールが鳴る。
表示された連絡先は……フロントだった。
「もしもし、白鷺ですが」
『あ!……よ、よかった。あの、フロントにお客様に用件がある、という女性の方が訪ねてきているのですが……』
慌てて受話器を取ると、ホテルの従業員から先程の黒咲の発言が本当であるという裏付けとなる、フロントへの来客が告げられた。
「お、おいおい……もしかして、昨日の黒咲の電話の最後の『また明日』ってのは……こういうつもりだったのかよっ!」
オレは受話器を肩で挟んで会話を続けたまま、夏なのでTシャツにトランクスという格好ではフロントには出向けなかったので。
上にワイシャツを羽織り、下は短パンを履いてから急いでエレベーターに乗って一階まで降りていくと。
「もう、随分と待たせてくれたじゃないか、景君っ」
「──うおおっ!?」
そこには、頭のてっぺんから足の先までずぶ濡れになった黒咲が立っていたのだが。
びちゃびちゃに濡れた前髪を垂らして顔が隠れている姿は、まるで某ホラー映画のヒロインを想像させるほどだ。
(……こ、怖っ!)
あらかじめ黒咲からスマホに連絡をもらってなかったら、思わず「だ、誰だっ!」と叫んでいたかもしれない。
……にしても、だ。
まさか台風が直撃して雨風も強まり、テレビでも外出を控えるようアナウンサーが何度も口にしているというのに。
こんなに身体をびちゃびちゃにしてまでオレを驚かそうとするとは、その行動力にオレが呆れ顔になっていると。
「し、白鷺様っ、来客様もそのままでは風邪を引いてしまいます。まずはこちらのタオルで身体を拭いて下さいっ」
横から、黒咲に対応してくれていたホテルの従業員の一人が、びしょ濡れになった彼女の様子を見かねてバスタオルを用意してくれた。
そういった気遣いができるのも、さすがは高級ホテルだけはある。
「ほ、ほら、これで濡れた身体拭けって」
「ここでタオルは助かるよ、ありがとう景君」
オレは従業員から受け取ったタオルを、長い黒髪を前にたらしたままの黒咲に手渡してやり。
黒咲は髪、顔、首回りと上から順に、雨で濡れた身体をタオルでしっかりと拭いていく。
「あ、あの……ありがとうござい──」
手が空いたオレは、タオルのお礼を言おうと従業員を目で追うのだけど。
フロントにいる従業員も、先程タオルを手渡してくれた従業員も、何故かオレと黒咲から不自然に顔をそらしていた。
(どうしたんだ? 朝っぱらから変な来客があったからって、露骨に無視するってのはホテルの従業員としちゃおかしいしな……ん?)
その理由は、黒咲がタオルで身体を拭く様子を見た時にようやく気づく。
「……う、うおっっ!」
雨でずぶ濡れになった黒咲の着ていたブラウスはぴったりと肌に貼りつき、濡れて透けた生地からは下に着けているブラがくっきりと見えてしまっていたからだ。
「ば、馬鹿っく、黒咲っ! 服っ、服が、濡れて透けてるっての!」
「ん? そりゃこれだけの台風の中を突っ切ってここまで来たんだ。服くらい濡れるのは当然だぞ、景君」
オレは慌てて黒咲に、服が透けてしまってることを教えてやった。いくら朝早くすぎて誰もフロントにはいないし、従業員も見て見ぬフリをしてくれてるとはいえ、だ。
だが、ブラまで透けてる状況を理解していないのか、それとも実は露出癖でも持ち合わせていたのか。黒咲はニンマリと実に悪そうな笑顔を浮かべながら、オレの胸を指でツンツンと突っつきながら。
「それに……景君だったら、いくらでも私のブラや素肌を見て、いいんだぞ?」
「う、う……うるさいうるさいうるさいっ! いいから早く身体拭けっての!」
ブラが透けてたのを慌てるオレを面白がる黒咲の態度に、少しイラっとしてつい言葉を荒げてしまうオレ。
「お、おいおい景君、そんな怒らなくてもいいだろう? いや冗談だよ、冗談……此処では何かと人目につくからね」
すると、調子に乗りすぎてたと反省してくれたのか、濡れた手足を拭いたタオルを肩から羽織って、濡れて透けたブラウスからブラが見えないようにしていくと。




