3話 一限目の恐怖
「……ふぅ、危なかったぜ」
オレが遅刻ギリギリで席に着くと。
その直後、教室に担任が入ってきてHRが始められる。
「よーし、今日の連絡事項はな──」
(遅刻しなかった点だけで言うなら、あの二人にゃ感謝なんだが)
これがオレの通う高校・私立聖イグレット学園の一日の始まりである。
ちなみに学校の頭に「聖〜」などと付いている名前から部外者には誤解されがちだが。
あくまで創始者である理事長が宗教関係者というだけで、授業内容に宗教色は一切出てなかったりする。
「……はぁ」
そんなオレは机に肘を付き、朝から疲労の色の濃い溜め息を一つ、吐いていた。
二人の女の子に朝から追いかけ回され、果ては着替えから昼飯の世話までしてもらえるのだ。
普通に考えれば、男子高校生なら狂喜乱舞するシチュエーションなのは間違いない。
しかもである。
その二人というのが普通の女生徒ではない。
黒咲 杏里。
|まるで日本人形のようなストレートロングの黒髪に、知的な美貌も相まって。学園の生徒会長を、二年生でありながらほぼ満票で就任したほどの人気を誇り。
黒咲狙いの男子生徒どもが、同じ生徒会室の空気を吸いたいばかりに。生徒会の役員応募にこぞって押し掛けた、という逸話まであるくらいだ。
逸話がある、というならもう一方もだ。
白鷺 真由。
普段はオレを困らせて喜ぶ時のような悪魔の顔は見せずに。実に良家のお嬢様らしい振る舞いをしているようで。
テレビに出てくる下手なアイドルや女優より可愛い容姿からか。同級生だけでなく、二、三年生にも真由の人気は止まる事を知らず。果ては学園の外にまで真由の非公式ファンクラブが結成されるほどの人気があったりする。
ならば何故そんな二人に追い回される、側から見ればただの役得を。オレは『災厄』だと呼ぶのか。
その理由は数えきれない程だが。
まず初めに、何とか遅刻にならずに自分の席に着いたオレを見る、クラスの連中の冷ややかな視線にある。
「──おい、灰宮のヤツまた黒咲さんに追い回されてたらしいぞ」
「ったく、オレたちに見せつけてるのかよ……ちっ、モテる男は違うねってか」
担任が話してる最中だってのに、クラスのカースト上位を占める男子運動部の連中が固まった教室の一角から、そんなやっかみによる陰口が聞こえてくる。
……ああ、胃が痛い。
また、違う女生徒のグループからは。
「──ねぇ、聞いた? 灰宮、あの白鷺さんと付き合ってるって噂」
「え? あたしはもう二人は同棲してて、卒業したら結婚するんだって聞いてるよ?」
こちらからは根も葉もない嘘が聞こえてくる。
神に誓って、あの二人を自宅に招き入れ、泊めたことなどない。
(……おいおい、そういう話は当人のいない場所で噂するのが普通じゃねえのかよ!)
そう──とある理由から色素が抜け、苗字を表すかのように灰色に変わっちまった髪の色でオレはクラスの中で悪目立ちしてしまっていた。
それでも「人の噂も七十五日」ということわざ通りに、どうにかひっそりと大人しく過ごしていれば良かったんだが。
髪の色が変わるタイミングであの二人に目をつけられ、急に学園の内外でオレに周囲の目をまるで気にせず、つきまとい始めた。
自分で言うのもなんだが、成績は並の下であり、部活はもれなく帰宅部。顔だってモテるかモテないかで言えば、年齢イコール彼女いない歴と言えば全然モテない部類だ。
……くそっ、言ってて悲しくなってきた。
そんなオレに全くもって不釣り合いな黒咲と真由、あの二人が絡んでくるのだ。
クラスの連中だけじゃない。
今や学園の生徒、男女問わず全員がオレに嫉妬とあらぬ妄想を込めた噂や視線をぶつけ、オレは知らぬ内に学園内ですっかり望まぬ有名人となってしまった。
だからオレは、平穏な学園生活からオレを限りなく遠ざけてくれた元凶の二人を『災厄』と呼び、出来る限りの距離を取ろうとしていたんだが。
結局のところは、この有様だ。
「……くそっ!」
一言「違うんだああああ!」と叫び、二人との関係を全力で否定したいオレだったが。そんなことをすれば状況はより悪化するのは理解している。
だからオレは机に突っ伏しながら、HRが終わるのを静かに待つ。
授業さえ始まっちまえば、連中もそうそうオレの陰口を熱心にしてる余裕なんてないはずだ。
こうして一限目の数学、教科書は机に置きっぱなしにしてあるが、宿題やら予習やらで家に一々持ち帰っている参考書やノートはカバンから取り出していく。
(ん? 宿題? あっ……し、しまったっ!)
そこでオレは昨日、宿題が出ていたことを今頃思い出したのだ。
慌ててオレは今日の日付を確認すると。
(や、ヤベえっ……今日はオレの日じゃんかっ!)
数学の担当教師の矢澤は、ノートを集めて宿題の確認を一々してくるような律儀な性格ではないが。適当に生徒を選び、宿題で課した問題を答えさせるのだ。
そして……数学教師・矢澤の選択方法というのが、オレたち生徒の苗字を五十音順で並べた出席番号と、その日の日付で選び出すというものだったりする。
つまり「オレの日」とは今日がオレの出席番号と一致している、ということだ。
心の中でオレは、同じ出席番号の女子を当ててくれないかと祈ってみたが。
「それじゃ第一問は……灰宮、答えろ」
所詮、神様なんて何処にもいなかった。
無情にも、矢澤はオレを指名してきたからだ。
「は、はいっ」
名前を呼ばれた以上は、返事をして席を立つしかなかった。だが、宿題の存在すらすっかり忘れてたオレが答えることは当然、出来なかった。
ここで正直に「宿題を忘れた」と白状してしまえば楽だったが、オレは悪あがきに教科書や参考書、ノートを片っ端から広げていくと。
(お、おいっ……こ、こりゃ、どういうコトだ?)
数学のノートには、明らかにオレの字ではない美しい筆跡で、今日の宿題に出された問題が全て解かれていた。
それが誰のしわざなのか、犯人はご丁寧にノートの余白に証拠として名前を記してたのだ。
『今度から宿題は済ませておくんだぞ 杏里より♡』
と。
そう書かれたふきだしの横には、綺麗な文字とは対照的に、三歳児が落書きしたのかと思うようなかろうじて人型とわかる絵が描いてあった。
だが、あまりの絵の下手さに笑うどころではなく、最初にオレの胸に込み上げてきたのは──恐怖。
何故……というか、いつ黒咲はオレのノートに宿題をっ???
「おい灰宮っ、どうした? 早く答えんか。それとも……お前、宿題忘れたのか」
頭が混乱していたオレに、矢澤が語気を強めて回答を急かしてくる。
とりあえず、考えるのはこの場を凌いでからだ。
「は、はいっ。それは──」
常に学年トップを争ってる黒咲の学力だけは、とりあえず今は信用しておこう。
オレはノートに書いてあった黒咲の過程の数式と、導き出された答えを何とか発表していく。
混乱していたからか、何箇所か声が上ずってしまったが、悪い意味で注目されていたオレのしくじりを揚げ足取って笑う生徒はおらず。
一限目からの突然の出来事は、なんとか無事に解決できた。
に、してもだ。
(おいおい……黒咲のノートとすり替わってたならまだしも、ありゃ間違いなくオレのノートだ。じゃあ、いつ?)
その後の数学の授業をよそに、オレは自分のノートにいつ、どうやって黒咲が宿題を記入したのかをずっと考えていた。
黒咲とはクラスこそ違えど同じ学年だ、なら担当教師が別だとしても出される宿題が被ることはあるかもしれない。
だが。だが、しかし、だ。
教科書こそ机に入れっぱなしにはしてあるが、ノートは宿題をやるために家に持ち帰っていたはずだ。
結局、忘れてしまいカバンに入れたままに……
「ああっ!」
そういえば。
朝にあの二人が自宅まで押し掛けてきたやり取りで、黒咲が勝手に家どころかオレの部屋に入り込んで、カバンの準備をしてたのを思い出す。
(う……嘘だろ? まさかあんな短時間でカバンの中にあったオレの数学のノートをチェックして、宿題をやり忘れたのに気付いて……)
あんな短時間で、オレの代わりに宿題を済ませておいたとでもいうのか。
あの時は弁当箱を忍ばせていたことくらいしか気づいてなかったが、まだ何か仕掛けられているかもしれないと思うと急に背筋が冷たくなってきた。
(今日、家に帰ったら一度カバンを調べよう)
盗聴器や隠しカメラなんかが出てくるかもしれない……と、いうのは冗談だったが。
もしかしたら、本当にそんな物騒なモノが転がり出てくる可能性も、オレは完全に捨てきれなかった。