36話 突然の邪魔者
そんなオレの動揺を知ってか知らずか。
真由が小声で語りかけてきた。
「……あ、ほらせんぱい。次の料理がきましたよっ」
いつの間にか横に控えていたウェイトレスのお姉さんに、次の料理の皿を目の前に置かれていく。
もし真由に声をかけてもらわなかったら、突然皿が置かれたことに驚いてあらぬ声を出してしまったかもしれない。
「まずは魚料理となります」
「え? あ、こ、コホンっ、は、はいっ」
わずかな時間で、オレの中でこんな気持ちの攻防があったのを悟られまいと。軽く咳払いをしながらオレは「何もなかった」ような顔をしながら、次の料理の説明を聞いていた。
「本日はイキの良いシチューマチが揚がりましたので、それをバランの葉で包みヴァプールしたものとなります」
オレの目の前に置かれた皿には、焼き目はないが火の通った白身の魚の身と、紅白二色のソースで彩られた料理が盛られていたのだが。
「皿を彩る二色のソースはそれぞれ、ごぼうのソースと魚の出汁を沖縄味噌で溶いたソースとなります」
説明役の男性が続けてソースの説明をしてくれていたのだけど、オレは最初の説明での疑問が残って全然頭に入ってこなかった。
(え? し、シチューマチ? それに……ヴァプールってな、何なんだ、何語なんだ一体?)
フランス料理などほとんど触れたことのない、ごく普通の家庭に育ったオレにはまったくと言っていいほど聞き覚えのない単語がありすぎたのだ。
だけど、こういう場で単語の意味がわからないから聞き返すのってマナーとしてどうなのか、と考えてしまい。
ふと、対面に座る真由の様子を見るオレ。
てっきりあの説明を聞いて、オレのように戸惑っているかと思いきや。真由は先程と変わらない表情を浮かべていたので。
(へえ……やっぱ真由はお嬢様だもんな、今聞いた単語も意味がわかってるんだろうな)
などと感心していると。
真由が片手を肩の高さまで挙げて、料理の説明をしたウェイターの男性を呼んでいた。
「……あのぉ?」
「はい、何でしょう白鷺様」
「先程の料理なのですけど、シチューマチ……とは何なのでしょうか?」
(おお!?)
涼しい顔をしていた真由は、てっきり料理の説明の時に出てきた聞き慣れない単語を全部わかっていたものだと思っていたが。
そこはオレと同じ、やはり「シチューマチ」が何なのか知らなかったのだ。
「ああ、シチューマチというのは沖縄の言葉でシマアオダイという貴重な魚なのですが。それが大漁だったようで、本日のコースに使わせていただきました」
「へえ……シチューマチってのはフランス語じゃなく沖縄の言葉だったんだ。じゃ、じゃあ、ヴァプールってのは?」
真由が聞いたこのタイミングなら、オレが聞いても大丈夫だろう。
だからもう一つ、わからなかった「ヴァプール」という言葉も説明役の男性へ質問してみた。
「こちらはフランス料理の技法の一つで、いわゆる蒸し料理全般のことです」
「ってコトは……この料理は、つまりはシマアオダイを蒸した料理……で、いいのかな?」
今までは得体の知れない料理の皿の正体がわかったことで。
オレはようやく皿に盛られたシチューマチ……いや、シマアオダイの白身にフォークとナイフを入れていくと。
「ふふ、料理が何だかわかれば。せんぱいもようやく食べられますね」
「いやあ……料理は美味しそうなんだけどさ。説明されてもちんぷんかんぷんだったから──ん?」
ふと、気になったことがあって。
オレは真由の顔をまじまじと凝視してしまう。
ずばりオレが気になったこととは、本当に真由は料理の説明の時に出てきた単語を知らなかったのか、だった。
「ど、どうしたんですか、せんぱい?」
「……い、いや。何でもないっ」
だけど、もし本当にそうだとして。
だとすれば真由は、オレが料理に手が伸びないのを気にして、代わりに質問してくれたのだ。
だったら真由に問い詰めて真実を明らかにしても、それは真由の気持ちを無視した行為なんじゃないか……と思い。
オレは黙って、ナイフで切り分けた料理を口に運んでいく。
魚料理を平らげていき、いよいよメインの肉料理、そしてコースの最後としてデザートが登場する。
「肉料理は石垣牛の網焼きとなります」
「デザートは抹茶のムースとゴールドバレルという沖縄産パイナップルのソルベ、となります」
最後の一口を食し、不思議とオレの腹は満足感でいっぱいだった。
フランス料理のコースをテレビなどで見ていて、よくある話だが。いくら数皿とはいえ、皿にちょびっと盛られた量で、果たして食べ盛りの高校生の腹が満たされるのかと不安ではあったが。
「あの、どうでしたかせんぱいっ」
「いやあ……お腹いっぱいだよ、満足、いや……大満足だよ、ありがとな真由っ」
時計を見ると、時刻は二一時半を回っていた。
つまり食事の席についてから、もう一時間半もたっていたのだ。体感ではそこまで時間が経過した感覚はなかったのに、である。
今までのオレの十六年間の人生で、一回の食事にこれだけ時間をかけたのは初めての体験だ。
飛行機に乗る前には真由に無理やり唇を奪われたり、空港では剣道部の合宿とカチ合わせて真由と黒咲が一触即発の危機だったり。沖縄に到着したらしたで海では真由が水着を失くしたりと、散々なメにあったりもしたが。
このコース料理を食べられたことで、その全部が報われた気がした。
そんな感謝の気持ちを真由に伝えると。
「ああ……せんぱいからその言葉を聞けただけで、真由も満足、いえ……大満足です♡」
「お……おうっ?」
微笑み返す真由の表情に、なぜかオレはドキドキと胸が鳴り。オレの視線はいつもは気にしない彼女の開いた胸元や、笑顔を浮かべている唇にいってしまう。
おかしい。何だか意識がぽわっとする。
「それじゃせんぱい? 部屋に戻りま──」
「あら? もしかして、いえもしかしなくても……白鷺さんではございませんかァ?」
真由の言葉を遮るように現れ、真由に声をかけてきたのは。
オレたちと同じように食事を終えてレストランを出ようとした、一人の女性客だった。
「え? あ、あの……え、えっと?」
「五年ぶりになりますわァ、覚えてませんか? 私、銀城雪子ですわ」
一見すると、真由よりも歳上に思える容姿なのは化粧が濃いからなのだろう。まるで外国人のような白い髪を|某フランス革命が舞台の漫画に登場するお姫様のような縦ロールを決めた、いかにもお嬢様的な外見。
突然現れた真由の知り合いらしき女性客は、先程の満足げな笑顔からうって代わり困惑している真由の様子も気にせず。少々強引なペースで話し始めていた。
(それに……何だ? 真由の顔、知り合いにばったり会って驚いてるというか。どちらかと言えば、嫌がってるように見えるぞ)
そうだ。確か、銀城と名乗ったこの女性客は真由との接点を「五年前だ」と言ったじゃないか。
ということは……真由が小学生の頃だ。
オレが真由と顔を合わせたのが中学の時なので、小学生時代の真由に何があったのか詳しくは知らないが。
中学の頃の真由は、誰にも心を開かない無口な性格だったのを思い出す。ということは、小学生の時に何か真由の心を閉ざすようなイベントがあったのかもしれない。
(銀城? 銀城って……どこかで聞いたことがあるんだよなぁ……あ!)
それに、オレは銀城という言葉に思い当たる節があった。外食チェーンやアミューズメントパークなどの施設を多角経営する大企業グループの名前が確か、銀城だったはずだ。
まさかその銀城グループのお嬢様と真由が同級生で、この『ブラウ・エトワール』で出会う偶然などあるのかと一瞬思ったが。
飛行機やこのホテルのスイートを確保できる真由ならば、あり得ない話でもないのだろう。




