35話 二つの星が彩るディナー
気がつけば、エスコートしているはずのオレが真由に連れられるカタチで入店していき。
ウェイトレスらしき格好いいスーツを着た女性に案内され、恐縮しながら真由と対面となったテーブル席へと座る。
(確か、ブラウ・エトワールとか言ってたな……この店。お、落ち着かねえぇぇぇぇ……)
何しろ、いつもオレが通っている『天天』をはじめとした料理店や外食チェーンの店とは明らかに雰囲気が違う。
店内で流れる音楽は、スピーカーからではなく店中央のピアノの生演奏だったりするし。オレたち二人以外の男性客は皆、スーツにネクタイといった正装をしていたからだ。
「もう、そんなに緊張しないでも大丈夫ですよ、せんぱいってば」
真由がそう声をかけてくるくらい、今のオレはガッチガチに緊張しているのだろう。
だけど、家が裕福な真由ならいざ知らず、こんな場違いすぎる空気に固まらないほどオレは強心臓の持ち主ではなかった。
「え、えっと……め、メニューはっと」
右を見ても、左を見ても、どうにも落ち着かない店内だったので。ひとまずはメニューを眺めるフリをしておけば緊張し引きつった顔も隠せるし、一石二鳥だと思ったのだが。
テーブルの上を見ても、横を見ても、どこを探してもメニューらしき冊子がない。
その様子を見た、先程オレたちを席へ案内してくれたウェイトレスのお姉さんが。
「白鷺様。今夜はコース料理のみの提供となっております。一品料理のご提供はまた後日、お越し下さいませ」
「あ、は、はいっ」
どうやら夕食に出されるのは、あらかじめ決まっている料理を提供されるようで。オレが普段から見知っている、こちらが注文するスタイルではないようだ。
ウェイトレスのお姉さんに指摘を受けて、肩を縮めるオレだが、それは気恥ずかしさからだけではない。
(ど……どうするよ、オレ?)
メニューに逃げるという手段が封じられ、手詰まりになったからだ。
周囲が気になり始めると、明らかに他の客層とは年齢も雰囲気も、そして服装すら違うオレは悪目立ちしているのではないかと思い。
『何だ、あのみずぼらしい格好の男は』
『まだ高校生だと? ここに来るのは十年ほど早いのではないかね』
『まったく、料理の味が損なわれるというものだ』
……などと見られてるのではないか、という被害妄想を徐々にふくらませていってしまうオレは。
しまいには、何もしてないのに膝を上下にカクカクと震わせていた。よく言う「貧乏揺すり」というヤツだ。
緊張が高まりすぎてオレは頭が真っ白になり、冷静さを失いそうになっていた。
そんな精神状態のオレを呼び戻す声がする。
「せーんぱい?」
「ま、真由……」
真由が声をかけてくれたおかげで、間一髪オレは冷静さを取り戻すことができた。
もし、あと一分……いや三〇秒、真由が声をかけてくれるのが遅れたなら、もしかしたらオレは緊張感に耐えられずに席を立って店から一目散に逃げ出していたかもしれない。
「まずはこれでも飲んで、少し落ち着いて下さい」
「お、おい。コレって……?」
いつの間にオレの前に置かれていたのは、ワイングラスに三分の一ほど注がれた赤い液体であった。
横を見ると、先程声をかけてくれたウェイトレスのお姉さんとは別の男性が、蓋を開けた高そうなワイン瓶を持って立っていた。
だが、いくら落ち着けと言われても、だ。
未成年での飲酒はさすがにマズい。
「な、なあ……さすがにワインは酒だろ? オレら、まだ高校生だし、こいつはダメだろ……」
オレはワインの入ったグラスを遠ざけることで、飲まないという意思表示を見せたつもりだったが。
真由は握った手で唇を隠すような仕草で、笑いを押し殺しながら。
「うふふ、そこは真由も当然ながらわきまえてますっ。それはワインじゃなく、純度一〇〇%の高級ブドウジュースですよ」
「じゅ、ジュースだったのかよっ? お、おいおい……驚かせやがって」
ジュース、と聞いてホッと一安心したオレは、緊張して喉が乾いていたこともあり、一度は離したグラスを指で摘むと。
クイッと口に赤いブドウジュースを流し込んでいく。
「う、うまっ!」
飲んだジュースの味に驚いてしまい、思わず声をあげてしまう。
何しろ、スーパーで売ってる果汁一〇〇%のブドウジュースは何度か飲んだことがあったが。そのどれよりも味が濃く、甘酸っぱくて美味しかったのだ。
「ぷはあっ!……い、一気に飲んじまったっ」
「ふふ、せんぱいのお口に合ったようで何よりです♡」
空になったグラスに、横に瓶を持って控えていたウェイターの男性がコポコポとおかわりのブドウジュースを注いでくれる。
「本当は、お酒を用意してもよかったんですけど。せんぱいはきっと、今みたいな反応して飲んでくれないと思いましたから」
「そ、そりゃ当然だろ? オレらまだ高校生なんだから飲酒なんてダメだろっ」
「えー」
飲酒は二〇歳から。と生真面目な建前を口にしてみたが。
今時の高校生は文化祭の打ち上げやら何やらで一度や二度くらいなら酒を飲んだことはあるだろう。
かく言うオレも、中学生の頃に父親が飲んでいたビールをこっそりとコップ一杯飲み干したことがあったが。すっかりベロベロに酔っ払ったのは忘れられない記憶だったりする。
要するにオレは、アルコールに弱いのだ。
(ビール一杯で結構マズいのに、ワインのアルコール度数って確か……ビールより高かったよなあ?)
とにかく、グラスに注がれた飲み物がワインでなくてよかった。
安心していたオレの前に、席に案内してくれたウェイトレスのお姉さんが料理の乗った皿を置いてくれる。
「こちら、前菜のサーモンと枝豆のテリーヌ。シークワサーソース添えとなります」
そう紹介された料理は、皿の上に四角く固められたゼリー寄せのような、名前を聞いてもよくわからない代物だった。
味は間違いなくウマい。ウマいのだが。
何しろ、テリーヌとかシークワサーとか今まで一度も触れたことのない単語が並んでいたのだ。かろうじて「これがサーモンか」とわかる程度だった。
「本日のスープは島にんじんのスープに海ブドウを添えてあります。二口目以降、ご一緒にどうぞ」
次に運ばれてきたのは、にんじんのスープらしくてっきり濃いオレンジ色を想像していたのだが。
スープ皿の中身には、ほのかにオレンジ色……と言えばそうだが、ほぼ黄色がかったクリーム色なのにオレは驚いてしまった。
それに……海ブドウと聞いて、最初はフルーツなのかと思ったが。スープの上に添えてあったのは緑色のプチプチと塩味の粒が無数についたものだった。
にんじんの風味が濃く甘いスープに、プチプチと海ブドウが口で弾けて広がる塩味がたまらない。
「せんぱい。このスープに使われてる島にんじんも海ブドウも、全部沖縄で採れる食材なんですよ?」
「へえ……フレンチなのに、日本の食材使って作れるもんなんだなあ」
フランス料理の知識がないオレは、てっきりフランスの食材を使ってるものだと思っていたので。
真由のコース料理のテーマを聞いて、オレは素直に感心してうんうんとうなずいてスープをスプーンですくい、口に含んで味わっていると。
真由が自分の料理には手をつけずに、じっとオレが料理を堪能してるのを眺めていたのに気づいた。
「ん? どうした、真由。そんなニヤニヤしながらずっとこっち見て」
「えへへ、さすがは人気ホテルだけあって予約を割り込ませるのは大変でしたが……そんな美味しそうに食べるせんぱいが見られたのなら、苦労してよかったです♡」
オレの顔を見てることを指摘された真由が、不意に見せた笑顔。
ただでさえ、学園での男子人気では一、二を争う可愛らしい容姿に加え。普段のツインテールという幼さを感じさせる髪型ではなく、髪を下ろしているのが妙に大人っぽさを感じてしまい。
「な……な、なっ!?」
ドキリ、とオレの胸が高鳴ってしまう。




