29話 白と黒、相撃つ
オレの背後から、冷たい視線を感じる。
灼熱の太陽がこれほどに降り注いでるのに、オレの背筋は今、売店で売ってるカキ氷ほどに冷たかったりする。
当然、背後に誰がいるかの大体の予想はできているのだが、怖くて振り向けない。振り向けるワケがない。
「どうしたんですか、せ・ん・ぱ・い?」
オレが振り向くのを躊躇っていると、背後に現れた人物がこちらに声をかけてくる。
甘ったるい声でオレを「せんぱい」呼びする人間など、沖縄にただ一人しかいないだろう。
「あれえ?……真由を待っててくれなかったばかりか、何で杏里ちゃんと一緒にいたりするんですかあ?」
相変わらずの明るい口調の真由の声だったが、声の中には怒っている時のトーンが明らかに混じっていた。
しかも、である。
きっちり隣にいる黒咲まで、見つけられてしまっていた。
こうなってはもう言い逃れは無意味、いや逆効果になると思い。意を決してオレは背後にいる真由へと振り向く。
まるで錆びたネジのようにたどたどしく。
「い……いや、こ、コレは違うんだよ真由ちゃん?」
「へえ。何が違うんですかあ、せんぱい?」
すると、やはり背後にいた真由が笑顔を浮かべたまま。オレとの距離を一気に詰めて、真正面にまで迫ってきたのだ。
笑顔、とはいうが。腹の内側は笑っているようには到底思えない威圧感を出していた真由の笑顔からは。
(──説明してくれませんか、この野郎)
笑顔にもかかわらず、真由から発せられる尋常でない雰囲気は。
まさにそう物語っているように思えてならなかった。少なくともオレの頭には真由の台詞が聞こえてきた。
だが、そうは言っても。
オレだって別に黒咲と何らやましいことなどしてはいないのだから。真由には「偶然サンダルを借りた」と言えばよかったのだが。
突然、横にいた黒咲が口を開こうとしていたオレの腕に自分の腕を絡めてきたかと思えば。
自分のほうへとオレの身体を引き寄せ、間近に迫ってきた真由から距離を空けさせると。
「……やめてくれないか真由? 景君がこんなに怖がっているじゃないか」
オレの代わりに真由の矢面に立ち塞がり、こちらへと向けてきた威圧感を受け止めていくのだ。
こんな状況でなければ、黒咲の行動は「助かる」と言って差し支えないのだけど。
「杏里ちゃんこそっ、真由が着替えで離れた隙にせんぱいを取らないでくれませんかっ?」
そもそも真由が怒っている理由は、オレがビーチで見つからなかったからではなく。自分を放置して黒咲と話していたからなのだろう。
そんな状況下で、黒咲がオレの代わりに説明するのは。怒った真由に火に油を注ぐ行為なのではないか。
だからオレは、なけなしの勇気を振り絞って真由と黒咲、二人の間に割り込んで事を穏便に収めようとした。
「お、おい、二人とも。せっかくの沖縄なんだし、黒咲とも合流できたんだ、三人で楽しく遊ばない──」
「景君。ここは少し黙っていてくれないか」
「せんぱい、部屋に戻ったら……ゆっくりじっくりたっぷり、話を聞かせてもらいますね♥」
ダメだった。
二人の迫力に気圧され、早々に説得を諦める。
「……はい」
停学騒動で二人に釘を刺してからここ最近は見なかったが、登校や昼ご飯、そして下校時とひっきりなしにちょっかいをかけてきていた頃は最早定番となっていた黒咲と真由の口喧嘩。
まさか、沖縄に来てまで見ることになろうとは。
「というか、杏里ちゃん……」
黒咲に掴まれていた右腕とは反対側に回った真由が、左腕にしがみついてくる。
「う、うおっ?」
そういえば、先程ホテル前でのやりとりでチラッと見てしまったが。
真由の矛先がオレから黒咲に移ったということもあり、客観的な視点で横に並んだ真由の水着姿をあらためて確認していくと。
(せ……攻めてきたなぁ、真由の水着っ)
幼い雰囲気のある真由のイメージにはない、真紅という扇情的な色のビキニに着替えていた。しかも胸を覆う布地の面積も、黒咲に比べてだいぶ少ない。
「せんぱいはっ、真由と二人っきりで沖縄の海を満喫しにきたんですからっ。せんぱいは真由に任せて、杏里ちゃんは安心して剣道部の合宿を頑張ってくださいねっ!」
そんな露出度の高い胸をオレの左腕に押し付けながら、ぐいぐいと自分のほうへとオレの身体を引っ張っていく真由。
チラッと黒咲の顔と胸に視線を移して、勝ち誇ったような、馬鹿にしたような笑顔を浮かべていた。
「……ぐぬぬ」
そんな真由の態度に歯ぎしりして、あからさまに悔しがる黒咲。
すると、終業式の日の帰り道でもそうだったように勝負事となるとすぐムキになる黒咲はオレを右側へと引っ張り返しながら。
「あいにくと私は現在他の部員らとは別メニューで大会の調整中でな。言わば、全国大会で強敵を下し今度こそ優勝するためにも、景君とのスキンシップは必要不可欠というわけだっ」
「お、オレは黒咲のせ、精神安定剤か何かかよっ?」
左右から身体を引っ張られるだけでもキツいのに。
しかも間に挟まれながら、身体を引っ張り合ってる当事者同士が言い争いをしているのだ。
「あれ? つれないなあ景君。さっきみたいに私のことは杏里、と親しみを込めて呼んでくれないかい?」
「な? ななな……名前で呼んだんですかっせんぱいっ、杏里ちゃんをっ?」
「い、いやそれはっ、まあ呼んだっちゃ呼んだけど……っ」
真由の矛先がこちらに向けられ、左腕を胸で挟まれたまま身体をぶんぶんと揺すられる。
確かに八年もの間、ずっと「黒咲」と呼んできたその呼び方を変える、というのはオレと黒咲の関係に影響を与えたのは間違いないが。
(何で真由がそのことを気にしてるんだ?)
と、不思議に思いながらも。
二人の、いつもながら不毛な言い争いはまだまだ終わりそうになかった。
お次もどうやら黒咲のターンのようで、下の名前でオレに呼ばれた事実が効果的だった真由に、さらなる精神的打撃を与えるために口にしたのは──
「それにだ。大体、全然泳げない真由が、どうやったら景君と一緒に沖縄の海を堪能できるというんだ?」
「……え?」
「な、なんですかっせんぱいっ」
真由が、泳げない?
先にも言ったが、学年の違う真由とはプールで泳ぐ機会がなかったため、泳げるかどうかを知る機会はなかったのだが。
沖縄といえば大半の人間が青い海をまず真っ先に連想するものだ。そんな沖縄に真由から誘ってきたのだから、泳げないなんて心配は一切していなかった。
「ま、真由にだって……得手不得手くらいはありますっっ」
そういえば。
ホテルに到着して、オレが早速「海で泳ごう」と提案したのに、真由はあまり乗り気でなかった様子だったが。
泳げない、となればその反応も納得だ。
「ま、真由、その、ごめんな。真由が泳げないっての知ってたら、事前にプール行って練習とかできたのにな」
「い、いえせんぱいっ……べ、別に浮き輪使えばせんぱいにはついていけますから、それに──」
泳げないのに半ば無理やり海に連れてきてしまったことを真由に謝ると、真由もまた頭をぺこりと下げて。
二人で頭をぺこぺこと何度も下げあっていたが。
「旅行に誘ってよかったと思ってますよ、真由は。だって……せんぱいの初めてのキス、貰っちゃったんですから、えへっ♡」
突然、顔を上げた真由が発した言葉は。
オレではなく、右腕を掴んでいた黒咲へと向けた挑発だった。
「──な、い、今……なんと言ったっっ?」
いや、挑発という表現は生温いかもしれない。
最早、戦線布告と呼んだほうがよいのだろう。
下の名前で呼ばれ、真由が泳げない事を暴露して勝利を確信していた黒咲の表情が一瞬で撃沈した。




