26話 天使と悪魔
──夏の海。
強烈な太陽が照りつける暑さと、解放的な服装の男女が戯れる別世界。
しかもここは、普段過ごしている街の市民プールでも学校のプールでもない。沖縄の海なのだ。
オレたちが入ってきた正面の玄関口ではない海側からホテルを出ると、ビーチに直結しているという用意周到ぶりだったりする。
さすがに砂浜はホテル利用客が独占、というわけにはいかなかったが。周囲を見渡してみると、何組もの男女が白い砂浜の波打ち際で水をかけあったり、ビーチボールで遊んでいた。
「もう、何よそ見してるんですかせんぱいっ?」
すると、横に並んで歩いていた真由が脇腹をコツンと軽く叩いてくる。
「いや……いきなり泳ぐってのも何だから、まずは真由と何をして遊ぼうかな、って目星をつけてただけなんだが」
「ふーん、そうですか……」
これは正直な気持ちだったりする。
もし、飛行機のファーストクラスや『伏魔殿』まで用意してきた真由に、このまま行き先なんかを任せていたら。
……きっと豪華クルーズで、とかスカイダイビングなんてオレみたいな一学生では到底用意できないものを予定するに違いない。
そうじゃない、そうじゃなくって。
オレはただ、沖縄のキレイな海を思う存分に堪能したいだけなんだ。
なのに、横にいる真由は不機嫌の時に見せる眉間にシワを寄せた表情をしながら、オレを半目開きでじーっと見てくる。
「にしては。水着の女性を見てた時のせんぱいの表情、だいぶニヤけてた気がするんですが」
「……ぶっ⁉︎」
「あれ? せんぱいってば、図星でしたか」
ジト目で見られていた理由を本人から説明され、オレは慌てて否定する。
いや、本当の事だったらオレだって健全な男子高校生だ、あえて否定する気もないが。
「い、いやっ、見てない見てないっ、それは冤罪ってやつだぞ、それに──」
「それに?」
それに、オレと真由とは決して恋人関係などではないが。それでも真由がオレに好意を持っているのは、車内での初めてのキスで嫌でも知ってしまっている。
そんな状況でなお、真由以外の女性の水着に鼻を伸ばす、というのは男としてどうかと思う。
少なくとも、真由を「大切な友人」だと思っているオレは。
「とりあえず今は真由と一緒だからな」
「──っっっ?」
すると、さっきまでのジト目ではなく途端に下を向きながら、うわずった声でオレに何と言ったかをもう一度尋ねてくる。
「せ、せんぱいっ……い、今なんて」
「い、いやだから、隣に真由を連れて歩いてるのに、他の女性を見るわけない……って言いたかっただけ、なんだが」
顔を伏せるほど気分を害してしまったのか、と思ったオレは。同じ言葉を復唱するのではなく、懇切丁寧に真由にオレの気持ちを説明していくと。
「もう……せんぱいったら」
顔をうつむいたまま、ボソリと小声で真由が何かを言ったのはわかったが。あまりに小声すぎて内容までは聞き取れなかった。
「え? な、何か言ったか、真由?」
「いえ、何でもありませんっ……ええ、なんでもないですよ。せんぱいっ♡」
顔を上げた真由は、何があったのか先程までの不機嫌さが一転して、踊るようなステップで二、三度回転しながらオレの隣を離れ。
オレの正面に立つと、これ以上ないくらいの満面の笑顔を浮かべていた。
(な、何が起きたんだよ一体っ???)
真由の誤解が解けたのは何よりだったが。
狐に化かされたような、何ともモヤモヤとした気持ちになりながら。
「じゃあ、他の女の水着なんかに見惚れなかったせんぱいには……真由からご褒美をあげちゃいますっ」
「な、何だよご褒美ってのは?」
「うふふっ、そ・れ・はっ。ビーチに着いてからのお楽しみってことで」
オレはすっかり上機嫌になった真由に手を引かれ、ビーチへと到着すると。
「それでは……せんぱいへのご褒美は、じゃじゃーん、これですっ♡」
何かオレにご褒美なるモノをくれる、と言っていた真由が突然、自分が着ている洋服のボタンを外していく。
(お、おいっ? いくら何でもこんな人前でっ!)
慌てたオレはいきなり目の前で洋服を脱ぎ始めた真由を止めようとする……が。
ボタンを外す彼女の指が、胸に差しかかった途端にゴクリと唾を飲み、制止しようとするのをためらってしまう。
(な、何考えてるんだオレっ? 真由は妹みたいな存在だぞ、しかもこんな人前で……いかん、止めないと!)
オレの心の中の天使が正論を並べるのだが。
一方で、心の悪魔はこうもささやく。
(ご褒美なんだから素直に見ちゃおうぜ。だってよ……真由の胸のサイズ知ってるか? HだぜHカップ!)
そう、一四○センチと高校生にしても小柄な身長の真由は、やや童顔なのもあり、それだけなら幼い印象を持たれるのだが。
こう言ってはなんだが、成長がすべて胸に集中したかのような破壊的な胸のサイズを真由はしていたのだ。
そのサイズ、実にHカップ。
少しばかり例外もあるが、女性のバストサイズというのは底辺部と頭頂部の差で決まる。
底辺部は腰回りから十数センチ太くなるのが一般的で、そこからさらに八段階大きくなったのが真由のHカップという胸のサイズである。
最近は成長率が大きくなったと言われている日本人でも、Hカップは平均を大きく上回る。
幼く可愛らしい雰囲気にアンバランスな、破壊力抜群の巨乳を備えた真由は。
その特徴ゆえにオレが通う学園内で、ほぼ満票で生徒会長に選出された完璧超人・黒咲杏里と人気を二分する存在だったりする。
だからオレは一瞬だけ悪魔の誘惑に負けて、真由の胸をじっと見てしまったが。
すぐに心の天使が悪魔に正義の一撃を食らわせ、正気を取り戻したオレは真由の手首を握り、ボタンを外すのを止める。
いくらキスをしたからといって、オレは真由にそこまで許したわけじゃない。
「な、何がご褒美だよっ、何考えてやがるんだ……こんなとこでっ!」
ならばホテルの部屋に戻ってからならいいのか、という話でもないが。
だが、手首を握られた真由はニンマリと小悪魔的な笑みをオレへ向けると。
「……もう、せんぱいってば。何を勘違いしてるのか知りませんが、真由だって人前で裸になろうとする変態さんじゃないですって」
「じゃ、じゃあどういうコトだよ一体っ! げ、現にボタン外して服脱いでたじゃ──」
さすがに言い逃れできない状況で、真由を問い詰めていくオレだったが。
真由はオレに掴まれていないもう片方の手で器用に胸のボタンを外し、着ていた服をはだけていくと。
「う、うおっば、馬鹿っ?」
オレはとっさに掴んでいた手を離して、両手で自分の両目をおおい、はだけた胸を見ないようにした……が。
かすかな指同士の隙間から見えたのは、下着と違った、真っ赤な布地に包まれた豊かな胸だったのだ。
「え? あれ……そ、それは、もしかして……水着?」
どことなくホッとしたような、それでいて少し落胆したような声を出すオレ。
そんなオレの反応を、不思議そうに見ている真由。
「あれ? さっき部屋で言いませんでしたっけ? 真由も服の下に水着を着込んできてたって」
「──あ」
言われれば。確かに部屋を出る前のやり取りでそんなことを言っていたのを、今さらながらにオレは思い出す。
真由に妙な疑いをかけられ、それを晴らすのに必死になって頭の中からすっかり吹っ飛んでしまっていた。
とんでもない勘違いに恥ずかしくなり、オレはもう真由の顔を見れず、顔を背けてしまうが。
「なんですかーせんぱい? もしかして、真由の胸が見たかったんですか?」
「ば、馬鹿っ、な、何でそうなるんだよっ!」
「そうですか、それは残念です」
すると、真由の手がオレが着ていたTシャツの裾をグイと掴んで、その勢いで頭を下げられていき。
「──せんぱいに、なら。言ってくれたらいつでも見せてあげますから、胸くらい♡」
背伸びをしながら顔を寄せてきた真由が、耳元でそうささやき。
最後に、小悪魔的な笑みを浮かべながら、フゥと耳に息を吹きかけてきたのだった。
「──ま、真由っっ!」
「あはははっ、せんぱいが怒ったーっ♡」




