22話 初めての、ちゅう
「……イヤ、だったんです」
そう言うと、目線を外して真由はポツリと口にしたのだった。
「何が嫌だったんだよ、真由?」
「決まってるじゃないですか……せんぱいに断られるのがです」
「断る、だなんて、そんなワケ……」
「今、普通に言い淀みましたよね」
……まあ、そりゃ。
近所のファミレスや、県を跨いで遊園地に行くのとはワケが違う。
沖縄なんて国内でも一、二を争う高級リゾート地に突然、旅行へなどと言われたら誰だって尻込みするだろう。
ましてや裕福な真由とは違い、オレはごく平凡な中流家庭に生まれた男子高校生なのだ。
いくら真由が飛行機のチケット代や宿泊先までお任せと言われたところで「はい、そうですか」と納得出来るわけがない。
一応、今回の旅行にかかった費用は後で真由か彼女の両親に支払うつもりだが。
(飛行機のチケットはともかく、とんでもなく高級なホテルとかだったらどうするか……)
両親の事故死で生命保険が入ったとはいえ、その金はオレが生活する上での貴重な財産だ。
しかもつい最近まで両親が死んだと腑抜けていたオレだ。バイトなんてものは一切してない以上、支払える金額にも限界がある。
「真由はただ……せんぱいと照りつける太陽の下で、沖縄の海を楽しみたかっただけです。せっかく今日という日のために、水着も新調してきましたのにっ……」
そう言われても、である。
いくらなんでも、オレと真由は交際しているワケじゃない。
まだ付き合ってもいない男女が二人っきりで沖縄に旅行し、開放的な気分になるのはオレには抵抗があった。
そんなワケから、真由への返事をためらったのだけど。
「……不満なら、まだありますよ」
気づけば、どうやら真由は心底不満な様子でオレを睨んでいた。
「せんぱい、杏里ちゃんが一緒に来るって知ってから『旅行に行く』って言ってくれましたね」
「あ、ああ、そうだけど」
オレだって健全な男子高校生だ。沖縄という開放的な場所にいれば、妙な気持ちになって真由との距離を縮めそうになってしまうかもしれない。
白鷺真由という女の子は、普段は妹として接しているオレですら、時には異性を意識してしまうほどの魅力的で、しかも悪魔的な女の子なのだ。
「せんぱいは……真由と二人だと返事を渋りましたが、杏里ちゃんの名前を聞いてすぐに返事をしました……行く、って」
だからこそ真由と黒咲、仲の良い二人が一緒に行動していれば。
二人のどちらかにオレが邪な手を伸ばそうとしても、もう片方がオレを止めてくれるに違いない。
そういう理由で「黒咲が参加する」と聞いた時、少しホッとして旅行の誘いについうなずいてしまったのだけど。
「それってつまり、真由と一緒にいるよりも、杏里ちゃんがいるほうがいいんだ……って思うと、何か悔しくなって……」
どうやら真由は、オレが旅行に参加したのは黒咲が目当てであって、自分は眼中にないのだ、と勘違いしているみたいで。
それが真由の中では余程屈辱だったのだろう、下を向いたままの真由の目には涙が浮かんでいた。
だが、そんな盛大な勘違いを真由の口から聞いたオレは。
「い、いやいやいや! ち、違うぞ真由っ、それは大きな勘違いだっ?」
「真由の、勘違い……なんですか?」
「ああ、か、勘違いにもほどがあるぞっ!」
大袈裟だが、顔の前でオレは手をバタバタと振って真由の勘違いを否定していく。
勘違い、とオレが言ったことで一目で落ち込んでいるとわかる真由の表情に晴れやかさが戻っていく。
「だ、大体だな、オレと黒咲はあくまで幼馴染ってだけで……真由が勘違いするような関係じゃないからなっ」
真由に疑われたから、というワケじゃないが。そばで見ていた真由にまで勘違いをされてしまうくらい距離が近しい黒咲との関係を、オレは明確に否定しておく。
黒咲とは小学生からの腐れ縁が続いているものの、文武両道で見た目も美人な黒咲には、もっと彼女に相応しい男がいるハズだ。
今、こうしてオレを気に掛けてくれているのは真由同様、両親を亡くしたことへの同情なのだろうから。
(……同情を恋愛だと勘違いして舞い上がってフラれるのが一番キツいし、格好悪いもんな)
「そう……ですか」
そんなオレの言葉を聞いた真由がスッと動くと、こちらの手をギュッと両手で握りしめてくる。
「お、おい、ちょ、ま、真由?」
「じゃあ、まだ真由にも勝ち目は充分にあるってコトですもんねっ♡」
「か、勝ち目? 勝ち目って一体何の勝負のだよっ?」
「それはぁ──」
急に女の子に手を握られてドキッとし、焦るオレに顔を急接近させてくる真由。
思わず後ろへ逃げようとしたが、ここは狭い車内。いくら高級車だからとは言っても迫ってくる真由から遠ざかるほどの空間の余裕はなく。
真由の唇がオレの唇に重なる。
柔らかい唇の感触と、真由から薫ってくる何とも高級感のあるいい香り。
一瞬、何が起きたのか頭の回転がピタリと停止してしまう。
「つまり、こういうことですよ。せんぱい♡」
唖然としていたオレの頬を、顔を離していく真由が指で触れる感触でオレは我に返る。
「な、な、ななな……っ!」
と同時に頭が動き出すと。真由がオレに何をしてくれやがったのかを理解してしまい、一気に耳まで顔が熱くなる。
「あれ? もしかしてぇせんぱい……今のがファーストキスでしたか?」
「そ、そ、そんなワケっ……」
真由の指摘は、まさに図星だったりする。
黒咲や真由がいつもそばにいるから、この話をすると周囲には意外な顔をされるのだが。
自慢じゃないが「彼女いない歴=年齢」なオレは、高校二年生にもなるのにキスはおろかデートの経験も皆無だったりする。
決して女の子に興味がないワケではないが、自分が気になった女の子はオレを嫌ってきたり、学期が変わると転校していったり、といった感じだった。
すると、突然真由が耳元に顔を寄せてきたので。またちょっかいを出してくるのかと身構えてしまうオレだったが。
「……せんぱい。真由も、これがファーストキスだったんですから、おあいこですね♡」
「そ、それは真由から迫ってきたからっ──むむぅ?」
耳元で小声でささやいてまで真由に、ムキになって反論しようとするオレだったが。
そんなオレの唇を塞ぐように、真由の指が置かれると。
「だから……責任は取ってくださいね、せ・ん・ぱ・いっ♡」
息が感じるほどの間近で、屈託のない笑顔を向けられて、オレは口から出そうとしていた言葉を失ってしまう。
その時の真由の笑顔が、あまりに小悪魔じみていて、あまりに嬉しそうだったから。
もう何を言っても野暮に思えてしまったかだ。
真由はやたら嬉しそうな笑顔を浮かべたままご機嫌だったが。オレはどう接してよいのか、まともに真由の顔を見れないまま、車内は沈黙の空間が続いていたが。
どうやら空港に到着したらしく、オレたちの乗った高級車は駐車場ではなく、空港の入り口で停車する。
「──到着しました、お嬢様」
スマホを見ると、チケットにある出発時刻まではまだ三十分以上は余裕がある。
だが、真由に旅行用のキャリーケースを手渡す運転手さんはやけに焦っている様子だ。
「申し訳ございませんお嬢様、迂回路のない箇所で渋滞に捕まりまして」
「いえ、三十分前なら上出来です」
そうだよな。三十分も余裕があれば、あとは飛行機に搭乗するだけなんだからな。
……と思っていると。
車から降りた真由が荷物を持ったオレの手を引いて、空港へと早足で歩いていく。
まるで、何者かに追われているように。
「お、おい真由、ま、待て、何をそんなに急いでるんだっての?」
「何言ってるんですかせんぱい、手荷物検査があるからこれでもギリギリの時間だったりするんですよっ」
真由の説明によると。バスや電車、新幹線なんかは発車時刻ギリギリでも特に問題はないのだが。
飛行機に搭乗するには、チケットのチェックに手荷物を預け、手荷物検査を事前に済ませておかなきゃいけないらしい。
「真由がせんぱいのファーストキスを奪っちゃったんですから、責任はキチンと取りますよ。ほら、真由にしっかり着いてきて下さいね♡」
ぐいぐいとオレの手を引きながら、真由がまた小悪魔を思わせる笑顔を向け。
そんな事も知らなかったオレは、真由の手引きにより何とか無事、沖縄行きの飛行機に搭乗することが出来たのだった。




