1話 朝、災厄がやってくる
暗かった空が白じみはじめ、寝室の窓から陽の光が差し込んでくる。
朝が、やってきてしまった。
これから来る『災厄』に備えようとオレ、灰宮景は昨日の夜から一睡も出来ずに朝日を迎えてしまったが。
的確な答えはいまだ、出ないでいた。
「うおお……ど、どうしたらいいんだよオレっ?」
オレは普通の高校二年生だ。
当然ながら今はGWでも夏休みでも冬休みでもない。まだ六月は半ば。
支度を整えて学校へと登校しなくてはならない、平日の朝だ……本来であれば。
だが、『災厄』はまさに登校するための通学路にこそ待ち構えていたのだ。
「昨日も一昨日もその前も道を変えたけどダメだった……くそっ、まるでオレの頭が読まれてるかのように、だっ!」
当然ながら、オレだって馬鹿じゃない。
いつも歩いてる通学路を使わなければ、少なくとも学校まではオレを見つけられるわけがない……と高を括っていた。
だが、オレの発想をあざ笑うかのように『災厄』は違う道を使うオレをいとも簡単に捕捉し、確保してきやがったのだ。
何パターンも、何パターンも考えた。
枕元に転がっていたスマホで、学校近辺の地図を調べてもみたし。何なら逃走路を確保するために、部屋の隅にある学習机のの上にはオレがノートに書き出した地図にはびっしりと赤線が引いてあったりした。
全てはあの『災厄』から逃げ切るためだ。
だが、ダメだった。
オレの努力は無駄に終わることとなった。
一睡も出来なかったオレは、制服に着替える準備もせずベットに腰掛けながら、ただ頭を抱えていた。
「アイツらに少しでも悪意がありゃ、オレだって多少乱暴に振り払えるってのによお……」
そう、『災厄』というのは学園生活でよくあると言っても過言じゃない「いじめ」ではないのだ。
自慢するわけじゃないが、オレは格闘技をやっていたわけでも運動部に入っているわけでもないが。どういうわけか子供の頃から運動神経や腕っぷしは人並み以上なのと。
顔立ちも成績も可もなく不可もなく、といった感じだし。クラスの中でも変に目立ったり孤立したりという立ち位置ではない……と、少なくともオレは思っているためか。
幸運にも、いまだ「いじめ」の対象に選ばれたことはなかった。
むしろ「いじめ」だったほうがどれだけ解決が楽だっただろうか、そう考えていると。
ピンポ──ン♪
「な! え? な、何でこんな朝に呼び鈴がっ?」
突然の来客を告げる音にオレは驚いて、ベットから急いで立ち上がった。
そりゃ当たり前だ。
時計を見れば、時刻はまだ朝七時を過ぎたくらい。
こんな時間に来客とは。
「ったく……朝から誰だっつうの」
まだ寝間着代わりのTシャツに短パンだったため、慌てて昨日脱いだままの制服に着替えながら玄関へと向かっていたのだが。
「……ちょ、待てよ」
玄関を目の前にして、オレは立ち止まる。
この状況のあまりの不自然さに。
さっきも言ったが、今は朝の七時だ。
配達員や怪しい勧誘が動く時間じゃないし、郵便や新聞なら呼び鈴を鳴らさずにポストに放り込んで終わりだろう。
思い当たる来客といえば……
オレは息を殺して、なるべく足音を立てないように玄関へとは向かわず。
まずは居間にあるカメラから来客が何者なのかを確認すると。
「──やっぱり、アイツらかよ……」
カメラに映し出されていたのは、オレが通う高校の制服を着た二人の女の子だった。
一人は、腰まで垂らしたストレートの艶のある黒髪と、透き通るような白い肌が対照的な。凛とした印象を与える切れ目の美人だ。
……強いて問題を挙げるならば、美人すぎると言う点だ。読者モデルや芸能人だと言っても通用するレベルでの。
しかもオレと同じ二年生なのは、制服のリボンの色で判別出来る。うちの学校の女子の制服には胸に飾りリボンがあり、二年は青と決まっているからだ。
そしてもう一人は。見ようによっては金髪にも見える、薄い栗色の髪を左右で結っていわゆるツインテールの。しかも、くりくりとした大きな眼から、隣の美人より小柄な身長から愛らしい印象を受ける。
これまた下手なアイドルを遥かに凌駕する愛らしさと可愛さの容姿をしている彼女。
その制服のリボンの色からオレの一つ下、一年生だ。
……本来なら、朝に美人すぎる同級生と超絶可愛い後輩が登校の誘いをかけてきたなら。男として両手を振りかざしながら、もしくは自分の頬をつねり。自分の幸せを噛み締めるところなのだろう。
漫画やアニメ、ゲームで見ることのあるある朝の幸福に満ちた光景。
だがオレは二人の姿を見た途端、愕然とするしかなかった。
そう。
『災厄』が向こうからやってきたのだから。
「ど……どうする? どうするよ、オレっ?」
玄関の向こう側に待ち構えているのがあの二人ならば、オレから玄関を開けて「おはよう」とさわやかに声を掛けるなんてあり得ない。
もう学校に行ったことにして、居留守を決め込んでやろうと思った、その時だった。
ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン!
呼び鈴を押しても、玄関から出てこないことに苛立ったのか。
続けて三度、間髪入れずに呼び鈴が押される。
こちらが毎日のように頭をひねって通学路を変えても、一から十まで網羅し、行く先に立ち塞がってきた二人だ。
連続して呼び鈴を押しているのも、オレがまだ、家を出ていないのも既に知っているということなのだろう。
「じょ、冗談じゃねえぞ……っ」
だが、さすがに朝っぱらから自宅にまで押し掛けてくるというのはどうなんだ。
二人の行動力にドン引きし、二、三歩後ずさっていると。
ピンポン! ピンポン! ピンポン! ピンポン! ピンポン! ピンポン! ピンポン! ピンポン! ピンポン! ピンポン! ピンポン! ピンポン!
待っていたのは、鳴り止まない呼び鈴ラッシュだった。
「く、くそっ、うちの呼び鈴をモールス信号か何かと勘違いしやがってっ……」
あからさまに不機嫌な表情を浮かべながら、呼び鈴のボタンを連打していた黒髪の同級生。
「……いい加減観念して出てきたらどうだ、景」
もはやオレが出てくるまで押し続けるぞ、という無言の圧力に、恐怖を通り越して怒りすら覚えてしまったオレは。
制服のシャツのボタンも止めないまま、苛立つ感情のままに玄関へと向かうと。オレは玄関の扉を勢いよく開け放って、外で待っていた二人に怒鳴りつけてしまった。
「うるせえええええっっ! 朝からいい加減に──」
……のだが。
玄関から出てきたオレを見た二人の不機嫌そうな顔が、途端にほころび始め。
こちらへと、獲物が狙いを定めた肉食獣のような目線を向けてくると。
「景、君っ……」
「灰宮せんぱぁい……♡」
次の瞬間、二人はこちらに向かって凄まじい速度で飛びかかってきたのだ。
「や、ヤバっっ……ひいぃっ!」
この状況はマズい、と思い。一旦玄関の扉を閉めてやり過ごそうとするが、時すでに遅し。
「ふっ、逃がさんよ」
何処ぞのやり手迷惑セールスのごとく、扉の隙間につま先を差し込んで、閉められるのを防ぐ黒髪の同級生。
慌てて扉の向こうに身体を引っ込めようとするオレの首へと手を回して、小さな身体からは想像も出来ない力強さで玄関の外へとオレを引っ張りだす栗色の髪の後輩。
それはまるで事前に打ち合わせたかのような、二人の息の合ったコンビネーション。
「何で逃げるんですか灰宮せんぱいっ?」
「何で、じゃねえだろっ? とりあえず……その手を離してくれねえか、な? 真由ちゃんさあ……?」
とりあえずの時間稼ぎにと、オレはまだ接しやすそうな後輩を言いくるめようとするが。
「ダメですっ! 離したら最後、鍵掛けてせんぱいが出てこないかもしれないじゃないですかっ」
どうやらオレの希望はもろくも打ち砕かれる。
しかも、オレがまだ着替えもロクに終わっていないのを見かねた美人の同級生は。
「ふむ。このまま玄関で登校せずに三人でイチャついてるのも悪くはないが、とりあえずは景君の準備をしないといけないな」
「じゃあ真由はぁ、せんぱいを押さえておくねっ」
「お、おいっ勝手に入んじゃねえ黒咲っ!」
と、この混沌とした場を勝手に仕切りだし、家の主たるオレを外に放置したまま、無断で玄関から家の中に入っていきやがった。
……もちろん、オレの文句は無視だ。
こうして、今朝もオレの朝の安寧は破壊されたのだ。