18話 追いかけっこ
正直に言うならこの状況、今すぐに両脇の二人を振りほどいて家にダッシュで逃げ……帰りたかった。
だが、まるで黒咲と真由の二人は。人の心の内側を読む読心術でも持っているかのように。
オレの腕をガシッと掴んで離さないのだ。
「ねえ、せんぱぁい? やっぱり男の子だったら……好きになるなら巨乳なほうがイイですよねえ♡」
「い、いやあ……そ、それはどうだろうな、ひ、ひ人それぞれな、なんじゃないかなあ!」
特に左隣の真由は、一四〇センチという小さな背丈とまるでアンバランスな大きな胸を、オレの腕に押しつけながら。
上目遣いな目線でオレを見る、という。愛嬌のある真由ならではの武器をこれでもかっ、というくらい駆使しながら。オレを「巨乳支持派」へと誘惑してくる。
(くっ……だ、ダメだ! 誘惑に負けたら、そこで試合終了だぞっ、灰宮景っ!)
だがオレは、真由がしてきた数多の誘惑に耐え。何とか、二人のパワーバランスを均等に保つような受け答えに終始する。
オレの家の前まで来てしまえば、そこがゴール。それまで耐え切ることが出来ればオレの勝ちなのだから。
「むう……手強いですね、せんぱいっ……」
一方で、右隣の黒咲はというと。
こういう時には真由と張り合って口喧しくなるのが日常の恒例だというのに。
やはり胸のサイズの話題になると分が悪いからなのか、うつむきながら小声で話しかけてくる。
「なあ、私と景君……二人の関係には、胸の大きさなど些細な問題だとは、思わないかい?」
「え、えと……そ、そうだよな、く、黒咲とは、小学校からの付き合いだもんな」
と、オレが答えた途端に。
ニマリ……と勝ち誇ったようないやらしい笑みを浮かべて、オレではなく真由を見る。
「ふふ、聞いたか真由?」
「そ、それは……っ、く、くぅぅぅぅ……」
どうやら黒咲は、胸のサイズや愛嬌で不利な展開だったのを。オレとの関係の長さをアピールしてカバーしたのだ。
中学から転校してきた真由は、ドヤ顔を浮かべている黒咲に反論することができずに、悔しそうな顔をしていた。
「せ、せんぱぁい……ズルいですよぅ」
恨めしそうな目線をオレに向けてくる真由。
(うわ……こ、答えをしくじったか?)
慌ててオレはパワーバランスを均等にしようと、真由のフォローに回る。
「い、いや、オレは黒咲も真由もずっと一緒に過ごしてきたし、兄妹みたいなもんだと思ってるぞ」
カッチ────ン。
何故だか、周囲の空気が凍りついた音が聞こえたような気がした。
「……あ、あれ?」
小学生の頃からでも、中学からの関係でも差はないと言いたかったのだが。
オレがフォローの言葉を口にした途端に、二人が掴んだ腕を離して、表情を固まらせたままピタリと足を止めてしまったのだ。
「……きょ……きょうだい、か……」
「……い、妹扱いとか……あ、あんまりです」
どうやら落ち込んでる様子の二人だが。
「ん? 待てよ、これって今……チャンスなんじゃないのか?」
今のオレは、二人の固い束縛から解き放たれており。しかも自宅までは曲がり角が二度ほどあるが、距離はおよそ八〇〇メートルほどだ。
全力で走れば逃げきれるかもしれない。
まともに競争したら運動神経抜群な黒咲に勝てるかは謎だが、少なくともショックを受けてる今なら負ける気はしない。
(──やるか?)
決断は迅速に、だ。もたもたしていたら、二人もショックから立ち直って、またオレの両脇を掴んで離さないだろう。
そもそも二人の家はオレの家とは方向が違う。まだ黒咲の家はこの先に分岐点があるのだが、真由の家は学園を挟んでまったくの逆方向なのだ。
二人に両腕を掴まれたまま自宅までついて来られたら、下手したらその流れで家に上がられるかもしれない。
(そうなりゃ、夏休み初日から二人に付き合わされるハメになる……それだけは避けないと)
オレはこの場に二人を置いていくことにし、自宅へと駆け出したのだ。
「悪いな、二人とも。オレは束縛された幸せよりも、自由が欲しい高校二年生なんだっ!」
準備運動などはしなかったが、今のところは足は普通に動いている。
順調に走っていたオレは、一つ目の角を曲がろうとしていたのだったが。曲がり際にチラッと今走ってきた道を見ると。
「う、うおおっっ⁉︎」
背後から、目をギラつかせながらオレを追って猛烈な勢いで迫る黒咲の姿が見えた。
横に真由の姿がないのを見るに、走って追ってきてるのは黒咲一人のようだ。
「ヒドいじゃないか景君っ! 私のことをお姉ちゃんとしてしか見てない上に、この場に置いていこうとするなんてっ!」
「ひ、ひぃぃぃっ! ひ……ん、んん? お、お姉ちゃんっ?」
迫る黒咲の迫力に焦ったオレは、ペースを上げて二つ目の曲がり角まで全力で駆け抜けていく。
だが、後ろから追いかけてくる黒咲がしきりに自分のことを「お姉ちゃん」と呼んでいるのが何故か気になり。
「な、なあ黒咲っ、何でお前がオレのお姉ちゃんなんだよっ?」
やはり地力が違うのか、徐々に開いていた距離を縮めてきた黒咲に理由を問いかけてみると。
「そりゃ私と景君だったら、私のほうがお姉さん的立ち位置だろ?」
「は、はっ……じょ、冗談じゃねえっ、だ、大体、オレのほうが誕生日が先なんだぞっ!」
「はっはっは、なら尚の事だな。ほら景君、お姉ちゃんを受け止めてくれてもよいんだぞ?」
後ろから遅れてスタートしたくせに、息も切らさずに追いついてきた黒咲に比べて。
「はぁ、はぁ、く……くそっ……」
まだ半分の距離も走ってないのに、準備運動もせずに走り出したおかげで、オレはもう息が上がっていた。
高校に入学してすぐの運動能力測定では、短距離走のタイムはほぼ互角だったハズだが。やはり帰宅部のオレと女子剣道部で活動している体育会系の黒咲とではこれだけの差が出来てしまうワケだ。
このままじゃ家にたどり着く前に黒咲に捕まるのは時間の問題だ。
「さあ、愛しのお姉ちゃんが景君を捕まえてやるぞっ」
だが、オレに残された手がないわけではない。
──覚えているだろうか。
登下校の最中に待ち伏せしていた二人を避けるために、オレは自分の家の周囲の地理情報をくまなく頭へと叩き込んでおいたのを。
オレは現在地と自宅とを結ぶ、この最短距離のルートを捨てて、迂回ルートに入る一番近場の路地を思い出していく。
(確か……オレの記憶が正しければこの細道に入ればっ──)
隣を走る黒咲に気づかれないように。
オレは減速し、一旦黒咲に先を譲ったフリをして目当ての細い路地にスッと入っていく。
「ふぅ……どうやら上手く巻けたみたいだな」
先程まで走っていた通りから覗いても見えない位置まで移動してから、オレは息を落ち着かせるために立ち止まって。
背後の様子をうががってみるが、黒咲が引き続き追ってくる気配はない。
「さて、それじゃ黒咲に見つからないウチに……」
安心したオレはゆっくりと違う方向から細い路地を出て、迂回ルートで自宅へと帰ろうとしたのだが。
そんなオレの目の前に、白塗りの高級車が道を塞ぐように停まる。
「あ、危なっ? な、何だこの車は……?」
突然、道を塞がれて驚いていたオレの目の前で、高級車の窓が開くと。
「お疲れ様ですせんぱい。杏里ちゃんとの追いかけっこは楽しかったですか?」
なんと、高級車に乗っていたのは先程置いてきぼりにしたハズの真由の顔だった。
そういえばあまり実感はなかったが、真由はオレら三人が通う聖イグレット学園の理事長という立場でもある、正真正銘のお嬢様でもあったのだ。
そばにいると、つい忘れてしまいそうになるが。




