14話 歯痒い監視者
杏里のその言葉に、一瞬だけ真由はいつもの愛らしい表情ではなく。
まるで親の仇でも見るような凶悪な目付きと表情で、杏里を睨みつけた。
「ふぅん……真由は、今ここでどっちがせんぱいに相応しいか、決着をつけてもいいんだよ……杏里ちゃん?」
しかし、そんな目線を浴びせられた杏里は少しも動じることなく。真っ向から真由の視線を受け止める。
「ふ。普段の気色悪い猫撫で声よりも、そっちのお前のほうが私は気に入ってるのだがな」
二人の間に流れるのは、一触即発の空気。
もしこの場に、他の生徒が通りかかり二人を目撃したならば。まるで蛇に睨まれたカエルのように怯え、回れ右をして逃げ出すか。もしくはその場で腰を抜かしていただろう。
だが、幸いなことに。
杏里と真由はほとんど同時に、自分らの本来の目的を思い出し。昇降口へと視線を戻すと。
「そういえば、せんぱいはっ?」
「そうだ……け、景君っ!」
景を挟んだギャル二人は、既に靴を履き終えて校門辺りまで歩いていってしまっていた。当然、景を連れた状態のままで。
あと少し、互いが互いから視線を外さなかったら。三人は校門を出てしまっていただろう。
「ほら、モタモタするなっ……追うぞ、真由!」
「ま、待ってよ杏里ちゃん?」
杏里は早速、廊下の曲がり角から飛び出し。いまだ前屈みの体勢のままだった真由を叱咤し。
一足早く、校門に向かって走り出していた。
「危機一髪だった……校門を出られていたら、追跡は面倒な事になってたからな……」
先程の話から察するに、あの二人が景を連れて行く場所のおおよその予想はついている杏里だったが。
問題はその道中だ。大通りを素直に通ってくれれば発見するのは簡単だが。もし途中に裏道にでも入られてしまえば、駅前で三人を待ち構えるしかなくなる。
その場合、確かに杏里は景を見つけることが出来るかもしれないが。その逆、景に杏里が見つかってしまう危険も増加するのだ。
(景君の前に姿を晒すのは、あの二人が景君の尊い貞操を汚そうとした時だ)
三人が校門を出たのを見計らい、校門の影に身を潜める杏里。
その後ろから、はぁ、はぁと息を切らして走ってくるのは真由だった。
「ま、待ってよおっ、杏里ちゃん……はぁ、あ、脚っ、早いよお、っ……はぁ、はぁっ」
真由は、おっとりと舌足らずな喋り方と見た目とで、運動が苦手だと勘違いされがちだか。
実は、一年生の中でも上位に入る程の運動神経の持ち主だったりする。
普段から景を挟んで対立している杏里が、あまりにも規格外の運動神経を有しているだけなのだ。
どうにか息を整えようと必死になりながら、杏里に遅れて校門の物陰に隠れる真由。
景と矢野、そして高橋の三人は杏里が危惧していた裏道などに入っていく気配はなく。
駅前までの大通りを、矢野と高橋が両脇から景に密着する状況のまま、目的地であるカラオケまで歩いている。
まさか──背後から監視されてるなどとは微塵にも思わずに。
「邪魔してやりたいのは真由も同じだけど……今、せんぱいに見られたら」
「ああ、景君の性格だ。まず間違いなく高校在学中は口を聞いてもらえなくなるだろうな」
「うう……それは嫌だなあ……」
他人を尾行する事が含まれる職業の人間が、側から二人を見れば。ほほう、と感心したに違いない。
そのくらいに、距離や気配の消し方をほぼ完璧にこなす黒咲と真由の二人は。言葉を交わす時にだけ、互いの顔を近づけて小声で会話を続けていた。
息の合った二人、かと思わせれば。
「だから、真由はともかくだ。私は決して景君に発見されるわけにはいかない」
「ま、真由だってっ! いざというときは……杏里ちゃんを囮にしてでもっ」
「ほう……偶然だな。私も今、全く同じような事を考えていたぞ」
次の瞬間には、二人の視線の間にはバチバチと激しく火花が散ったかと錯覚するほどの緊張感。
黒咲も真由も、「景の安全確保」という目的が同じであるため一緒に行動してはいるが。最終的な目的ともなれば、二人が雌雄を決する運命なのは最早義務付けられていたのだから。
何しろ二人は、恋敵なのだから。
こうして。時に共闘し、時に睨みあいながら尾行を続けていると。
景に馴れ馴れしくも両脇から肩を組んだり、腕を絡めたりして歩いていた矢野と高橋、二人の足が。
とある建物の入り口の前で止まった。
◇
「ほら、ここだよここ。ウチらの根城っつーか、入り浸ってる店はさ」
「え?……こ、ここって」
景は不安がって周囲をキョロキョロと確認し始める。
無理もない、先程までは確かに人通りの絶えない駅前通りを歩いていたはずなのに。今、景が立っている通りの風景はガラリと一変してしまっていたからだ。
人通りはまばらどころか、通行人の姿は一人もなく。
今、目の前にある建物も駅前にあるにしてはあまりにもボロい、廃ビルのような雰囲気を醸し出している。
ギリギリ、看板の電飾が光っている事と、入り口の自動ドアで「廃墟ではない」とは理解出来たが。
「な、何だよ、ここ?」
「何だよって、そりゃ灰宮っ……カラオケボックスに決まってんだろ」
「ま、見た目的には貧民窟みたいだけんどよ。だから格安で使わせてもらえる、あたしら貧乏学生にとっちゃむしろ天国みたいな店さ」
……確かに。
自動ドアをくぐり、店内に入るとすぐに視界に入った料金表を見ると。『一時間・六〇円』という信じられない値段設定だったりした。
この辺りのカラオケの相場だと、安くても三〇〇円。高ければ五〇〇円以上の値段の店舗だっていくつかある。
どう見積もっても異常なくらいに……安い。
「どうもー今日は男連れです、きゃは♡」
「……部屋は二階の奥、二五番だよ」
しかも、どうやら二人は店の常連らしく。カウンターにいた店員に手を振ると、すぐに部屋の番号を教えてくれた。
「なぁにビビってんだよ灰宮っ、ほれ、部屋にレッツゴー」
店の中に入ってから、両脇にいた矢野と高橋、二人のボディタッチはさらにエスカレートしてくる。
「ちょ……そんなにくっつくなよ!」
「何? 灰宮っては草食系なん? 矢野っちはともかく……アタシ意外に胸あるんだぜ?」
二階に行くためのエレベーターは三人で乗り込むと息苦しくなる程の狭さだったのだが。その狭さを逆手に取り、二人は身体をオレの腕や身体に押し付けてきたのだ。




