13話 灰宮景の再評価
時が経つのは早いもので。
六時限目の終了を告げるチャイムが鳴り渡る。
「お。もう放課後かぁ」
いつもだと放課後までが死ぬほど長く感じてしまうのに、なぜか今日に限っては。気がつけば本日の授業が終わっていたという奇妙な感覚。
(これも、休み時間や昼休みに一々あの二人が顔を出さなくなったおかげだぜ)
もちろん「あの二人」とは、厄介と干渉が過ぎた黒咲と真由のことだった。
そう、オレは。
つい先日に「絶交」という絶大なる威力を誇る切り札を使い、二人に必要以上の干渉をさせないと約束をさせたばかりだった。
二人との約束には当然、朝っぱらからウチへ寄り、オレを迎えに来ることも。
昼休みに弁当などの昼食を用意することも、急ぎの用事がない限り教室に顔を出さないこと等が含まれていた。
約束を破った場合は、二度と口を聞く気はない……事実上の絶交だ。
その脅しが効果抜群だったようで。
約束を交わした翌日、つまりは今日。オレの学校生活はあの二人に何ら邪魔されることもなく、実に伸び伸びと過ごせたというわけだ。
(そういや……学食で昼メシ食べたの、実は初めてだったんだよなあ)
両親が健在だった頃は、ごく一般的な家庭のように母親が弁当を用意してくれていたし。
両親が事故って他界してからは、あの二人の過干渉から逃げるように。毎日のように『天天』で昼飯を食べていたからだ。
おかげさまで、うちの学園の学食のメニューがあれほどまでに充実しているなんて全く知らなかった。
(まさか……コスモポリタンなんてメニュー、並んでるなんて)
ちなみに、コスモポリタンとはパスタ料理の一種で。
ケチャップ味のナポリタンと具材こそ同じでも、ホワイトソースを絡めて炒めたもので。
灰宮家では、ホワイトシチューの次の日は残り少ないシチューをパスタと絡めて、皿ごとオーブンで表面をカリカリに焼くコスモポリタンが定番だったが。
学食で食べたコスモポリタンは、ウチの味に迫るほどの美味さだったのだ。
しかも、驚いたのはその値段だ。
(それがまさか……三〇〇円とか)
おかげで、今のオレの財布はちょっとばかり余裕がある。
「寄り道、か。うーん……」
これまでは、学校が終わると同時に二人のうちどちらかがオレを教室にまで迎えに来て。嫌がるオレを強引に連れて、真っ直ぐに帰宅していたが。
あの約束が有効なうちは。帰りにいくら寄り道しようが、二人に見つかる事を一々怯えなくていいのだ。
どうせ家に帰っても一人だ。だったら、明日に支障がない程度に寄り道をしたっていいんじゃないか。
「問題は、どこに立ち寄るか……なんだよなあ」
しかし。思えば元より、学校帰りに寄り道をして遊ぶ、なんて思い切った行動を取った記憶がオレにはなかった。残念ながら。
趣味、と呼べるほど熱中するものもなく。衣服にも無頓着だったからか買い物に外出する機会も稀。
一昔前ならば友達同士で集まってワイワイ……なんて事も。最近はSNSやネットゲームで事足りてしまう。
どうしたものか、と教室を出てから。腕を組んで考え込み、下駄箱のある昇降口へと向かうオレだったが。
「おい灰宮っ、なーに難しい顔してんのさ」
そんなオレの肩を馴れ馴れしく叩いてきたのは、クラスメイトの矢野と高橋だった。
これまでに二人とは必要最低限の言葉を交わしたくらいで、大して親しい関係ではなかったはずだが。
どうやら停学を撤回させたのが、どういうわけかオレが黒咲と真由にガツンと言ったのがキッカケだったと広まり。
何故か、停学処分を解除された矢野と高橋に目をつけられてしまったみたいなのだ。
「い、いや、さ。どっかに遊びに行こうかな……って考えてたとこで」
「おっ! ちょうどいいじゃん、なあ園子?」
「そうねえミーナ、きっしっしっし」
突然、二人に声を掛けられたことで。反射的に振り向いて返事をしてしまったオレを見て。
何かを思いついたように、互いに顔を合わせて笑い出す矢野と高橋。
「じゃあさ、灰宮っ。これからあーし達と一緒にカラオケ行かね?」
「は? お、オレと?」
唐突な申し出に、オレはびっくりし声が裏返ってしまった。
そりゃオレだって、同級生とカラオケに行ったことくらいある、とそう思っていたが。
(いや……前回行ったのっていつだったっけ?)
思い返してみると、一番最後に行った記憶は。今年の三月、学年が上がりクラスがバラバラになる前に、と。クラス全員でカラオケに行ったのが最後だった気がする。
寄り道をしようと思いながらも、行き先が決まってなかったオレとしては。カラオケ、という発想はなかったため嬉しい提案なのだが。
問題は、二人が誘ってきたという事だ。
「ちょ、ちょっと待てよ。他に一緒に行くヤツは──」
「は? そりゃいるワケないじゃん、三人で行くんだし」
三人……ということは。
この場にいるのはオレと、矢野と高橋。その他に誰もカラオケには行かないというわけで。
つまりは、男はオレ一人ということだ。
「朝、言ったじゃん。『カラオケ行かないか?』って。善は急げっていうし、あーしらも今日たまたま空いてたからさー」
「そしたら今日は灰宮、あの二人と一緒じゃないじゃん? これはチャンス!と思ったんよね」
困惑するオレの右側には矢野、左には高橋が並び。馴れ馴れしく肩を組んでオレの身体を二人で挟み込む。
普段から接近してくる黒咲や真由とはまた違った、花のようなニオイがする。
(ゔ、うおっ?)
ウチの学園は自由な校風が売りとなっているだけあり、指定された制服を着用さえすれば。髪型や着崩しなどあまり煩くはない。
だからこそか二人の肌は少し小麦色に日焼けしており、矢野は金髪、高橋も髪に青のメッシュを入れたりと。周囲にある公立の高校なら間違いなく校則違反になりそうな外見だったりする。
「ちょ……待、っ?」
突然のカラオケの誘いもだったが、何よりも同級生の女子の身体がこんなに近付く事に不慣れだったためか。動揺で声が震えてしまうオレ。
「待たない待たない。ほら行くよー」
「早く行かないとサービスタイム終わっちゃうからね」
「ちょ、わかった! 行く、行くからせめて離れて歩いてくれよっ?」
結局は二人に挟まれた体勢のまま、お目当てのカラオケ店のある駅前まで強引に連れて行かれてしまうハメとなった。
◇
そんな景と、二人の同級生との会話とやり取りを。物陰に身を潜めながらその一部始終を見守る、二つの人影があった。
「……これは、由々しき事態だな」
当然、一人は生徒会長である黒咲杏里。
となればもう一つの人影の正体は、白鷺真由だ。
「な、何ですかあの二人っ、あんなに馴れ馴れしくっ……」
二人は、景に対する愛情と嫉妬が先走りすぎ。景の悪評を流した生徒を、生徒会長と理事長代行という立場を最大限に悪用し、停学処分にしたのだったが。
その事が景を激怒させ。絶交を回避する代償として、当分の間の接近を禁じられてしまったのだ。
だからこそ。物陰に身を隠しながら景を見守っていたのだが。
さすがにクラスメイトの女子二人が、馴れ馴れしく景に抱き付いた瞬間。
「む……この場に竹刀を持っていたら、飛び出して一撃を喰らわせていたかもしれないな」
「……許せない。真由のせんぱいにっ」
奥歯をギリッと噛み締める歯軋りの音が二人の口から同時に鳴る。
「景君がお前のモノ、という発言は聞き捨てならないが。今はそれを問題にしている場合ではないな」




