世界の分岐点
ドーラに命令を下した不死原は焦燥に駆られる。何故ならば、防弾使用のケースを真っ二つにしたマウスが見当たらなくなっていたからだ。
小さく素早い。その上進化薬を使った影響で運動能力が上昇している。先刻までただのマウスだった生物が斬撃を飛ばし、不死原は実験の成功だと小躍りするほどの達成感を得ていたが、実験所を破壊されては元も子もない。
『早く飛ばすんじゃっ!』
ミサイルさえ飛ばせれば日本中にばらまける。ポリタンク全てを飛ばす予定だが、進化薬は想像以上に強力に作用していた。ならば10Lで賄えると判断、発射の選択へ至る。
『………………スミマセン、ブンタイガ、テイコウシテイマス』
『ちっ……自我を持たせたのは失敗だったか』
ドーラはロボットだが既に人として差し支えない思考回路を有していた。不死原は暇を潰すため側に置いていたが、それが仇となる。作った本人とは異なりドーラは正常な倫理観を持ってしまった。
ドーラから見れば不死原の行動は毒物テロと同じである。
話している間もマウスは辺りを荒らして回っている。本体に乗っ取られたドーラや、不死原が傷ついていないのが不思議なほどであった。
『ノコリイップンデ、ハッシャシマス』
『1分か。それまでミサイルだけは死守せねば』
ドーラとその本体の小競り合いは本体の圧倒的優勢。ドーラがここまで抵抗できているのが奇跡と呼べるほど能力差があった。そして稼いだ時間が1分。
60秒。短く感じる時間だが不死原は時間を聞いて表情を歪めた。それだけマウスから逃れるのは難しいと感じたのだ。70歳を過ぎた不死原に荒事は不可能、死守と言ってもミサイルの前に椅子を置くくらいのことだった。
『キュッキュッ』
姿をみせたマウスはとあるノートの上に乗っかっていた。そのノートの表紙は『プロット』と短い単語。長く使っていたのかノートはシワシワでくすんでいた。
『ま、待て! それはダメじゃ!』
不死原の判断は誤りだった。身体の異変に興奮しているマウスは大声に反応した。
前傾し尻を向け、その勢いで尻尾をムチのようにしならせた。小さな身体で距離もある、届くはずがなかった。だがそれは進化する前の話し、マウスは斬撃を飛ばす能力を得ていた。
『ぬおっ』
不死原の眼前に迫る黙視可能な斬撃は全てを切り裂いた。プロットノートは裂け進化薬の海に浮かぶ。ミサイルは斜めに切断され中の薬をドーラにぶちまける。
『キノウテイシ、ハッシャフカノウ…………………ブンタイヲ、カイホウ』
『なな、な………………ワ、ワシの血肉が…………ワシのプロットが』
しりもちで偶然斬撃を躱すことに成功した不死原の悲痛は進化薬ではなくプロットに対してだった。進化薬はまた作ればいい、これだけ撒き散らされれば自身にも作用する。しかしプロットはアイディアや忘れてもいいようにメモをしている物、取り返しがつかない。
研究の合間にメモを残し、暇があればアイディアを考えていた。直ぐに記せるよう外出時にも持ち歩くほど頻繁に使用していた。その残骸が青く発光する液体に浮かんでいる。
ノートの切れ端から読み取れる僅な文字はアイディアを思い出すのには充分な切っ掛けになる。それは不死原の脳に走馬灯のように駆け巡った。
魔物が跋扈する世界。
人間の亜種。
迷宮。
魔法や能力。
ありふれた異世界ファンタジー世界。しかし不死原にとって命の次に大事な物だ。ミサイルの発射、マウスの脱走、ドーラの反抗、全てを差し置いて脳がプロットノートで埋め尽くされた。
──────────強い想い。
進化薬はそれに反応した。
『ぐ………………こ……これが進化か』
胸を押さえうずくまる不死原の全身が淡く光った。それと共に全身に砕けるような痛みと疲労感、眠気が襲う。マウスが気絶したように急激な人体構造の改築は肉体に大きな負担を強いる。
『ソシ、デキタミタイデスネ…………ン?…………ワ、ワ、ワタ、ワタ、ワタシモモモモモモモシンカカカッカ』
『故障か? ……………………違う。 ぐっ……まさかAIの思考も?』
本体から制御が帰ってきたドーラのボディも薬を浴びていたが、防水防塵のドーラに故障はない。マウスの斬撃にさらされてもない。行くつき先はドーラが口にしている通り、ロボットの進化。
進化薬はショックアブソプションの応用で思考を読む、その上で進化を促す超常の薬だ。だが本来は生物以外にその効果はないはずだった。
しかし進化薬はドーラに作用している。身体が発光していた。想定外の副次反応だが、不死原は面白いとすら思った。進化の副作用を我慢しながらも、ギョロリと見開いた目がドーラの反応を見落とさまいと捉えている。
しかしハゲ薬を作ろうとし、糖尿の特効薬を作り。全自動掘削用建設機械を作ろうとし、ドーラを作った。その男が手掛けた進化薬の効果はこの程度ですまなかった。
『……なんじゃ、ノートの切れ端が光ってる?』
進化薬で水浸しになった実験室。飛び散ったプロットノートの紙が光を発していた。
──────まるで進化を始めた不死原やドーラのように。
『─────────うそじゃろ』
直後、作った本人を以ってしても理解不能な光景が目の前に広がった。実験室の床が盛り上がり、白いタイルカーペットが石畳に変化していく。ケースに入ったマウス達は薬に浸かり進化を始め、乱雑に転がっている不死原の発明品も淡く光った。
その光景に見入っていた不死原は突如配線に絡めとられ、手足、身体の至るところに様々な線が巻き付いた。それは隣の部屋、ドーラの本体から伸びてきていた。
『…………なんじゃ!』
不死原は暴れる。しかし眠気や痛みで動きは鈍く抵抗は虚しい。まるで生き物のような動きをする線はCPUとストレージの部屋へ、瞬く間に不死原を飲み込んでいった。
その光景を倒れながら見据えていたドーラのボディからは皮膚が生え、頭からは髪が伸びてきている。
不老を望んだ男の呆気ない最後だった。
そこで映像が終わる。
*
「……なんだこれ、どうゆうことだよ! 最後はなんなんだ!?」
静聴した進夢は映像が終わるとドーラへ詰めかけた。何も知らされずに見せられた映像に思う所はいくつもあったが、どうしても気になったことは1つだけ。
「ご想像通りですよ」
ただ一言だけ告げ、ドーラは頷いた。だがそれだけで進夢は全てを解した。
「…………ッこれは世界を変えた元凶、世界の分岐点を起こした映像ってことでいいのか?」
恐る恐る確信に触れる。分岐点は世界中の人間が知っている事件だ。生物の進化、魔物、ダンジョン、levelという概念の誕生。他にも多々ある変化は人類を半数に減らした。
進夢の考えが正しければ、まだ明るみになっていない国の不祥事だ。
「そうです」
「即答かよ。うわーマジで………ヤバイのみちゃったよ俺」
予想はついていたが肯定され進夢は額を押さえのけ反った。こんなことを知っても知的好奇心が満たされるだけでなんのメリットもない。むしろ国の不祥事を1人で抱えるというストレスと不安が大体を占める。
「見た人は全員同じ反応をしますね」
「──ん? 他にも見た人がいんの?」
「います。進夢以外に5人」
「な、なら──」
「全員死にましたが」
「……………………」
今度は腕を垂らしてうなだれる。知ってる人がいるなら裏では周知の事実なのではと期待したが折られてしまった。
「で、鶏なみの脳の進夢はなぜ映像を見せたか覚えてますか?」
「んー? ああそっか、元はドーラが製造日とか30代とか言うから見せてもらったんだっけ。 ───ん? あれ? ドーラって映像にもでてたな、片言のなんかグロいロボット……え?」
(いやいやまさかな、こんな可愛くなるか? あのグロいロボットが)
疑問の視線を投げ掛けたが、ドーラは表情を変えないので思考は読めない。その代わり直ぐに答えは返ってくる。
「どうもグロいロボットのドーラです。最後までちゃんと見てましたか? 最後の所を見たら察っせるでしょう」
最後はグロいロボットがら皮膚や髪が生えてきていた。進夢はそれでも納得できないと苦笑い、しかし理解はできた。ゴツゴツの男がエルフに進化してスマートなイケメンになったというテレビ番組で耐性はあった。
「──皮膚とか髪とか生えて来てたな。あれがこうなるのか、進化薬?ってスゲーな。てかロボットも進化するんだな、どうなってんだ」
進夢は真っ当な疑問に直面した。分岐点で起こった変化は生きとし生けるものの進化である。しかし無生命の進化は基本的に起こっていない。
ドーラの存在は矛盾があった。
「あれだけ映像にヒントがあるのですが……恐ろしく察しが悪いですね」
(やっぱこいつ可愛くない)
ドーラはそのまま説明を始めた。
「まあいいです。進化薬は投与された者の思考を読んで、望む進化を促すというのは理解できてますね?」
「それは大丈夫」
「いいですね?」
「大丈夫だって! どんだけ俺をバカだと思ってるんだよ」
ドーラは片方の口角を上げて鼻で笑う。だが進夢は話しが進まなくなってしまうので耐え、ドーラは進夢の反応を楽しんでいる。
「映像でもジジイが驚いていましたね、AIである私の進化や本体の進化に。そして更にプロットノートや発明品の進化が起こりました」
「まて、そこは大丈夫じゃない。ドーラの進化はまだなんとなく理解できるけど、AIだから思考力があるわけだし進化薬の効果があってもおかしくない。でもプロットノートと発明品の進化はおかしくないか? ただの紙と道具だぞ」
進夢の知っている限り進化したのは生きとし生けるもの、そして数は少ないが物だ。現代では"魔道具"と呼ばれ特殊な効果を持つ物のことを指している。紙と発明品が進化して魔道具になる。流れは正しいが進化薬の効果としてはおかしかった。
「私にはわかりません。あのジジイの作る物に理屈は通じませんから。見た目も頭もおかしいですが発明品に比べたらいささかマシですね。生物の進化と銘打って作成した薬が世界を進化させたんですから」
「……ドーラにもわからないのか。だったらなんで俺はバカにされたんだ?」
追及の目がドーラへ。しかし彼女は気にとめない。
「ただ進化と吐き捨てるのは簡単ですが、特長はありませんか?」
(この人の話しを全く聞いてない感じ既視感があるぞ……。あっ不死原 実だ。欠点がしっかり遺伝してんじゃねーかよ)
胡散臭い物を見る目にはなるが特長と呼ばれるものは存在する。進夢は分岐点を経験してないので直感的に理解することはできないが知識はあった。
「そうだな。ゲームっぽいとか、漫画っぽいとか、俺にとっては今が普通だけど、2000年より昔を生きてた人は口を揃えて言うよな」
その先の単語はドーラが先に口にした。
「ファンタジーだと」
「そうそうファンタジーだって、俺には普通なんだけどな」
肩を竦めてみせる進夢。ドーラはそれを見て小さく笑った。
(それはそうでしょうね。分岐点よりも後に産まれた人間は。ではなぜそうなったのか、せいぜい驚いてもらいましょう)
なかなか人と会話をできなかったドーラは進夢の反応の良さが愉快で、当時の解説を始めることにした。




