エリクシール
実験室。
『森人に炭鉱人は鉄板じゃし、獣人も当たり前だ。……あとは小人に龍人。人魚に吸血鬼』
狂気の科学者、不死原実はノートにアイディアをメモしいている。ドーラはそれを後ろから覗き込んでいた。
『1999ネン10ガツ30ニチ、キョウハ、ソノキモイ、シュミデスカ?』
『撮ってるのか? ……それよりなんじゃキモイとは! これは息抜きだ。いい発想も考え詰めでは出てこないもんだし…………おおそうじゃホムンクルスも忘れちゃならん』
『ワタシヲミテ、ホムンクルス? トンデモナイ、ハッソウリョクデスネ』
剥き出しの配線にリアルな目や歯。近未来SFホラーなビジュアルのドーラの中で、ホムンクルスは美しいイメージだ。自分をみてホムンクルスを連想するはずがなかった。
『鋼の肉体に知能といったらホムンクルスじゃろ。ゲームのプロットももうすぐ完成するし、薬より早く完成してしまいそうじゃな』
不死原の趣味はゲームや小説などのプロットを作ることで、いつか自身の手でゲームを作りたいと考えている。研究の合間に息抜きで創作活動をすることでモチベーションを保っている。
『ソノマエニ、シンダライミナイデスケドネ』
暗にここ数日息抜きしかしてないと、軽く嫌みを言ったドーラだったが、不死原は大袈裟に震えてうつむいた。
『……忌まわしい。寿命というものはなんて忌まわしいんじゃ。ワシはやらなければならん研究が山ほどある…………絶対に作ってみせるぞ。 話しはそれからじゃ、これさえ作ってしまえばいくらでも時間ができる。その上ワシのプロットノートに書いてあるような世界だって作ることが可能になる、この薬は一石で何鳥にでもなりうるんじゃ。………………そうか、ならば他にもミサイルが必要じゃな』
ドーラの発言が引き金になったかは分からない。だが不死原は明らかに不穏な兵器を欲した。
『…………………ハ?』
──映像が切り替わる。
実験室。
『2000年1月2日、完成は近い。被検体の即死はほぼなくなった。理由は肉体の強化が内臓に及ぶよう調整できたからじゃ。あとは薬に思考を汲み取る性質を与えるだけ、そっちはショックアブソプションを応用するから簡単じゃな』
『カンタンデスカソレ?』
『ワシにはな』
ケースの中にいるマウスは肉体の一部が太くなり、強靭な肉体を手に入れている。その肉体の負荷に耐える内臓強化も成功し、マウスは元気に動いている。
『ソウデスカ。……ゲージ、カエタホウガ、ヨサソウデスネ』
片腕でヒマワリの種を握りつぶす個体もいれば、驚異的な脚力で被検体のクリアケースに体当たりしている個体もいる。ケースが破壊されるのも時間の問題だ。従来の薬だと肉体の強化が一部にしか及んでいなかったので、マウスがケースにぶつかった時点で死んでいたが、この薬は全身が強化され、簡単に死なない。
『至急強化ガラスに変更だ。この前ミサイルを仕入れたばっかりだというのに、必要なものが多い研究じゃ』
『…………ヘイキデモ、カイハツシテルミタイデスネ』
2人が話している間もマウスがケースの中で暴れ、時折野球ボールが身体にぶつかったような鈍い音が響いている。
『使いようによっては兵器になるし、普通に世に出せばそっちの需要が多くなる。海外映画のスーパーヒーローみたいなのが生まれるじゃろうな。だがワシに考えがあるんじゃ。』
肉体が強化される薬。悪用されるのは間違いない。戦争にも使用されるだろう。しかし不死原はそんな分かりきった物語にはさせまいと、対策を考えた。
『ハア』
『なんじゃその気のない返事は』
『ロクデモナイ、コトダロウナト』
『なんじゃ? ミサイルで雨雲に薬を撒くのがろくでもないのか?』
不死原は考えた。
全員の肉体が強化されれば平等だ。戦争の火種にもならない。だから全員がスーパーヒーローになればいい。
不死原は心から思っている。それが正しいことだと、よい行いだと。同僚のハゲを治そうと何も聞かずに薬を射ったのも正しいと思っている。
──根本的に不死原はズレていた。
『………………………』
──映像が切り替わる。
実験室。
『2000年3月3日、ついに薬が完成した』
『…………カンセイ、シテシマイマシタ』
不死原の手には青い蛍光色の薬品が入った注射器が握られている。
『アメリカのドーナツみたいな色じゃ』
『アメリカノドーナツハ、ハッコウシナイデショウネ』
『そこでじゃ、薬の名前を決めたいと思う』
『ナニガソコデ、ナンデスカ』
いつものように不死原はドーラの話を聞かずに自分のしたい話しだけをしていく。
『この薬の目的は"不老"じゃった。しかし研究を重ねワシは思った。ただ不老になるだけの薬なんて面白くないと。そこで思い至ったのがショックアブソプションじゃ。以前作成した装置で脳への書き込みと読み取りができる装置だ。この装置の応用で脳から直接そのものの思想を読み取り、千差万別に変化する薬となった』
不死原は考える素振りを見せたが、直ぐに決まったらしい。
『つまり"進化"を促す薬。この薬の名は【進化薬】じゃ』
歯抜けの笑顔でカメラに目線を向け、満足すると不死原は行動を開始した。
『よし、さっそく実験じゃ。まずは1匹に打ってみよう。どんな強化がされるかわからんからな、最悪強化ガラスを破壊する個体もでかねん…………いや、注射じゃと量が多すぎるな、気化させて吸わせたほうがいいかもしれん。ミサイルで雨雲に混ぜた後の症例にもなるしの』
『……………………』
いつもちゃちゃを入れるドーラが黙っている。それは不死原の言葉に戦慄していたからだ。不死原は薬が"完成"したと言った。しかしドーラは知っていた。不死原がまともに発明を完成させたことはない。育毛剤を作ったといって糖尿を治す薬を作ったり、全自動掘削用建設機械を作るといって汎用型人工知能のドーラを作っている。何が起こるか分からない。ドーラは身動ぎせずに動向を見守っていた。
『─────────よし』
薬を気化させた空気をケースに注入されたマウスは、10秒ほどすると進化薬を纏っているような淡い光を全身から発した。その直後に薬の効果か、もがきだした。強力で速効性のある薬だ。気化させたのは1mlにも満たない少量だったが、効果は抜群だった。
『ヂュッ! ヂュヂュッ』
数十秒間もがいたマウスは仰向けで動きを止めると、一切動かなくなってしまった。
『………………………死んだか?』
『バイタルハ、アンテイシテマス』
『ふむ、身体の構造が変化する可能性が高いからな、体力を使い果たして寝ているのかもしれん』
『デスガ、コンカイノマウスハ、オオキクナリマセンデシタネ』
これまでの実験のマウスは全て身体の1部が太く強くなっていたが、この実験のマウスは身体に変化はみられなかった。
『あくまで薬がマウスの思考を読んでから変化をもたらすんじゃ。マウスの思考が大きくなりたいと考えていなかったんだろうな。まあぶっちゃけなんもわからんが、そのための実験じゃ』
しばしマウスを眺めていた不死原だったが、飽きたのかミサイルの様子を見に行った。
ミサイルは実験室内の隅に天を向いて設置されている。日本で買えるわけもなく、不死原手製の1品だ。高さ2m半径30cm
ほどのサイズで、個人で作ったとは思えないほど精細にできている。
不死原はミサイル腹を開口して点検する。内部には薬品を打ち上げるための設置台があり、周りは緩衝材になっていて打ち上げ時に薬が破壊されないように工夫されている。
『成功ならここに薬を設置してあとは発射ボタンを押すだけだ』
そういいながらも10Lの薬をミサイルの中に収納した。青く発光し内部を照らす薬。これが散布されれば日本中の生物が進化する予定だ。
『ナンデ、セイコウカワカラナイノニ、クスリヲイレルンデスカ?』
しかし前例を鑑みればどんな効果が現れるか分からない。最悪、人類を滅ぼす毒薬という可能性もありえた。それをミサイルに積めるものだからドーラは焦っていた。
『ワシは確信しとるんじゃ。進化薬は完成してる。後はマウスで用量の確認をするだけで、薬は効き目次第でどの規模の雲に発射するか変更すればいいだけなんじゃ』
『スデニタイリョウノ、エリクシールガ、アルノハソノタメデスカ』
『そうじゃ。極少量でも効果を発揮する予定じゃがな』
実験室の中には進化薬の入ったポリタンクが10個並んでいる。不死原はこの量でも日本中を進化させることが出来ると踏んでいる。
『ホントウニ、シンカサセルダケデスカネ』
『しらん。肉体が進化に耐えられない個体が出てくるのは確実だな。マウスは健康体のみの実験じゃし、年寄りには乗り越えられないかもしれん』
『アンタモ、トシヨリデスヨ』
『わかっておるわい。そん時はそん時じゃ』
不死原は過剰なまでの自信家、自身の成功を疑っていない。その上、失敗して死ぬならばその程度であったと割りきれる妙な覚悟も持ち合わせていた。
『………………………………トメルノハ、ムリデスネ』
ドーラが呟いた直後の出来事だった。
『おお! マウスが起きたぞ!』
仰向けに倒れていたマウスの手足がぴくぴく動く。徐々に動きが大きくなりマウスは立ち上がった。首をしきりに動かして警戒をしているようだ。何が自身に起こったのか理解できない、そんな反応をしている。
『………………………………フツウデスネ』
『じゃな』
1人と1体が油断した直後だった。
─────────ビュンッ
細くて柔らかいものが高速で動いたような音がした。それは進化薬を投与された個体のケースから。
目を凝らしてマウスを見ると、尻尾を振り抜いたような体制をしていた。
時が止まったように動かない3者だった。しかし、マウスを閉じ込めていたケースに斜めの線が入った。その線はスルスルと広がりケースが地面に落ちる。
────────ガランッガランッ
防弾仕様の重たいガラスケースが包丁で切ったゆで卵のように綺麗な切り口を見せる。誰が見ても異常だった。
『この小さいマウスでこの威力……………薬が多かったようじゃの』
『イッテルバアイデスカ、ジッケンシツモデス』
剥き出しの視線の先は机や椅子が真っ二つになり、不死原の作った用途不明の発明品が切断されて火花を散らしていた。
『くそっまずいぞ! ドーラ、ミサイルの緊急発射じゃ!』
不死原は急時とあって大胆な命令を下した。
『………………マダジッケントチュウデスヨ?』
『ええい!なにをいっとる!その実験が台無しになる前に使わんでどうするっ!!』
不死原は卓上マイクを引っ掴んだ。
『ドーラ命令じゃミサイルを近くの雨雲に向かって発射しろっ!』
AIの反乱。それに対する措置はもちろんしてあった。人に危害は加えられないようにプログラムされているし、強制的に命令を下すこともできる。それがそのマイクだった。
『リョウカイイタシマシタ』
ドーラの本体はこの配線剥き出しのロボットではない。部屋丸々1つをCPUとストレージで埋め尽くしている実験室の隣がドーラの本体だった。常にロボットのドーラとしての機能も果たしているが、本体はまた別の人格を持つAIが機能している。そのAIはすべての権限がドーラよりも高い。
ドーラの制御を奪うのは簡単なことだった。




