最恐のボス
ゴゴゴと音が鳴りそうな威圧感を放つドーラに気圧され進夢はチョコを食べてしまう。そしてドーラはというと。
「これがチョコレートですか。ジジイは甘いものをあまり食べませんでしたからね」
摘まんだチョコをまじまじと眺めていた。
「……溶けるぞ」
進夢は焦って食べたせいでほぼ飲み込んでしまい味を楽しめなかった。声が低いのはこの環境下で最大の娯楽になるであろうチョコを無駄にして落ち込んでいるからだ。
「溶ける? ………そうでしたチョコレートは人肌で溶けるんでしたね、食べてしまいましょうか。でも勿体ないような。ああ、そういえばありがとうございます。チョコ」
進夢は饒舌なメイドに目を丸くする。
「ドーラってそんなにテンション上がるんだな」
「食べ物には目がないみたいです」
ドーラは人との関わりが少な過ぎて自身の感情や欲求を正しく理解できていない。ゆえにあやふやな答えだが、食に対しては畑でじゃがいもを育てるほど貪欲だった。本来、魔鉄人は魔力と電力、つまり魔光エネルギーがあれば生きていける。"食べる"こと自体が必要のない無駄なことなのだ。しかし食べたいという欲求が、無駄な手間を惜しまない。
ドーラは時折葛藤するようにチョコを口に運んだ。
「旨いか?」
進夢が聞いてから数秒間ドーラは目を閉じて咀嚼した。
「…………………………そうですね。やはり私は外に出たいです」
見開いたドーラは進夢を見ているが、どこか遠い所を見ているような決意に燃える目をしていた。その想いは進夢が想像するよりも遥かに壮絶で必死だった。
進夢は始めから察していた。しかし決定的になったのが映像、そしてドーラの言う30年という言葉。
────ドーラは分岐点から30年間、【憤怒の塔】100層に閉じ込められている。
30年間の孤独。30年間の質素な食事。30年間の情報の欠如。どう声をかければいいのか進夢には分からなかった。チョコを1口食べただけで決意が決まるほど、ドーラの食生活が粗悪なものだったのだと想像する他になかった。
「そうか」
「…………聞かないんですか? この30年間何をしていたのか」
「わざわざ辛そうな話し聞かないよ。聞いて欲しいなら興味あるから聞きたいけど」
「いえ、やめておきましょう。もし出れたら聞いてください」
「出れたらな」
ドーラは毒を吐かないし、進夢は大人しい。
「進夢の前に5人、ここに入ってきた愚か者がいました」
「話すのかよ!」
「うるさいですね、空気がむず痒いので軽くしたんです」
どこまでいってもドーラは飄々とした生き物だった。真面目な空気に耐えられないそんな生き物。進夢も似たようなもので、餌を差し出された犬のように食いついた。
「そっか」
「はい、黙って聞いてればいいんです。それで……その全員が遊び感覚や度胸試しできた者で、最終的にここのボスに殺されました」
「ああ」
【憤怒の塔】はドーラの言う通り遊び感覚で触れたり、度胸試しで触れる者が後を絶たない。動画配信で【憤怒の塔】に触れてみたというタイトルはどれも1000万再生を越える。命をかけて有名になるには最高のコンテンツなのだ。
「初めの3人とは私もボス戦に参加しました」
「え? ボスと戦って戻れんの?」
「戻れます。というより戻れてしまうんです」
ダンジョンのボス戦というのは基本的に後戻りができない。ボスの居る部屋に入ると扉が閉まり、どちらかが倒れるまで外に出れないのだ。
「なんか戻れるのが悪いみたいな言い方だな」
戻れるということはボスの弱点を調べる事ができるし、対策を立てられる。進夢の知るダンジョンの中にはない。かなり優しい措置だ。
ドーラは実験室の外を見て、重い口を開く。
「絶望するんです。圧倒的な力に、攻略法のない能力に、その威容に。私じゃ絶対に勝てない、そう思わせて退路を用意する。必死で逃げた先には水があって食料がある。ひとときの安息は人をダメにする。恐れをなしてボスに挑めなくなるんです」
(あっちはさっき寒気がした…………ボス部屋か)
進夢はドーラの視線を追って察した。
「けど塩はないし、ここに生き残りはいないよな」
「そうですね。最初の3人は逃げてここに戻って来ました。そして再戦を恐れ滞在。ですが体が弱って行くのを感じたんでしょう。3人とも1~2週間で覚悟を決めて再戦を決意。ですが弱り始めた身体で敵うはずないですし、私も付き合うことはしませんでした」
首を左右に降るドーラ。3人の末路は聞くまでもない。
「後の2人は?」
「後の2人はボス戦に私がついて行かなかったんです…………戻って来ませんでした」
ついて行かなかったことに後悔はない。しかし思う所はある、それがドーラの心境だ。唯一この環境下で生き延びる事ができる生物で、自分だけが存命を許され他は死地へ向かう。仕方なかった。そしてドーラは分かっている。
─────ボスには勝てない。
「なんで行かなかったんだ?」
「いったでしょう、私じゃ絶対に勝てない。3戦で学ばされました。むしろ3回挑んだ私は精神が太い」
(むしろ図太いけどな)
ドーラはいたって真面目に話しをしていたが進夢は頭の中でヤジを入れていた。そんな彼もまた図太いタイプの人間だ。
「それは知ってる。でもドーラが諦めるような敵か、LEVELは分かるか?」
「進夢も大概ですよ。LEVELは分かりませんが参考までに私はLEVEL3で、一緒に挑んだ中で最高はLEVEL5でした。一蹴されましたけどね」
ドーラは軽く言ったがLEVEL3は冒険者として稼げる実力。LEVEL4で富裕層に、LEVEL5に至っては有名人になれる実力者だ。
LEVEL1の進夢にはその実力者が一蹴されるような魔物は、記憶に新しい大地竜くらいしか思いつかない。
「LEVEL5が一蹴? 笑えないな」
「だから言ってるでしょう。相手は絶望です」
未だ世界のランカーを持ってしても踏破しえないダンジョン【憤怒の塔】。LEVEL7で構成された重力パーティーですら70層
が限界。そのダンジョンのボスがどのような強さなのか、進夢には見当がつかない。
「じゃあドーラはもう挑まないのか」
(1人でどうにかなるのか? いや、話を聞いた限りどう考えても俺には無理だけど、簡単に納得はしたくないな)
死にたくない。単純な理由だが普通の考えだ。1度は少年を助けようと投げ出した命だが、拾ってしまったなら全力で使いたい。進夢にはこのセーフゾーンでゆっくりと死んでいく選択肢はなかった。
「………………いえ、私も行きます」
ドーラは苦悩の果てに口に出した。ただ「行く」と言うだけでも腕が震えていた。思いだしてしまうのだ。ボスの膂力、能力、威容を。
「いいのか? 俺はLEVEL1だぞ」
「よくないです。ですが私の身体もこれ以上は持ちそうにないので」
「ホムンクルスでもか?」
「ホムンクルスは魔石と電気を化合した魔光エネルギーが動力源です。ここは魔力はありふれていますが電気は足りてません。あと1月も持たないでしょう」
(渡りに船ですね)
ドーラにも後がない。人より遥かに生命力の強いホムンクルスでも、限られた施設では生きていけない。1人でもボスに挑もうと考えていたところ進夢が落ちてきた。1人じゃない、そう思えるだけでドーラは気持ちが軽くなっていた。
「助かるよ」
「こちらこそ。足は引っ張らないでくださいね」
「やっぱり一言余計なんだよな、ボス部屋ってあのカーテンの所か?」
進夢は実験室の真向かいにある場所へ視線を向けた。この部屋にくる時に恐怖を感じた場所だ。
「そうです。あそこは透明な壁になっていて、中が見えるんです」
「え? ボスも見れるの?」
「見れます」
「じゃあとりあえずご尊顔を拝ませていただきますか」
部屋から出ようと歩き出した進夢だったが、後ろから腕を掴まれてしまった。
「…………………」
いつもの真顔。だが進夢にはその顔が必死に見えた。
「なんで?」
「さっきからいってますよね、見るだけでも臆するような威容をしているんです」
「いよう?」
「チッ……バカが」
「急にただの悪口じゃん」
ドーラは大きなため息をついた。
「いいですか? この空間はボスを恐れるあまりに逃げ込んだ人間をなぶり殺しにするためにあるんです」
「それはボスにビビって再戦しなくなった挙げ句に食料が尽きるって意味だよな?」
「そうです。そこまで分かっててなんで分からないんでしょうか。進化薬の副作用?」
「辛辣だなあ。でもこの感じだよ、いきなりただの悪口になるから」
「話を戻します。つまり透明な壁は恐ろしいボスを見せて、挑む気すら起こさせないようにした、ダンジョンの嫌がらせみたいなものなんです」
「あーそうゆうことか。目にしたら挑戦する気すらなくなるほど厳つい見た目ってことね」
「端的に言えば」
逆に見たくなると進夢は思ったが、ドーラが珍しく必死なので諦めた。
「けど対策は必要だよな? 本当にLEVEL1だぜ俺」
進夢もただの馬鹿じゃない。このままでは勝てないことがわかっていたから、どんな魔物か見ておこうと動いたのだ。
「…………分かってます【次元創作】」
ドーラは虚空に手を伸ばし、そして手を入れた。進夢の目からは手が途中で歪んだ空間の中に消えたように見えている。
「能力?」
「はい。異次元操作系の能力です」
「また珍しいもんを。今日はほんとに……」
とんでもないことばっかり起こると苦笑い。瞬の瞬間捕縛も異次元操作系の能力だ。1日で2人の所有者に会うことはまずない。
歪んだ空間から戻ってきた手の内には、青い蛍光色の液体が入った小瓶が握られていた。




