今日のお題【雲】
微かな低い音が響いてきて、空を見上げると真っ白な細い線を引いた飛行機が飛んで行くところだった。真っ青な空に真っ白な雲だったから、その先頭の飛行機を、すぐに見つけることができた。
今日は、その横に、何本もの白い線が浮かんでいた。細い線もあったし、もうだいぶ太くなった線もある。何本も何本も東から西へと引かれていた。
今引いている細い線のしっぽの方は、だんだん太くなっていった。
飛行機を見送ったあと、ふと、虹の橋を渡ったあの子は、今どうしているのだろうか、と思った。
あの子が逝ってしまう前は、ここに留まっていて欲しいと思った。あの子の足が、少しずつ不自由になり、とうとう歩けなくなったとき、虹の橋のたもとにいて欲しいと思った。我々が迎えに行くのを待っていて欲しいと思った。
あの子が逝ってしまったとき、もう虹の橋を渡ってしまったのだと、気が付いた。ここには留まらず、橋のたもとにも残らず、光のように虹の橋を渡ったのだと。
しばらくは、寂しかった。あの子の気配が何も感じられないことが、ひどく悲しかった。あの子にとって、いい飼い主ではなかったから、そこまで想っていてはくれないと、わかっていた。
あの子のことを考えても、あの子の写真や動画を観ても、悲しくはなかった。他の幸せな子達の写真や動画を観ても、泣くことはなかった。悲しみの雲の上を、すれすれに飛んでいて、それに触れさえしなければ、何の感情も湧かなかった。
ただ、少し失速して、雲にちょっとでも触れてしまうと、自分ではどうしようもないくらいの悲しみに襲われた。
もう寝返りも自分でうてない体から離れて自由になって欲しいと願っていたのに、魂だけ残って欲しいなんて、どれだけ我が儘なんだろう。どれだけあの子の修行の邪魔をすれば気が済むんだろう。悲しみの中で、何度も自分を責めた。何を願っているのか、何を望んでいるのかが、全くわからなかった。自分を責めながら、ただただ、襲ってくる悲しみに身を任せることしかできなかった。
東の空から、低い音が響いてきて、次の飛行機が細い線を引いてやってきた。さっきの線より南側に白い線を刻んでいる。
それを眺めながら思った。
あの子には、虹の橋のたもとに残って欲しくないと。
もう後ろを振り返らずに、次の修行に出て欲しいと。
やっと、そう思うことができた。
もう、生まれかわって、もっとあの子を想ってくれる人のところへ行っていたとしても、私はここで、お尻を押そう。あの子が、もっともっと上へ上れるように。
未熟で、何もできなかったから、せめてそれが私の今、精一杯できることだから。
真上を通って銀色に光る飛行機が、低い音をたてて西の空へ遠ざかっていった。