今日のお題【此岸と彼岸の間の家】
「ツバサちゃんの羽根、真っ白で綺麗だね。」
高台の緑の草の上に座ったボクの右横から、そんな声が聞こえてきた。
「だから。ボクの名前は『ツバサ』じゃなくて・・」
そう言いながら、声の方に顔を向けると、
キジトラの小さな猫が、ちょこんと座っていた。
ちょうど翼全体が見える位置に前足を揃え、尻尾をくるりとその前足の前にくるように巻いて、目を細めうっとりとボクの翼を眺めている。
(まあ、いいか。)
その幸せそうな顔を見ていたら、そんな風に思えた。
そうさ、わざわざ訂正することもないさ。
あの子が、そう呼びたいなら呼ばせておこう。
それに、『ツバサちゃん』なんて、いい響きじゃないか。
翼を眺めるのに満足すると、猫はトコトコと歩いてボクの横に座った。
「ツバサちゃん、またあの惑星を見ていたの?」
「うん。」
「僕たちがいた青い惑星。」
「・・地球っていうんだよ。」
地球は、ちょうど3分の2が見え始めたところだった。
地球にいたら、地平線から、または水平線から太陽が昇った、というところなのだが、
ここは、修行から戻った魂のための世界。
雲の上に、地球が昇ってきた、という感じ。
「地球?」
「うん。」
猫は、ボクの翼を眺めていたときと同じように目を細め、地球を見る。
「キレイね。」
「うん。」
この子は、ボクがここに連れてきた。
まだ若く、迎えに来る者もいなかったから。
あの暑い夏の日、縁側で涼んでいると、風鈴が鳴ったんだ。
ちり~ん。
誰かがここに来ると、知らせてくれた。
ここは、この家は、此岸と彼岸の境界に建つ家なんだ。
この家の先にあるあの山は、普段は普通の山だけど、修行を終えた魂にとっては、彼岸へと向かう道でもあるんだ。
この家はずっと昔、一度燃えてしまったけど、再び建てられた。
修行に疲れた魂を、一時休ませる場所として。
ボクは、縁側で涼んでいた。
外の世界は、とても涼めるような暑さではなかったが、
この家の、小さな庭の桜と藤の大木(この子達も家と一緒に燃えたのだが)のおかげで、涼しさを保っている。
足を投げ出し、後ろに両手をついて、ボクは、彼らに覆われた庭を見ていた。
そのとき、
ちり~ん。
風鈴が、鳴った。
しばらく家の前の道を見ていると、
ガリガリのキジトラの猫が、よろよろと道を歩いてきた。
そのまま通り過ぎていきそうだったが、風鈴が、
ちりん。
と音を奏でると、猫は気がついたようにこの家の前で止まった。
そして、ゆっくりと、よろよろとこちらに向かってくる。
風鈴が鳴ったから、命ある者は、ここには来られない。
だから風鈴は、あの子が来ることをボクに知らせたんだ。
猫は、力を振り絞って縁側にのぼり、ようやっとボクの横に座った。
この子は車に轢かれた。
自分がもう魂になったことにも気がつかず、あの熱い太陽に灼かれた道を歩いてきたのだ。
捨てられて、食べることもできなくて、邪魔者扱いされて、そして、道路を渡ることができずに。
この子の肉体は、まだあそこに転がっている。
ボクは立ち上がった。
見えた映像を振り切るように。
苦しかった。
神様の御遣いにあるまじきことなのに、胸が潰れそうだった。
この子に何かしてあげたかった。
せめて、最期に何か。
「ツバサちゃん。」
呼ばれて、振り返ると、猫が心配そうにこちらを見ていた。
「どうしたの。ぼんやりして。」
「・・なんでもない。」
「でも。」
「なんでもないよ!」
ボクは猫を抱き上げて、膝にのせた。
ふわふわの毛が心地よかった。
あのときのように、ガリガリでゴリゴリじゃなくて、汚れた毛皮じゃ無くて。
それが何故か嬉しかった。
猫は喉を鳴らし、ボクに背を撫でられている。
地球の姿は大きく、全てが見えるようになっていた。
「ツバサちゃん。僕、またあそこに行きたいな。」
猫は、目を細め地球を見ている。
猫の背を撫でながらボクは言う。
「また、捨てられるかもしれないよ。」
猫は、頷く。
「うん。」
「また、ご飯が食べられないかもしれないよ。」
「うん。」
「また、・・・虐められて、車に轢かれるかも・・」
猫は大きく頷いた。
「うん!それでも!」
猫は振り向いて、ボクを見た。
「それでも、僕はあそこに行きたい!」
猫のキラキラ光る目が眩しくて、ボクは目をそらした。
そらした目を戻すと、猫は少し首を傾げボクを見ていた。
そうだよね、君たちは。
あの惑星に呼ばれるんだ。
そうだ、ボクもそうだったんだから。
「うん。わかった。君の生が終わるとき、またボクが迎えにいくよ。」
そっと背を撫でると、猫は嬉しそうに喉を鳴らした。




