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いつかどこかの旅の空で  作者: アカホシマルオ
第四章 いいじゃないか、幸福ならば

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33 もう一つの記憶

 


 親方もまた、突然浮上したもう一つの記憶に困惑する一人であった。あの被災前夜、知ることのなかった筈の咲の本音を今更ながらに知り、衝撃を受けていた。


 急転直下、突然湧いて出た元ちゃんプロジェクトとアイスマンレシピの存在は牧場の従業員を巻き込み、騒然となっている。


 ただでさえ多忙な、夏休み直前の日々である。


 咲も密度の濃い日々を送っているが、最早堂々と私の部屋に出入りし悪びれたところなど微塵も無い。


 逆に自身の引退を公言し、後任への引継ぎを大急ぎで進めている。その手際の良さは恐るべきものがあった。


 親方もすっかり状況を理解し、私が帰京するに当たり、咲が一緒に行くと言い張っても反対の声すら上げなかった。


 同様にあらぬ事を思い出した近藤さんが山猫高原牧場へやって来て、私と咲の前途を祝して夕食会を催してくれた。


 六年前のあり得ない記憶を共有する者たちが閉店後の山猫軒に集まり、異様な熱気に包まれた。



 元ちゃんが私のところへ来て、改めて謝罪する。


 しかしその元ちゃんは、私のイラストと同じクラシックな農夫の格好をしているので見るだけで笑ってしまう。この日は一日中この姿で先頭に立ちPR活動に精を出していたらしい。


 猛反対していた元ちゃんプロジェクトだが、今ではすっかり気に入って、元ちゃん本人が乗りに乗っている。

 ネットでも牧場の観光客にも好評で、マスコット人形まで発注する勢いだ。


 この夏は町のイベントに駆り出されることも決まり、地元の新聞社などから取材の申し込みが殺到していると言う。プロジェクト発足後僅か数日の活動でこの劇的な効果とは、宣伝部の剛腕ぶりは恐ろしい。


 既に、従業員からは昔のように元ちゃん、元ちゃんと呼ばれ始めている。確かにこの格好で場内をうろうろされたら、社長とは呼び辛いだろう。


 私はただただ、笑っていた。


「元ちゃん、親方を頼むよ」

 私は簡単に言うが、元ちゃんにとって親方は特別な存在である。


「ああ、わかってるさ」

 この世界で、元ちゃんは親方に命を救われている。


 あの日、土砂降りの雨が上がり、牧場の見回りに出た親方と元ちゃんは、遠くで山の斜面が崩れるのを見た。


 車を降りて歩いていた元ちゃんは、咄嗟にもう助からないと思った。その時、彼は信じられない光景を見た。


 到底間に合いそうにない場所から、親方が大声で叫びながら必死で車を元ちゃんの所までバックさせている。必死に走った元ちゃんが荷台に飛び乗ると、車は全力で前進した。


 だが、遅かった。すぐに土石流に追いつかれ、車ごと流されてしまう。


 車の屋根にしがみついていた元ちゃんは幸運にも軽傷で済み、運転席で岩に潰された親方は、瀕死の重傷を負った。親方の両足と引き換えに、元ちゃんの命は救われたのだ。


 あの時、俺を放って逃げていれば、親方は確実に助かった筈だ。元ちゃんは親方を命の恩人として、そしてその後の父親代わりとして敬愛する。


 そんな二人の関係には、私が言うよりずっと強い結びつきがあるのだ。



 その元ちゃんが最も頼りにしているのが、嶋さんだ。


 この日、牧場で臨時の株主総会があり、咲の専務取締役解任と、嶋さんの役員就任が決定された。(らしい)


 これまで、不安定過ぎる牧場の経営を理由に、嶋さんには重荷を負わせることなく工場長として現場で仕事を続けてもらっていた。


 しかし漸く安定の兆しの見えた(かも知れない)この夏、咲に替わり嶋さんが役員に就任するのは当然のことと思われる。


 嶋さんは今、奥さんとまだ一歳にならない子供と三人で、道の駅近くの家で暮らしている。その奥さんが、子供を連れて来ていた。帰りは奥さんが車で送ってくれるという事で、嶋さんも今日は安心して飲んだくれていた。


 その嶋さんの奥さんだけは、私の見知らぬ顔である。


 そう思って話をしていたら、実は奥さんは私のことを覚えているのだという。


「どうして?」


「私は以前、町役場の観光課に勤めていたんですよ」

「それで?」


「道の駅にある観光案内所、あそこが私の職場だったの」

 道の駅だと? それはひょっとして……


「まさかあの受付にいた?」


「そう。あの年私も高校を卒業して、あそこで勤め始めたところだったんです」

「じゃあ、同い年だったのか」


「実は六年前にも、私はまだあそこにいたんですよ」


 嶋さんとは、その頃からの付き合いであるらしい。


 事故の後暫くして、彼女は役場を辞めて牧場で嶋さんの手伝いを始めた。復興途上の牧場では、役所とのパイプ役として重要な役割を担ったという。


 彼女もまた、不思議な運命に結び付けられた一人であった。



 深雪ちゃんに、「あなたは何者?」と問われたが、私からすればこの場所こそが、一体何なのだ、と思う。


 他ならぬ、ここにいるあなた方自身が何者ですか、と問いたい。


 得体の知れぬ未知の力に吸い寄せられるように、様々な人たちがこの牧場へ集まって来た。


 この北国の地で新しい価値を造ろうと老若男女が身を寄せ、皆で汗をかいていた。



 それは四半世紀ほど前に、慎さんがこの地を訪れた時に始まったのだろうか。それとも親方が船見牧場の後を継いだ時に、始まっていたのか。

 その流れは自然の猛威に晒されて、一度は粉々に砕かれたかに見えた。しかし今はまた新しい糸で結ばれて、より強固な絆が生まれている。


 この東北の大地には一体、何があるのだろう。謎である。


 宴の半ば、酔った私たちが、元ちゃんの耳元で根性無し、と繰り返し囁く。元ちゃんは耳まで赤くして深雪ちゃんの近くへ行こうとするが、やはり根性無しは根性無しであった。


 私は逆に深雪ちゃんの背後へ回り、「がんばれ、林」と応援を始めた。深雪ちゃんは意外な根性を見せて、案山子のように突っ立っている元ちゃんの近くに寄り、さりげなく話を始めた。



 これでいいのだろうか、慎さん。


 私と咲の幸運は、美佳さんのお腹の子を含めた十一人の犠牲の上に成り立っている。


 だが、この世界では生まれて来ることも許されなかった慎さんと美佳さんの子供が、元気に走り回っている世界もきっとどこかにある筈だ。私はそんなことを思いながら、咲の手を握る。


 どこか別の世界では、慎さんたち親子三人が手を握りながら、私たちのことを思って泣いているのだろうか。


 想像するのも恐ろしい六年前の悪夢の続きは、どんなだったのか。ひょっとして、元ちゃんの家族は助かったのだろうか。


 咲によると、あの土砂に呑込まれたバスには少なくとも十人の客が乗っていた筈だと言う。私と一緒に土砂に呑まれた牛舎にも、そのくらいの人数がいた筈だ。そうなると、今よりもっと悲惨な現実があっても不思議ではない。


 あの悪夢の延長には、慰霊碑の裏に刻まれた小さな氏名の中に、私と咲だけでなく大勢の名が増えている世界があったのかもしれない。


 しかしそれならば、逆に犠牲者も無く、皆が無事に暮らしている未来も、どこか別の時空にはあるのではないか。


 いつかどこかで偶然に時空の扉をくぐった時、そんな世界に迷い込んだりはしないだろうか。


 扉の向こう側へ行きさえすれば、いつかどこかの旅の空で、元気に暮らす慎さん達親子にばったり出くわすこともあるだろうか。そうだ、きっとそんな世界もどこかにある。


 慎さん、そこであなたと会いたかったよ。



 


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