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いつかどこかの旅の空で  作者: アカホシマルオ
第三章 泥海の中から
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25 幸福

 


 居間では、親方と婆さんの尋問が待っていた。


 咲は学校へ行っているらしい。近況を聞かれる中で、持って来た漫画の単行本を差し出すとその攻勢は一段と激化する。


 最後には恥かしがるのを無理矢理サインまでさせられた。こんな時の婆さんの勢いは怖い。


 婆さんは相変わらず腰が悪く、昨年から道の駅へ行くのを止めたそうだ。今では広げた畑で作った作物を近藤さんのレストランに供給しているらしい。


 畑仕事の辛さを知る身としては、婆さんの腰が大丈夫なのか心配になるが、あんなのは遊びだからと取り合わない。さすがである。


 それにしても、婆さんが私の目の前で漫画を読み始めてしまったのには参った。しかも、黙って読めば良いものを、ページを捲るたびにいちいち、ほう、だの、おお、など声を上げながら熱心に読み進める。嬉しくもあるが、非常に恥かしい。


「二階の部屋を空けてあるから、ここにいる間は好きに使え」


 親方はそう言って、私の荷物を軽々持って二階へ上がる。昔、咲に勉強を教えた部屋の隣に、ベッドと空の箪笥が用意されていた。小さなテレビまである。


 まいった。これでは逃げ出しようがない。


 それから親方に連れられて、工場へ行った。そこでは慎さんと美佳さんが待ちかまえていた。


 懐かしのアイスマン一号と二号を今でも作っているという。昔と同じイラストのカップに入ったアイスを味見させてもらったが、変わらぬ味で完璧である。


 更にその後に開発した様々な商品を並べて、説明をしてくれた。その熱意に頭がクラクラする。創作意欲に燃えているのは、私だけではなかった。この人たちの凄さに改めて感動する。


 美佳さんのお腹には初めての赤ちゃんがいて、悪阻も軽く順調に育っているらしい。


「お産なんて何度も立ち会っているから、楽勝だよ」

 慎さんが、昔と変わらぬボケぶりを発揮する。


「だから、牛と一緒にしないでといつも言ってるでしょ。こちらは毎日大変なんですから」


 慎さんは美佳さんに反撃されて、黙り込む。


 こんなでれでれぶりを見せられては、私も呆れて引き下がるしかない。


「咲ちゃんの携帯にメールを送ったから、きっとすっ飛んで帰って来るわよ」

 美佳さんが私にウインクする。


「ああ、咲も大学受験だってね。どうなの?」


「どうなのって、言われてもな。まぁ、とにかく東京の大学に絶対に行くんだって張り切っているぞ」


 やはり、親方の言う通りなのか。


「もしかして、東京農大とか?」


「いや、咲は農業のことなんか全く興味がないと思うぞ」

 慎さんは意外な事を言う。


「へえ、そうなんだ。じゃあ経営学部とかかな?」


 私の言葉に、美佳さんと慎さんは顔を見合わせて、笑っている。何がそんなにおかしいのだろうか。



 その日の夕方、久しぶりに牧場の仕事を手伝った。昔と同じようにオーバーオールに身を包み、軍手軍足、帽子と長靴といういでたちには変わりない。


 私にできる仕事があまりに限られているため、足手まといにならぬよう必死で働くところも昔と同じである。


 夜になり仕事が終わる頃、咲が帰って来た。放課後に予備校でしっかり勉強をしてきたようである。


 牛舎に掛け込んできた咲が私の姿を見つけて、走り寄る。


 高校の制服に身を包んだ咲は痩せっぽちの小学生だった頃とはまるで別人で、ふっくらとした頬にポニーテールが似合う美少女ぶりに私は驚愕し、言葉を失った。


 間抜け面で立ち尽くす私の前に、咲は真直ぐ進んで来る。近寄ると、背の低い事だけは昔と変わっていないようだ。


 幾らかぎこちない足取りに、若干緊張気味で興奮しているのもわかる。だがその表情には幸福そうな笑みが浮き出ていた。


 やがて小走りで私の前に来て、人目もはばからず両手を広げて無邪気な様子で私に抱きついた。ああ、なんだ。子供の頃と同じではないか。



「お兄ちゃん、やっと来てくれたんだ」


 昔と変わらぬその声に、私の記憶も六年前に遡る。一緒にアイスマンを売っていたあの時の、無邪気で明るい咲の声だった。


 私も昔を思い出して、咲を抱きしめ持ち上げ、その場でくるくる回った。私の中では、咲はまだ十二歳の生意気な少女だった。


「おまえ、すっかり元気だな」

「うん」


「重いぞ。体重増えたな」

「当たり前」


「そうか」

「女子高生だぞ」


「そうだな」

「お兄ちゃんは何してるの?」


「驚くなよ、漫画家なんだ」

「嘘」


「ほんと」

「ほんとに?」


「ああ。親方に初めての単行本を渡したから、後で読んでくれ」

「わかった。じゃあ、着替えて来る」


 そう言って、咲は母屋へ走って帰った。



 その夜は昔馴染みの面々が母屋に集まり、居間で夕食会を開いた。


 お揃いのふわりとした水色のワンピースに着替えた咲と美佳さんが、婆さんと三人で料理を用意している。


 咲は湯上りのようで、ポニーテールを解いてさらりとした髪が肩まで届いている。


 制服姿とは違って少し大人の雰囲気があった。こうして見ると、やはり美佳さんと咲はまるで姉妹のようである。


 美佳さんのお腹はそれとわかる程大きくなってはいないが、慎重な気配が漂い明らかに動きが違う。


 婆さんは大声で指図をして周囲の人間を使い、自身も腰が悪いとは思えぬ軽快な動きで呆れる程元気だ。


 長雨の影響で客が少ないのをいいことに、近藤さんもレストランを早仕舞して特製のローストビーフや婆さんの野菜で作ったサラダなどを大量に持ち込んだ。


 元ちゃんは結局高校卒業後、無理矢理ここで働き始めたらしい。今では慎さん、嶋さんと共に業務の拡大に熱中している。明日は元ちゃんが牧場内外を色々と案内してくれるそうで、楽しみである。


 酒宴が始まり、最初のうち、私は複雑な気分であった。


 六年前にも感じたこの違和感は、ここの人たちの、底抜けの人の良さである。


 何故私のような者がこれ程までに歓待されるのか。自分では全く理解できずかえって不安をかきたてられる。


 そんなに考えることはない、ただ酒を飲むきっかけが欲しかっただけなのだと思えば、そんな気もする。


 まあ、それだけ娯楽の少ない田舎だから、と言えなくもない。



「おまえ、漫画を描くだけなら東京にいなくてもいいんじゃねえか」


 などと慎さんが無責任な事を言い始めると、みんながそうだそうだと賛成する。今日来たばかりなのに、もうずっとここで暮せとしつこい。


「それともなにか、東京で可愛い彼女が待ってるのか?」


 人の話を絞り出そうとする慎さんの突っ込みは相変わらずである。


「漫画家なんてヤクザな稼業はいつも締め切りに追われて忙しくて、遊んでる暇なんて無いんですよ」


 などと私は貧乏な独身漫画家の悲哀をひとしきり語らせてもらう。


「だいたい、ここに住んでたら漫画なんて描く暇無いでしょ?」


 私が開き直ると、咲が真面目な顔で賛成する。


「慎さん、駄目です。私が来年東京に行くんだからね。お兄ちゃんは向こうで待っててくれなきゃ困るの」


 赤い顔で口を尖らす咲は、どうやら少しビールでも飲んでいるらしい。困ったものだ。


「おまえ、これってマタニティドレスじゃないのか?」

 咲の着ている服を指でつまんで私がからかう。


「馬鹿」

 そう言って咲は私の背中を拳で叩く。


「失礼な。せっかく咲ちゃんとお揃いの服を買ったのにねぇ」

 美佳さんも私を非難の目で見る。


 私は元ちゃんに助けを求める。


「やっぱりあんたは変わらんね」と元ちゃんも冷たく言い放つのだった。


 何にしても、牧場のみんなは六年前以上に元気で、活気に満ちた生活を送っていることを知り嬉しかった。遥々来て本当に良かったと思える一夜である。


 その夜は酒に酔い、軽くシャワーを浴びて早目に寝てしまった。



 


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