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性教育

作者: 山田 公冬

性欲の根源、自分の気持ちいい事は相手も気持ちいい、正常な発達をして自己の欲望を暴露して他人の不快を得るのを恐れ弁えるようになると言うが、壮年や老人になっても思春期以前の欲望の暴露を行う者が明らかに多い。これは社会に人間性の発達を積極的に妨げるか促すのに消極的な要因のいずれかないし両方が存在する証左ではないだろうか。人間の三大欲求とは性欲・食欲・睡眠欲とされるが、生まれた当初は未分化であり抑制が無いと言う。乳幼児期から見られる欲望の再現ない暴露は普通、生まれた社会か集団に敷衍する社会通念を根拠として制限すべきものと解釈され、かえって不興と軽蔑を買い欲望の実現から遠ざけられるという経験をする。この繰り返しにより生活上の様式に則る欲望の抑制の方法を学んでいく。これが欲望の始まりから第一の転向点への経過であり、また第一次性徴の一連の経過である。

第二次性徴は性器以外の性的特徴が全身に発現し、少年時代に培った無邪気な社会性との葛藤を生じる時期である。単純に欲望の実現を妨げるという理由に根拠を持つ抑制が、自己を含む集団の中でそれぞれが様々な思惑を持つ中、持続を図りながら解体され自己の欲望に直面し、また集団のある者は暴露し別のものは隠蔽するという表面上かつ水面下の混乱に否応なく巻き込まれ、自己に生じる変容を受け入れるか拒むかの選択に晒される。この時、誰しもが望むと望まざるに拘わらず参照するのが集団の所属する文化か社会、あるいは文明からもたらされる性あるいは性以外についての観念である。


さて、性教育とは何か。話は多少遡る。人権は万人に等しく認められる権利であり、万人とは数えられる限りの全ての人という意味である。近代以前には為政者が治世し為政者の信任を受けた権力者が地域を統率するという形式であった所を、万人が同じ地位に立ち政治を行う政治の実現の根拠を人権とした。当初の人権は王と人民は同じ人間であるから同じ理性を備えているのであり、万人の英知を終結する事でよりよい世界の実現を可能にすると信じられた。しかし、色々と失敗した。そもそもが長年の生産性の向上に端を発する人口の増加により旧来の政治体制が機能不全に陥ったから王権による統治が徐々にであれ急速にであれ支持を失った。前者がイギリスであり後者がフランスであるが、この二国の変遷が象徴的に近代の成り立ちを表している。

ところで、性についての社会観念は有史以前の文明から起こっていたのは論を待たない。現代においては即座に参考にしうる話も少ないが、根源的にはいずれの時代も第一次性徴と第二次性徴の時期を契機として幼児と少年と青年を区別していたであろう。近代以前には第二次性徴の直後から婚期とされたが、人権の観念が政治上の根拠として具体化してから、文明的な教育を与えられた後が婚期とされ、その期間は時代が下るにつれ長くなる傾向がある。

それでも現代にいたるまで、子供の性の問題は公けに語る問題ではないと退けられ続けた。自立した大人の性愛でさえ道徳を無視し妄りにふけるのは獣同然であり好ましくないとされた時代であり、自ら考える意思の無い子供の性欲など猶更論じるべきではないタブーであったのは言うまでも無い。現代においても未だに同じ社会通念が大勢であると言えよう。

しかし、文明化が極まったとされる現代において、性にまつわる悲惨は甚だ多く、また申し合わせるわけでもあるまいに似通った動機で同じような手口で年齢性別社会的地位問わず多くの人々が被害者になり、また加害者がいる。この事象は事象群と形容すべきであり、社会に何らかの積極的あるいは消極的な要因があると考えざるを得ない。

積極的には、自己の欲望を際限なく発露する事を唆す要因であり、消極的には、社会通念が何らかの理由で機能せず少なくない人数に性欲の抑制を失敗させる欠陥に依るものである。この両者を並べると必ずしも対立する構造ではなく、むしろ悪循環的に互いを補強し合っているとみなすのが自然である。

では片方の要因を排除すればいいかと言えば、そうでもない。例えばアメリカではポルノコンテンツ、有体に言えばエロ本やエロビデオを徹底的に監視して規制するという動きが進んだ結果、『未来のアメリカ人はドラゴンと車のセックス動画を見て性欲を発散するようになる』というジョークが生まれた。性欲そのものに向き合わず作為的なコンテンツばかりを執拗に追いかけても意味が無いという一面を皮肉ったと言えるし、賢い偽善者たちは性欲について何も知らないとも言いたげである。


現代から未来に向けて資する性教育について考えよう。一つは、個人それぞれが性について自己理解を深め他者との葛藤を軋轢に変えずに自らが社会との妥協点を見つける為の方法を身に付ける。もう一つは社会の中で起こり得る性的なアクシデントの構造を理解し自らの安全を守ると同時に、他者の危険を理解し性的な事案について判断を間違わず問題を深刻化しないフェイルセーフの方法を身に付ける。最後に、性に対する健全な理解、すなわち人間本来の生命力と精神を損なわない正しい人生を送る一環としての性との向き合い方を学び、一人一人が生物として自然な生き方と社会に生きる人間として健康である事がそもそも持続的で豊かな社会を築くという前提に立つ事である。どんな形であっても誰かが理不尽な犠牲になる事で社会が支えられてはいけないのであって社会の様々な問題について万人の理性的な態度によって解決するのが人権の理念であり、その内で性について自律的な形成を促すのが性教育の目的である。

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